駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

談合の根は深い

2018年01月26日 | 世の中

 

 私は今でも本当にリニア新幹線が必要かどうか大いに疑問に思っているのだが、その工事請負で談合があったらしい。認めている会社と否定している会社があるようだが、妙な話で片談合というのがあるのだろうか。

 談合というのは業者間の相互助け合い?みたいなものだが、似たようなことは日本の社会に染み付いて存在してきた、今も存在している。
 医療関係で例を挙げるとマッサージ関係で談合ではないけれど、似たような絡繰りの存在がある。寝たきり老人のマッサージは対象疾病により医師の同意書があれば保険診療が可能になる。そのために鍼灸治療施設から医師に同意書作成依頼が回ってくるのだが、医師によって同意書を書かない医師と書く医師が居る。概ね整形外科系の医師は断る傾向があり、内科系の医師は書く傾向がある。なぜと言い出せば、難しい問題があり、ここにメスを入れられる厚生大臣は居なかった。

 そうした訳で同意書依頼が回ってくる。その必要妥当性には微妙なところがあるのだが、家族からの依頼となると中々断れない。家族へそうした情報を提供するのはケアマネで、そのケアマネには特定の鍼灸院がくっ付いている例が多い。ネットワークというと美しいがグルというと問題もありそうだ。基本的に医療は利便性を考え、できるだけ近隣を利用するのが鉄則と思うのだが、ケアマネを通して同意書を送ってくる鍼灸院には随分遠隔の施設も多い。車がありますからと言われればそれまでとしても不自然な感じは拭えない。

 談合とは違うけれども背後に談合感覚があると思う。不合理不公平なところはあると思うが、簡単には駄目けしからんと撥ねつけることもできず、難しいところだ。

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安倍首相、読まれたのだろうか?

2018年01月25日 | 政治経済

 

 今朝の冷え込みはかなりのもので、ひょっとして氷点下だったかもしれない。手袋をしていても手がかじかんでしまった。

 安倍首相が平昌のオリンピックに出席すると報道されている。世論の動向を読んでと言うことらしい。私も出席をお勧めしたのだが、まさかこのブログまで目を通したということはないと思う。公明党に配慮したのだろうか。人気に相乗りで支持を稼ごうとする役者の安倍さんの面目躍如だが、異質の文在寅からスポーツの祭典で談判ですかと冷たくあしらわれそうで、出席したけれど減点だったとならないことを祈りたい。

 世界を飛び回っている割には、平和の使者としてはさほど評価は高くないようで、外国のメディアの方が敵愾心の強い安倍首相の本態を見抜いているのかもしれない。肝胆相照らす?トランプの口からも、森の石松のようになかなか名前が出て来なかったと報じられている。本当のところ、自民党内での支持も高いのだろうか?、対抗馬が居ないだけ、恐れられているだけかもしれない。どうも自民党内の意見が表に出て来ないが、なんだか不自然な感じがする。

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時代の変化に流されてしまう

2018年01月24日 | 診療

 

 朝六時に新聞を取りに玄関を出ると未だ薄暗く、ご近所は眠っている。あと十五分くらいするとあちこちで電気がつき始める。風も雪もなく穏やかな朝だ。

 インフルエンザの診断キットが使いやすくなっており、いつの間にかコレが診断の金科玉条になってしまっている。病気の診断は経過、所見そして検査の三つ巴で下されるものだったのだが、どんどん検査の比重が増えてきている。私のように病歴聴取の重要さを叩き込まれてきた古手の医師も、検査重視の流れに抗することは難しい。

 何と言っても検査が進歩し、症状よりも正確早期に客観的なデータを示すことが出来るようになり、それを素人である患者さんにも提示し説明可能になってきていることが大きい。勿論、良いことばかりではなく、時間と費用が掛かるなどの問題点はあるが、検査医療の流れを食い止めるのは難しい状況だ。

 患者さんを納得させやすい、診察して考える手間が省けて楽、検査機器の売り込み攻勢がある・・など、どうも立ち止まって反省すべき点も多いのだが、患者さんと一緒になってインフルエンザ診断キット見つめる今日この頃だ。半世紀前であれば、儂が正しい検査キットが間違っているとじろっと一睨みで押さえ込む教授が居たのだが、今は昔だ。

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不足しているのは

2018年01月23日 | 世の中

  


 昨日は予想通り東京では雪が降ったようだ。当地では冷たい雨だった。それでも、近くの山はうっすらと雪の帽子を被っている。今朝は冷え込みはさほどでもなく、青空が見え良い天気になりそうだ。

 年明けに世の中を見渡して何かが不足していると感じる。不足しているのはビタミンでもミネラルでもアミノ酸でもない、想像力だと思う。複雑なことを理解するには知識や考える力が必要だから、誰にでもできることではないかもしれないが、相手の立場や置かれた状況を想像することは誰にでもできるはずだ。勿論、感受性や共感力には個人差があるとは思うが、全く相手の立場を想像できない人はいないだろう。

 要するに、疎いあるいは気にくわないと思う相手のことは、始めから想像してみようとしない?らしい。人の不幸は蜜の味、折角の不祥事不具合を叩かずにはおられようかということか。自分に人の不幸を喜び楽しむ気持ちが皆無とは言わないが、弱いもの苛めに喜びは感じない。尤も、権力者や不当に威張っている人物の失態や失策にはざまあ見ろと思うことは結構ある。

 それって変、いーやそれでいいのだ。

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峠を越えたインフルエンザ

2018年01月22日 | 診療

  

 東京では午後雪が降るそうだが、今朝の冷え込みはさほどではない。むしろ一月初めの方が寒かったような気がする。朝出かける時、特に慌てているつもりはないが、持っていかねばと思っていた書類や本などをよく忘れる。六十年前母に言われ最近は妻に言われる。前の晩に鞄に入れておきなさいと。その通りなのだが、ついうるさいなあと思うのがいけないらしい。

 当地(我が医院の診療圏)ではインフルエンザが峠を越えた。今までの経験から、流行の山が二週間以上続くことはまずない。流行範囲は半径3-4kmくらいで動いてゆく感じで、市内でも西東でピークの時期が違う。東から来るともあるし西から来ることもある。北は山、南は海なので、南北の動きは分からない。

 騒がれなくなっただけで、老人施設内の流行は今も結構ある。保育園幼稚園と同じで、熱があると家族に連絡があり、医院でインフルエンザの検査を指示されてやってくる。早期診断のお陰か、今のところインフルエンザから肺炎を併発して亡くなった高齢者はおられない。正直なところ、予防接種をしてあっても、感染する人はかなりのもので、なんだか面目ない感じで診させていただいている。ワクチンを打っておいても感染することがあるということが知れ渡っているようで文句を言われる人はおられない。

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