駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

一杯のコーヒ

2018年08月26日 | 

 あなたはコーヒー派それとも紅茶派。実際に飲まれている量は日本茶が一番多いと思うが、街中で喫茶と言えばコーヒーが圧倒的に多いだろう。日本茶は店でお金を払って飲むという感覚はなく、和食系統の店では何も言わなくても食事に付いて自然に無料で出てくる。

 原価はコーヒー紅茶の方が高いと思うが、それでも日本茶の数倍程度だと思う。茶葉を選べば日本茶も有料でおかしくないものが出せると思うが、日本茶を喫茶形式で有料で飲ませる店は希有だ。増える様子もなく繁盛しているとも聞かない。日本茶に凝っていて講釈の多い和食店を知っているが、お茶は無料で食事に付随して供される。

 一杯飲んだ時の満足度が違うのだろうか、確かに日本茶だと気軽にゴクゴクと飲んでしまい、ゆっくり味わって飲むという感覚は少ない。

 特にコーヒー派というわけでもないが喫茶というとコーヒーの感じがして、小品シリーズでコーヒーを描いてみた。何だかカップがテーブルの真ん中にないのは、最初テーブルの向こう側に床を描いたのだが、先生に中途半端だと言われ全部テーブルにしたためだ。香り立つコーヒーに見えるだろうか?。まさかこのコーヒーを出す喫茶店が分かる人は居まい。旅先の一杯、東北の店だ。盛岡の人なら分かるかも知れない。

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Appreciate difference

2018年08月24日 | 町医者診言

    

 Think different とアップルは掲げた。あれから二十年、市井の臨床医はAppreciate differenceと申し上げたい。

 四書の大学に小人閑居にして不善を為すとある。三千年科学技術は進歩したが人間の本性は変わらない。21世紀の申し子、ネットの副作用が大きくなっている。人の不幸は蜜の味を求めて焚きつける人達の発信が増幅されている。高々人口の1%ともいわれるが、影響力はもっと大きい。強きの威をかり、弱きを叩いて暮らしやすい世の中が来るとは思えない。

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無駄のように見えて

2018年08月23日 | 小考

  

 遺伝子情報を伝えるDNAの連鎖の中には遺伝子情報が書いてあるエクソンと繋ぎで入っているイントロンと言う部分がある。イントロンはいざ遺伝子が伝えられる時には取り外されてしまい一見無駄な部分のように見なされていたが、徐々にそれなりの仕事をしているらしいことが分かってきた。

 遺伝子情報と人間生活とはかけ離れていて、相似を見出すのは飛躍かもしれないが、このボーっと休んでいるイントロンのような部分(時間)がないと働けない高齢者になった私は、エクソンを意義あるもの(診療)にするには一見無駄なイントロンが必要なのがよく分かる。若い時はイントロンが殆どなくても働けたのだが、年を取るにつれイントロンが長くなり、今では帰宅後はテレビワッチのうたた寝がないと、翌朝起きて仕事に行く元気が出ない。

 それと別に高価のものでなくてよいのだが、旨いものを食べないと元気が出ない。外れの飯を食わされるとたたらを踏んでしまいそうになる。これはちょっと別かもしれないが美人に会ったり若い女性に親切にされたりするとちょっと元気が出る。贔屓の選手やチームが勝つと嬉しい。とにかくエクソンの働きが悪くなった高齢者を生かすには様々なイントロン様の部分が必要のようだ。これは元気で長働きの秘訣かもしれない。

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物事には限界がある

2018年08月22日 | 医療

        

 七十過ぎた優しく穏やかなTさんが怒鳴った。何と辛く悲しいことだろう。徐々に減っては居るが、よくある家庭の事情で、残された妹(Tさん)が年老いた母親を看てきたのだ。長命過ぎる?母親のために、還暦を過ぎ気が付けば七十に手が届いてしまった。母親は認知症が進行し、この二年は寝たきりで、半年前から傾眠状態が続き言葉も出ない。先日百歳を迎えた。市からお祝いの品が届き、往診の時、母も百まで頑張れましたとお礼を言われた。良かったですねと答えながら、内心本当に目出度いことだろうかと思ってしまった。施設に預けることもなく、毎日つきっきりで食事を食べさせ下の世話をされる。歩いて十五分ほどの所に住むお姉さんは月に一度顔を見せれば良い方だ。

 これだけでも大変な負担なのにT家には知恵遅れの弟が居る。殆ど部屋にこもりきりで普段は手が掛からないのだが、先日尿が出なくなった。これは尿閉といって大変辛い。Tさんは昼間出かける用事があったようで、お姉さんに当院への受診を頼んだ。ところがお姉さんは、弟を連れてきたはいいが普段の様子を知らないので病歴がよく分からず、本人は苦しがるばかりで上手く話せない。診察に手間取ってしまった。管で尿を取ってやり総合病院の泌尿器科を受診する手はずを整えた。朝一番に紹介状を取りに来てから行くように話したのがどうも上手く通じなかったようで、十時過ぎになってお姉さんがあたふたとやってきた。妹に怒鳴られてしまって、妹も二人面倒みていて大変みたいと言われた。Tさんが怒鳴るなどということは想像も付かないが、限界なんだろうなと思った。

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秋刀魚の煙はいずこへ

2018年08月21日 | 世の中

 

 昨日一昨日は秋風が吹いていた。今朝は湿った暖気が駅構内を包んでいた。涼しくなる有難いと思ったのは糠喜びだったらしい。暑いのも八月一杯はともかく、九月に入ってからの残暑は勘弁して欲しい。

 何だか次々と台風が来る。日本上陸数が多く、しかも異例な進路が多い。異変にも慣れがあるようで、自然界から人間界まで経験しなかったことが連発すると、又かああそうと驚かなくなってしまう。

 日本の詩歌には俳句を筆頭に季節の変化を微妙に味わう心がないと分からないものが多い。千年の命を持つ詩歌が末枯れるというか呆けるというか、味わいが分からなくなりそうだ。そういえば食べ物の旬もあるようなないような、一年中出回る野菜も増えた。

 もうすぐ秋刀魚の季節で、子どもの頃はご近所のあちこちで秋刀魚を焼く匂いがして、母親に家でもとねだった記憶がある。今では佐藤春夫の秋刀魚の歌も、情乏しくどうも伝わらなくなった気がする。

 時代というものは抗いようもなく変化してゆく。なかんずく、元号は明治以来、昭和は異例に長く戦前戦後と二つに分けられそうだが、時代を象徴してきた。父は明治大正昭和を生きた。母は大正昭和、兄は昭和平成を生きた。昭和が終わり平成も終わる。次の元号がどうなるか、中島みゆきの歌声が日本の隅々まで響き渡り始めている。願わくば三つの元号を生きて、働き発信し続けたい。

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