駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

仕事には季節変動がある

2019年10月19日 | 医療

      


 今日も雨、雨だと患者数が多少減る。来週も雨の日が多そうで、今月はいくらか収入が減るかもしれない。雨の翌日晴れて患者数が増えても10割回復とはゆかない、9割まあ8割5分の戻しと言う感じだ。それは風邪は日が経てば自然に良くなることもあるし、晴れれば他の用事も入ってきたりするからだろう。

 よく二八というが、我々街中の内科は10月から忙しくなり3月半ばに暇になってゆく。ピークは一月のことが多いが年によって数週間ずれる。インフルエンザの流行り具合が大きく影響する。これから徐々に忙しくなってゆくはずだが、周辺医師の影響もあり微妙なところだ。昔と違い、多ければ頑張ろうというファイトが湧くわけでもなく、忙しいのはそこそこが良いという心境になっている。皮膚科は夏忙しいらしく、内科と逆で面白い。尤もこう言っては何だが、皮膚科のU氏は一目でわかる、三時間で100人診られると言っているから、混んでも平気なのだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嫌な雨に考えた

2019年10月18日 | 小考

        

 

 被災地では嫌どころではなく、痛い苦しい雨なので、嫌な雨と言うのは気が引けるが、今朝は冷たい小雨が降っていた。小雨でも風があるのでよけにくく、少し袖口と裾を濡らしてしまった。

 自然は容赦ない上に21世紀になって狂ってきている。狂ったというわけではなく温室効果ガスが溜まっただけなのかもしれないが、擬人化して感じてしまう。

 患者さんが寒くなりました、秋がないですねえなどと言われる。確かに秋らしい陽気がほとんどないうちに冬の気配が訪れている。一体どういうことだろうか?。秋の夜長を鳴き通す虫の音もいつの間にか細くなっているようだ。

 トランプを筆頭に怪しげな政治家には自分の都合や利益はさておいて、事実に目を向けてほしい。二三年先しか見えないようだがそれでは餌しか見えない蛙と一緒で、二三十年先を考えて手を打っていただきたい。

 トランプはトルコのシリア攻撃は米軍撤退と関係ないとツイートするが、それは自分の都合で考え出した主張に過ぎない。それが政治だという解説は解説になっていない、ただの投げ槍でしょう。それで政治評論家なら、私にもできる。落語なら木戸銭返せと言われるだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

より戻し

2019年10月17日 | 診療

       


 この二十年ほどエビデンスベイストメディシンということで、統計的に有意な治療法や患者ケアが選択されてきた。それは個人的な経験や思い込みに基づく医療への反省から導入されたもので、一定の成果を上げてきたのだが、ここに来て統計的では捉えきれない個性や変化を取りこぼしているという指摘がされ、個別いう視点が再び導入されようとしている。

 ただ個別の特性はまだまだ十分には捉えきれないので、個性と平均を睨みながら妥当な着地点を見つける診療が始まっているというのが正確なところだろう。医療は取り組み体制も複雑で医院、中小病院、大病院大学病院で守備範囲や専門性が異なり、その間の連携も常に調整していかなければならない。

 医院はどちらかと言えば患者さんの個性がものを言う場所なので、今まではそれは標準治療でないと総合病院の医師から指摘されることもあり、患者に合わせているのにと当惑することもあった。勿論、わがままと個性は微妙に違うので、医院の譲歩がいつも正当化できるわけではないが、医院は個性と直に向き合っているのをこうした動きを機会に理解してほしいと感じている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

考える葦?の心境

2019年10月16日 | 小考

        


 昨日今日と曇っている、そしてめっきり寒くなった。朝起きて新聞を取りに庭に出ると一体今の季節はいつ、と思うことが増えた。認知の始まったお年寄りに日付、月そして季節を聞いてゆくのだが、こんな気候では認知でなくても季節が分からなくなってしまう。

 駅までの道すがら、いつの間にか昔のことを思い出している。あんなことがあったな、どうすればよかったかなと脈絡もなく五十年六十年昔のことが自然に心に浮かぶ。若い時は年寄りは昔話ばかりすると思っていたが、自分が年寄りになると自然明日のことよりも昔のことが心に浮かぶようになる。

 人生はその立場になってはじめてわかることが多い。七十を過ぎると明日のことと言われても、いくつかの抱負や希望はあっても大展開は考えにくい。久しぶりにインフルエンザワクチンを打ちに来た同年配の患者さんにこの頃どうしておられますかと聞いたら「あとは死ぬだけだ」などと物すごい返事が返ってきた。単純明快、言われていればそうかもしれんと返す言葉がない。

 人間は全体を見る能力、来し方行く末を考える力が備わっているから、こうした感慨が出てくるのだろう。パスカルは人間は考える葦だと言った。自分が葦かどうか、蛙のような気もするが、立ち位置は変わってもこれからもあれこれ考えてゆくだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワシントンの屋台料理

2019年10月15日 | 旨い物

           


 昨夜寝ぼけ眼でNHKBSの料理ルポ番組を見た。アメリカの首都ワシントンでは世界各国の郷土料理の屋台が昼飯時になると数百軒並ぶと報告していた。およそ、四十か国の郷土料理ランチが、現地からの移民によって提供されている。祖母に教わったというオリジナルなものから、アメリカ風というか現代風にアレンジしたものまで、900円から1400円くらいで提供されている。それを政府関係者や会社で働く人が買いに来る。ネットでは各店舗の評価が点数化されており、それを参考にしているという人も多いようだった。ちょっとボリュームは多いがどれも美味しそうで、あれこれ各国の料理を手軽に楽しめるワシントンの人達が羨ましかった。

 トランプはメキシコをぼろくそに言って壁を作っているがタコスは好きらしく旨そうに食べている。イラン出身のお兄さんはイランへの偏見をなくすために、イラン料理を広げるのだと目の色を変えていた。トランプが意地悪をしようとアメリカは移民でできた国だし、中でも首都ワシントンは懐が深くニューヨークに負けない人種のるつぼなのだ。その多様性が危うく怪しいアメリカの転覆を防いでいるようにも見える。分裂して戦火を交えた旧ユーゴのボスニアセルビアの人達もアメリカに住み着けば互いを認めにこやかに話をしていた。

 東京にも世界各国のランチ屋台が霞が関国会周辺にできないものだろうか。警視庁に許可を出すように菅さん辺りから一言欲しい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする