あしたのブログ!趣味や日々の報告ページ

このページを活用し趣味や日々のことなどを中心に報告しています。

ホルストの吹奏楽のための組曲

2014-08-07 | クラシック
先日、テレビ朝日系列の「題名のない音楽会」で、50周年記念として「吹奏楽オールスター夢の祭典」を放映していました。
その夢の祭典とは、日本のプロフェッショナルな3つの吹奏楽団が一緒に演奏することでした。
3つの吹奏楽団は、「東京佼成ウインド・オーケストラ」「大阪市音楽団」「シエナ・ウインド・オーケストラ」です。

番組の中では、グスターヴ・ホルストの「吹奏楽のための組曲」から「第1組曲 3楽章 行進曲」も演奏されていました。
この組曲には第1組曲と第2組曲があり、第1組曲は1909年に、第2組曲は1911年に作曲(一部を除く)、
1922年に改訂され、いずれの楽章の主題も英国の民謡や舞曲に基づいています。

なお、夢の祭典のオーケストラの指揮者は、この番組のホストでもある佐渡裕さんです。
      

“ クリーブランド管弦楽団による同曲が収められたアルバム ”
「吹奏楽のための組曲」 第1・2番
  

そして、2週間に渡って放映された夢の祭典のフィナーレは、アンコールとして演奏されたスーザの「星条旗よ永遠なれ」で、
会場の楽器を持っている中・高校生も参加しての大演奏でした。
    

私にとって、ホルストもスーザも、学生時代に良く聴いた懐かしい曲です。

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およそ50年前の録音テープ

2014-04-07 | クラシック
高校時代、所属していたブラスバンド部の定期演奏会の録音テープが出てきました。
そのブラスバンド部は、毎年秋に開催される吹奏楽コンクールへの出場と、その後の定期演奏会を目標として、朝夕の練習に励んでいました。
そして高校卒業後も、お互いの親睦を深める意味で定期的にOB会が開催されていたのですが、いつの間にか自然消滅していました。
それが今年の春になり、一部の有志の発声により、およそ30年ぶりにOB会が開催されることになったため、“ 確かあったはず・・・ ” と、当時の定期演奏会の録音テープを探してみました。
当時は記念になるからと、高校の放送部員が7インチのテープにしっかり記録したものがあり、卒業後それを借りて自宅でカセット・テープにダビングしていたはずだと・・・

家の中を探したところ、『確かあったはず』から、『あった』に変わり、何と第1回から第4回までの4本が出てきました。
再生してみたところ、テープの異常は無くしっかりした音で記録されていたので、再生装置と共にOB会に持参しました。(右側の写真はOB会が開催された「ホテル千石」)
   

この定期演奏会、第1回開催は東京オリンピックの開会式の翌日、即ち1964年10月11日であり、およそ半世紀前の記録です。
これは今となっては貴重なものなので、出来ることならデジタル化し、関係者に配布したいと思います。

なおこの吹奏楽コンクールは、優秀な成績を修めた学校、および団体の演奏を、ソニー・レコードがLPに収録し発売しましたが、後年CDでも再発売されています。
ここには1962年~69年までの中学、高校、社会人(団体)のそれぞれの課題曲が入っていて、一生懸命練習した当時の思い出と共に、これも貴重な記録です。
  

コメント (4)
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タイコの話

2014-01-05 | クラシック
ここに1枚の古いレコードがあります。
それは1966年3月に録音されたベートーベンの交響曲第5番(運命)と、シューベルトの交響曲第8番(未完成)のカップリング盤です。
この2曲は、私が高校時代にブラスバンドで演奏するため、繰り返し聴いた想い出のアルバムでもあります。(ジャケットも良いです)
指揮は岩城宏之で、当時のコンサート・マスターは海野義雄です。
この海野さん(ジャケットの左端に横顔が写っています)、今となっては考えられない話ですが、1962年、N響による小澤征爾ボイコット事件に際し「あいつは耳がわるい」と小澤を批判し、小澤排斥の急先鋒に立ったことでも有名です。
 
 

そして今回の話は演奏曲でもN響でもなく、名指揮者でもある岩城さんに関連することです。

岩城宏之(1932年9月6日 - 2006年6月13日)
以下はフリー百科事典の一部から
1951年、現役で東京芸術大学音楽学部器楽科打楽器部に進んだが、1年生の終わり頃から学内規則を破って近衛秀麿のオーケストラでティンパニを演奏し始め、授業に出ることなく、1年分の単位も取得しないまま6年間在学ののち中退。
学校には1年後輩の友人山本直純と、後輩たちに声を掛け合って集めた学生オーケストラを指揮するために顔を出す一方で、山本とともに、東京芸大指揮科教員渡邉暁雄の音羽の自宅や、目白の齋藤秀雄指揮教室にたびたび通って、指揮のレッスンを受けた。
当時の東京芸大音楽学部には、専攻によって根強い差別が存在し、作曲科と指揮科が階級の最上位に属し、次いでピアノ科、その下が弦楽器科、残りは全て「被差別民族」であり、その中で最下位に属するのが管・打楽器部で、特に「タイコは管・打というように、順番からして管の次なのだから、タイコ屋は、下層中の下層、少数中の少数で年中差別を感じているような状態だった」「ピアノ科の女の子とつきあおうとして、『お父さまにタイコの人なんかと友達になっちゃいけないっていわれたのヨ』なんて追っ払われたことが何度もある」と岩城は語っている。


ということで、岩城さんの音楽の始まりは タイコ 叩きだったのです。
この芸大打楽器科関連では、他にもジャズ・ドラマーの名手が2人います。

白木秀雄(本名:柏倉秀康 1933年1月1日 - 1972年8月)
岩城宏之と白木の2人が同時入学しています。(大学は共に中退)
このお方も、在学中にジャズ・ドラマーとしてブルー・コーツに参加、1957年に制作された石原裕次郎主演の日活映画「嵐を呼ぶ男」に於いて、石原が演じるドラムのアテレコを担当しています。
   

森山威男(1945年- )
大学在学中から演奏活動をはじめ、山下洋輔トリオで世界的に名を知られるようになりました。
現在は自己のグループでの演奏活動の他、名古屋芸術大学音楽学部特別客員教授も務めています。
    

かく言う私も、ブラスバンド部での最初の楽器は「タイコ」でした。
遅れて入部したため、タイコだけしか余っていなかったのです。(笑)

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合唱団の想い出

2013-12-23 | クラシック
昔むかし、およそ半年の短い期間でしたが、アマチュア合唱団に所属していたことがありました。
その合唱団は、主に古典ロマン派時代の宗教的作品を中心として活動していました。
入部のきっかけは、年末にベンジャミン・ブリテンの「戦争レクイエム」を演奏するからということで、興味があったからです。
   

練習場所は新宿区百人町にある学生の家で、パートは低音のバスでした。
毎週2回、2時間30分の練習の他、夏には2泊3日の合宿も行いました。
そこでは原語の発声と、言葉の意味の理解、ピアノ伴奏によるパート練習等々…
コンサート直前には、東響の練習場で、オケやソロ歌手との音合わせも行い、間近で聴くプロ歌手の「声」の美しさと、大きさにも圧倒されました。

そしてその日がやってきました。
時は遡り1971年12月10日(金)午後7時、今は無き東京新宿厚生年金会館ホール
      

演奏会は、多勢のメンバーに囲まれていたことで、あまり緊張せず無事歌い終え、やったぁ~という気分でした。
当日の演奏はレコードに記録され、団員向けに販売されました。
これは唯一、私の声が入っている記録です。
   
 

この演奏会の後、翌年夏の演奏会に向け、ヴォーン・ウィリアムズが作曲した「海の交響曲」(A Sea Symphony)の練習が始まりましたが、仕事の関係で練習に参加する機会が少なくなってきたこともあり、1ヶ月ほどで退団となりました。

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