あしたのブログ!趣味や日々の報告ページ

このページを活用し趣味や日々のことなどを中心に報告しています。

ウエイン・ショーターの代表曲

2015-02-28 | JAZZ
ウエイン・ショーターの代表曲である「フットプリンツ」、
“海岸の砂浜などについた足跡” のことを意味するこの曲を取り上げてみました。

最初は、初演となりる自身のアルバムの中から
「ADAM’S APPLE」 BLUE NOTE BST 8432
  
1. ADAM’S APPLE
2. 502 BLUES
3. EL GAUCHO
4. FOOTPRINTS
5. TERU
6. CHIEF CRAZY HORSE
WAYNE SHORTER(ts) HERBIE HANCOCK(p) REGINALD WORKMAN(b) JOE CHAMBERS(ds)
録音 1966年2月3日、24日
曲は6/8拍子で演奏され、ショーター以下、各人が表情豊かなソロを展開しています。

上記のアルバム録音時は、既にマイルス・デイビスのグループに参加していて、下記のアルバムでもショーターがアレンジを担当しています。
このアルバム以降、いずれの演奏もテーマは大抵マイルスとショーターのソリとなっています。
「MILES SMILES」
 
MILES DAVIS(tp) WAYNE SHORTER(ts) HERBIE HANCOCK(p) RON CARTER(b) TONY WILLIAMS(ds)
録音 1966年10月25日
ベースの繰り返し刻まれるパターンは、最初のアルバムと同じですが、リズム陣の2人が入れ替わっただけで、モーダルな演奏に変って来ています。
マイルスが参加していることもあり、演奏時間も7分27秒から9分48秒へと長くなっています。


マイルスは、1966年から1970年の5年間に渡って、この「フットプリンツ」を繰り返し演奏しています。
しかし、スタジオ録音は上記の1枚だけで、後はライブ音源ですが、これらは全てオフィシャルなものではありません。
その中で、年度毎に1枚ずつを掲載してみました。

「NEWPORT」(66年7月8日)
上記のスタジオ録音前の記録です。
グループの纏まりは今一つですが、「フットプリンツ」に続いて切れ目なく「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」へと繋がって行きます。


「LAST EUROPEAN TOUR Vol.1&3」(67年10月31日、11月1日、2日)
Vol.1と、Vol.3にはストックホルム、ヘルシンキ、コペンハーゲンでの演奏が記録されています。
どれも同様パターンの演奏なれど、トニーのドラミングが凄いの連続です。


68年のマイルスは、スタジオ録音に集中しており、暮れになってライブ活動に入ったため「フットプリンツ」の演奏記録は、現在のところありません。

「VILLAGE GATE」(69年5月23日)
ニューヨークのクラブでの演奏です。
リズム陣がチック・コリア(elp)、デイブ・ホランド(b)、ジャック・デジョネット(ds)と全て入れ替わりました。
この3人によるジャズ・ビートが凄いです。


「FILLMORE WEST」(70年4月12日)
今回のお題の主役であるウエイン・ショーターは別のグループに参加してしまいました。
従ってサックスがスティーブ・グロスマン(ss)に替わっています。
ここでの演奏は、大作「ビッチェズ・ブリュー」の後ということもあり、リズムが強調されテーマは単なる素材となっています。



そして最後は、最初のアルバムから35年を経て、カルテットで録音された、その名も「フットプリンツ」
これは、2001年にヨーロッパでの3か所でのライブを収めたもので、ショーターが過去に演奏してきた曲を、再びアコーステックで演っています。
 
1. ASNCTUARY
2. MASQUELERO
3. VALTE TRISTE
4. GO
5. AUNG SAN SUU KYI
6. FOOTPRINTS
7. ATLANTIS
8. JUJU
9. CHIEF CRAZY HORSE
WAYNE SHORTER(ss,ts) DANILO PEREZ(p) JOHN PATITUCCI(b) BRIAN BLADE(ds)
録音 2001年7月14日(ITALY)、7月20日(SPAIN)、7月24日(FRANCE)
ここでの「フットプリンツ」、
最初はソプラノでスタートし、後半テナーに持ち替えての演奏で、これまでのどれよりも圧巻の7分40秒です。


下は今回のお題とは直接関係ありませんが、都内のレコード店が販売したウエイン・ショーターのレコードの特典として配布されたEP盤です。
録音に関する詳細は不明ですが、メンバーは上記ライブと同一でした。
ここでのショーター、SIDE 1 はソプラノ、SIDE 2 はテナーを吹いていますが、かなりフリーな演奏です。
共に4分を超える収録時間となっていますが、惜しむらくはフェード・アウトされているところです。

「THE WAYNE SHORTER 4 / WITHOUT A NET」
 
1. ORBITS
2. UNIDENTIFELD FLYING OBJECTS

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さすらい

2015-02-27 | 演歌・ポップス
「さすらい」という歌、
・小林旭の日活映画「南海の狼火」主題歌(1960年9月20日発売)、
・奥田民生のフジテレビ系ドラマ「Days」主題歌(1988年2月5日発売 / シングルCD) もありますが、
今回は今日が命日である克美しげるの歌を取り上げました。

克美しげる(1937年12月25日 - 2013年2月27日) 本名 津村誠也(つむら せいや) 

フリー百科事典より抜粋
1956年、宮崎県立宮崎大宮高等学校在学中に、仲間と音楽グループを結成。
その後、大阪へ行きジャズ喫茶で歌っていた水原弘の付き人を志願。
採用には至らなかったが、水原から有名なバンドリーダーを紹介されるなど、両者の親交は長く続いた。
高校卒業後、神戸に転居。
関西で活動していた“マウンテン・ボーイズ”にバンドボーイとして採用され、その1年後には同バンドで最年少ながら、自ら名乗った芸名・勝己しげるでボーカルを担当し人気を博した。
1960年にNHK(大阪)が主催したオーディションに合格し、翌年芸名を「克美しげる」に改め、同じく改名したバンド “ロック・メッセンジャーズ”と共に東京に進出した。
ジャズ喫茶でのステージにて東芝レコードのディレクターからスカウトを受け、ジョン・レイトンのヒット曲「霧の中のジョニー」の日本語カバーでレコードデビューし、40万枚を売り上げるヒットとなった。


63年にはテレビアニメ「エイトマン」、そして64年、15枚目のシングル「さすらい」へ、

「さすらい」 東芝レコード TR-1005
作詞 十二村哲 作・編曲 北原じゅん
  

1964年は東京オリンピックが開催され、ドーナツ盤の値段が、1枚290円の時代、
マーチ風の軽快なこの曲で歌謡曲路線へ転向し、60万枚のヒットを飛ばしましたが、その後は低迷、
また借金の他、愛人殺害、薬物で2度の実刑判決を受けたこともあり、波乱の75年でした。

なお、1975年の最後のシングル盤「おもいやり」は、昨年11月21日の黒木憲の代表曲で紹介済です。

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私の愛聴盤 (第58回)

2015-02-25 | 私の愛聴盤
第58回は武田和命の「ジェントル・ノヴェンバー」です。

武田和命 (たけだかずのり 1939年11月14日 - 89年8月18日)東京都蒲田生まれ

70年代には「伝説にして幻のテナーマン」であった武田のジャズ人生は、金井英人(b)、福原彰(tp)のグループを経て、64年に富樫雅彦(ds)カルテットに加入したところから始まっています。

今回のアルバムに関連して・・・
66年11月に、三大ドラマーによるドラム合戦のメンバーとして、アート・ブレイキー、トニー・ウイリアムスと共に来日したエルヴィン・ジョーンズが、訳あって日本に留まることになり、その間の生活を支えるため新宿ピット・インのオーナーである佐藤氏が、自らのライブ・ハウスでエルヴィンを演奏させることとし、山下洋輔、武田和命を誘って共演が行なわれました。
その後武田は、「ジャズでは飯が食えない」との理由で、ジャズ界を離れたところで活動を続けていたのですが、業界関係者の中でその姿を見た人はほとんどいなかったようです。
78年になって、東京のライブハウスのR&Bバンドで演奏していることろをある人が見つけ、そのことが山下洋輔の耳に入ったことから、山下がジャズシーンへの復帰を説得し、彼のグループに参加することになりました。
そしてその翌年、山下洋輔グループをバックに吹き込んだのがこのアルバムです。

メタル・マウスピースによるエッジの立ったサックスで、40歳にして初リーダー作でありながら、且つベスト・アルバム(と思います)。
このタイトル、武田の誕生月に合わせて、山下洋輔が命名したのだそうです。
ここで聴かれる演奏は、これまでの武田のハードな演奏からは想像もつかないしっとりとした内容です。
最初の4曲がミュージシャンのオリジナルとスタンダード、後半4曲が自身のオリジナルですが、このオリジナルがいずれも良い曲で、コルトレーンのバラード・アルバムに匹敵するような素晴らしい演奏となっています。
バックを担当する3人も、サックスを優しく包み込むようなサポートに徹しています。
それから、前後して山下グループに所属していた石垣島出身の国仲の、骨太ベースもたっぷり聴けるアルバムでもあります。
なお、このアルバムが録音された「坂戸市民会館」は、音響に優れたホールとして当時は多くの音楽関連の録音がされていました。

「GENTLE NOVEMBER」 FRASCO FS-7030
    
1. SOUL TRANE
2. THEME FOR ERNIE
3. AISHA
4. IT'S EASY TO REMEMBER
5. ONCE I TALKED
6. OUR DAYS
7. LITTLE DREAM
8. GENTLE NOVEMBER
武田和命(ts) 山下洋輔(p) 国仲勝男(b) 森山威男(ds)
録音 1979年9月20、21日録音、埼玉県坂戸市民会館


今となっては武田の新録を望むことはできませんが、以下の2枚を紹介します。
1988年3月、九州7ヶ所のツアー最終日、柳川のジャズ喫茶「ファンクール」のマスターが密かに録画していたドキュメント映像です。
狭い店内での据え置きの1台のカメラによるもので、モノクロ映像に少しだけ色を付けただけのものですが、演奏は良い出来です。
限定画面の中で、4人の表情も捉えられており、価値あるものです。
「武田和命カルテット 1988」 RINSEN INC. carco-2007
 

彼の遺作となったアルバムで、89年1月26日、西荻窪「アケタの店」でのライブです。
ピアノレス・トリオなので武田の出番は多く、バラードから速い曲まで演奏していますが、そう思って聴くと、武田の演奏が痛々しいです。
「INFINITY」 AKETA’S DISK AD-25CD
  

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暖かい週末のお出かけ

2015-02-22 | 日記
暖かくなった週末、
車で30分程の「サイボクハム」まで足を延ばしてみました。
隣には、2020年東京オリンピックでゴルフ競技が行われる予定の「霞が関CC」があります。
 

大勢の人混みの中で、目に留まった「もつ煮」の看板、
1月~2月の限定商品なのだそうで、早速いただきました。
  
あっさり味で、美味しかったです。

豚のテーマパークであるこの場所、「トントンハウス」
  

園内には「リンゴ園」や「アスレチック」もあり、子供連れでも楽しめます。
  

また「パークゴルフ」という簡易遊技では、大勢の大人が楽しんでいました。
 

帰りには、肩ロースの厚い切り身と、ソーセージ、それに野菜を購入し、早速「豚カツ」にしていただきました。
油身部分も、普通のお店では味わえないしっかりした味でした。

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菅野邦彦のファースト・アルバム

2015-02-21 | JAZZ
前回掲載した平尾昌晃の「おもいで」で気付いたのですが、もう一方の曲である「しあわせは音もなく」、
この作曲者である「菅野邦彦」の名前が目に留まりました。(いままで知りませんでした)


菅野邦彦は、1936年11月13日東京生まれのジャズ・ピアニストで、1960年頃から鈴木勲、ジョージ大塚とトリオで活動を開始しています。
その後、来日したトニー・スコット(cl)に丸ごと抱えられてカルテットとなり、63年のからの松本英彦カルテットを経て、ソロを含め多くのセッションに参加してきました。

菅野邦彦は余りにも繊細な持ち主であったことから、大きいホールでの演奏は苦手で、レコーディングには消極的だったので、既に中堅の一人になっていたピアニストの1stアルバムは、我々にとって演奏に接することができる唯一の手段でした。
そして聴いた途端、そのテクニックに驚き、それからというもの、ず~と聴き続けています。

そこで、平尾昌晃の繋がりで、久し振りに最初のレコーディングとなった「フィンガー・ポッピン」を聴いてみました。
冒頭の「しあわせは音もなく」から7年後のレコーディングです。

「FINGER POPPING」 日本コロムビア(Takt)XMS-10007-CT
   
1. FINGER POPPING
2. FOR CARL
3. POLKA DOTS AND MOONBEAMS
4. BARBADS
5. BLUES FOR JIRO
6. I CAN’T GET STARTED
7.BYE BYE BLACKBIRD
菅野邦彦(p) 池田芳夫(b) 山崎弘(ds)
録音 1968年7月28日、29日  

菅野の演奏は、非常にセンシティブでピアニスティックであり、彼の弾くブルースは抜群です。
右手で弾く速くてきらびやかな高音、左手による独特のリズム、米国のピアニストに例えれば、レッド・ガーランド、ハンプトン・ホース、エロール・ガーナー、フィニアス・ニューボーンJr. と、挙げたら沢山いますが、その中からエッセンスを抜き取ったようなテクを披露してくれます。

このアルバム、
速い曲からスローな曲まで、スインギーでダイナミックな演奏が展開されています。
「ポルカ・ドッツ・・・」ではソロ・ピアノも披露しているし、若い2人のバッキングも好演しています。

このアルバム、
録音技師は3歳年上の実兄、菅野沖彦、
ジャケットのカバー・フォトは、64年のマイルス・デイビスの来日公演でも素晴らしい写真を披露した宮下明義が担当しています。


時は過ぎて・・・
79年には、当時の松本英彦カルテットの再現となる同メンバーによるレコーディングもされています。
「FOUR WINGS」 TRIO RECORDS PAP-9197
 
1曲目の「スピーク・ロウ」はピアノ・トリオの演奏ですが、他はリーダーの出番が多く、菅野のピアノを楽しむレコードではありません。
当然と言えば、当然ですよね。

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「おもいで」の思いで

2015-02-18 | 演歌・ポップス
「おもいで」という歌、
歌手・作曲家・音楽学校経営等で知られる平尾昌章(現在は昌晃)の作曲によるものです。

この歌、
私は学生時代に布施明が歌っていたのを同級生のS君の家で聴かせてもらったのが最初です。
それまで「カンツオーネ」を歌う布施明は知っていましたが、こういう歌も歌うんだと当時は思ったものでした。

「おもいで」 キングレコード BS-390 (1966年発売)
作詞 水島 哲 作曲 平尾昌章 編曲 森岡賢一郎
  
優しいメロデー、
でも素人が、歌おうと感情を入れすぎるとだめなので、簡単なようで難しい・・・
当時、和製ポップスとして非常に新鮮に聴こえた曲でした。

この歌、
平尾昌晃が「ミヨちゃん」の次の歌として水島哲さんに詞を依頼し、自らが曲を付けて最初に歌ったのですが、「ミヨちゃん」の陰に隠れて売れなかったようです。
しかし、北海道のアマチュア・エレキ・バンドがこの曲を取り上げて北海道中を演奏したことから、「あれは何という曲だ」ということで噂が広まり、HBCラジオのリクエストでも1位になり、巡り巡ってキング・レコードのディレクターが布施明に歌わせることにしたのだそうです。

この辺の経緯は、平尾昌晃が出演した番組や、自らの著書「昭和歌謡1945~1989」歌謡曲黄金期のラブソングと日本人」の中で詳細に語っています。

この本によると、布施明に歌わせる条件として、『平尾昌晃が歌っている通りに歌わせる』ことだったそうですが、そうなれば「2人の歌も聴き比べてみたい」と思いますよね。
しかし、平尾昌晃が歌った当時のレコードは、今では簡単に手に入りません。

北海道で火がついた後、キング・レコードが廃盤になったレコードを3万枚再プレスしたのだそうですが、それは今から50年も前の話です。

しかし、探せばあるものです。(但し4曲入りのEP盤ですが)
  

発売年は、布施明のEP盤同様、こちらも1966年となっています。
アレンジも似ているし、布施の歌は平尾昌晃のそっくりサンでした。
(後に、布施はオリジナルの歌を何回も聴いてコピーしたと語っています)

最近、平尾昌晃に関する記事を見つけました。(ちょっと気がかりです)
作曲家で歌手の平尾昌晃さん(77)が2015年1月15日、肺炎のため救急搬送され、次男の平尾勇気さん(33)が19日にブログで報告しています。
勇気さんは「ご報告」と題したブログで「一時は危篤状態が続き非常に危険な状態でした」と昌晃さんの容態を説明した。
19日早朝に更新したツイッターでは「今は少しづつ回復に向かっています!皆様、親父が元気になるように祈って頂けましたら幸いです!」と書いている。
昌晃さんは14年大みそかのNHK紅白歌合戦で「蛍の光」の指揮を担当していた。
所属事務所によると、退院のめどはまだ立っていないということだが、現在は快方に向かっているという。



番外ですが、同名異曲もあります。
現在は演歌の大御所の一人ですが、彼女が歌っているのはアイドル時代のポップスです。
「おもいで」 日本コロムビア (1974年1月発売)
作詞 有馬美恵子 作曲 遠藤 実 編曲 斉藤恒夫
  


平尾昌晃が作る優しいメロディーが好きで、彼の作曲した歌を現在収集しています。
何時か、それらについても取り上げてみたいと思います。

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春を迎える準備

2015-02-16 | 日々の暮らし
我がマンションの周囲は、入居当時から住人による自主管理となっていて、
月に一度は「環境デー」として、住人総出による清掃、草取り、樹木の剪定等の作業があります。

毎年この時期には恒例の芝焼きがあり、今年も昨日(15日)行われました。

   
 
   

建物の隅には「ふきのとう」も芽を出していました。
もうすぐ春がやってきます。



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パトリシア・ポーリンの歌う日本のヒット曲

2015-02-15 | 演歌・ポップス
フランスの歌手、パトリシア・ポーリンが歌った日本のヒット曲、
今でいうカバー曲ですが、凡そ40年前に録音されたものです。
前回、岡崎広志の歌う「グッドバイ・マイ・ラブ」を取り上げたので、彼女の歌う同名異曲を取り上げてみました。

これはアン・ルイスの歌で、過去に「2つのグッドバイ・マイ・ラブ」で取り上げたことがある平尾正晃の作曲によるものです。
そしてもう1曲は、奥村チヨのオリジナル「終着駅」です。

パトリシアは1974年6月に日本で開催された「第3回東京音楽祭世界大会」に2人のフランス代表として出演しています。
その機会を捉えてレコーディングされたもので、数曲の中からEP盤にカットされたものです。

「終着駅 / グッドバイ・マイ・ラブ」 ビクター音楽産業 SS-2409
   
2曲共に可憐な仏語で歌っていて、完全なフレンチ・ポップスとなっています。

彼女のディスコ・グラフィーを調べてみたところ、沢山のアルバムがありました。
Patricia PaulinのDiscoglaphy

ついでにこの2曲のオリジナル盤も掲載しました。(アン・ルイスは再登場です)
「グッド・マイ・ラブ」 日本ビクター SV-2408 (1974年発売)
作詞 なかにし礼 作曲 平尾正晃 編曲 竜崎孝路
   

「終着駅」 東芝 TP-2593 (1971年12月発売)
作詞 千家和也 作曲 浜 圭介 編曲 横内章次
  

奥村チヨは「恋の奴隷」「恋泥棒」「恋狂い」という「恋の3部作」の後、2年ほど低迷していましたが、イメージ・チェンジを図ったこの歌が38万枚のセールスを上げ、1974年には作曲家の浜圭介と結婚しています。

よって、この2曲はいずれも「1974年」という年に絡んでいました。

そこで、この年の主な出来事を「フリー百科事典」から拾ってみると
 1月31日 - シンガポールで日本赤軍がロイヤル・ダッチ・シェルの石油タンク爆破。
 2月21日 - 朝日新聞朝刊の長谷川町子の4コマ漫画『サザエさん』の連載が長谷川の病気によりこの日で終了。連載回数は通算6477回。
 3月10日 - ルバング島で小野田寛郎元少尉を発見。
 4月 6日 - 第46回選抜高校野球大会で部員全11人ながら準優勝と健闘した徳島・池田高校が「さわやかイレブン」として脚光を浴びる。
 4月22日 - インドネシアのバリ島でパンアメリカン航空ボーイング707型機が墜落。日本人は29名を含む107名全員が死亡。
 5月15日 - セブン-イレブンが東京都江東区豊洲に第1号店を出店。
 6月26日 - 国土庁が設置される。
 7月24日 - 北の湖が史上最年少(21歳2か月)で第55代横綱昇進。
 8月 8日 - ウォーターゲート事件でニクソン米大統領辞任。フォード副大統領が大統領に昇格。
 8月15日 - ソウルで朴大統領狙撃事件(文世光事件)。
 8月29日 - 『ベルサイユのばら』が宝塚大劇場で初演を迎える。
 8月30日 - 東京都千代田区丸の内の三菱重工業本社で時限爆弾爆発(三菱重工爆破事件)。
 9月13日 - 日本赤軍がオランダ・ハーグにあるフランス大使館を占拠(ハーグ事件)。
10月14日 - 巨人の長嶋茂雄選手が後楽園球場の対中日ダブルヘッダーを最後に引退。
11月 4日 - 本田技研工業が「シビックバン」を発売。
12月 9日 - 田中金脈問題で田中角栄首相辞任。三木武夫内閣発足。


振り返ってみると、この年も多くのことがありました。

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岡崎広志のライブ・アルバム

2015-02-14 | JAZZ
広島の出身の岡崎広志、
19歳で大阪毎日放送MBSジャズ・オーケストラを皮切りに、ビックバンドの名門「シャープス&フラッツ」、「ブルー・コーツ」を経てサックス奏者として注目されると共に、ボーカルも得意で「フォー・シンガーズ」というグループを結成して活動していた時期もありました。

ここに取り上げたアルバムは、そのコーラス・グループと共に、「東京赤坂のALBATROSS」で行ったライブの模様を収めたものです。

時は今から丁度35年前のヴァレンタイン・デー、
収録されている全12曲は、いずれも馴染みのスタンダード・ナンバー、
アルバムのトップは、今日に相応しい「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」で、スムースで、ソフトな歌を聴くことができます。

「岡崎広志 LIVE AT ALBATROSS」 日本ビクター SJX-20192
  
 1. MY FUNNY VALENTINE
 2. LIFE IS BEAUTIFUL
 3. BUT BEAUTIFUL
 4. HOW DEEP IS THE OCEAN
 5. SHE WAS TOO GOOD TO ME
 6. MEDITATION
 7. YOU MUST BELIEVE IN SPRING
 8. LIKE SOMEONE IN LOVE
 9. YOU DON’T KNOW WHAT LOVE IS
10. THE GENTLE RAIN
11. AS TIME GOSE BY
12. THANKS FOR THE MEMORY
岡崎広志(vo, as, ts) 甲斐恵美子(p) 斉藤 誠(b) MIKE REZNIKOFF(ds) 
FOUR SINGERS(cho)(A-1, B-6)  録音 1980年2月14日

なお、岡崎広志は以前「2つのグッド・マイ・ラブ」で一度紹介していますが、当時は自身のアルバムが手元にありませんでした。
今回、岡崎広志自身の「グッド・マイ・ラブ」のEP盤が見つかったので、ここに改めて掲載しました。

「グッドバイ・マイ・ラブ」 東芝EXPRESS ETP-2588
作詞 芝野未知 作・編曲 岡崎広志
  
こちらの歌声も素敵です。

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これも再発

2015-02-12 | JAZZ
英・蘭の3強によるフリー・インプロビゼーション・アルバム
レコード番号 INCUS 1

このアルバムのギタリストである英国出身のディレク・ベイリー、
1932年生まれで、11歳からギターを始め、55年からはダンス・ホール、劇場、放送局、スタジオ等でプロのコマーシャル・ギタリストとして働いています。
その後、地元のミュージシャンとの活動を経てロンドンに進出し、スポンテニアス・ミュージック・アンサンブルに参加し、フリー・スタイルの即興演奏を推進しています。

再発されたレコードは、ディレク・ベイリーが、エヴァン・パーカー、トニー・オクスリーと共に設立した会社の第1弾で、この後も、このレーベルからソロ、デュオ、トリオ他様々なセッティングによる即興演奏がレコード化されています。

このレコード、購入してからウン10年が経っていますが、この度再発されたというニュースを聞いて、引っ張り出してみました。
但し、これもレーベルは「白」であることから初盤ではありません。(初盤は青レーベルです)

《 レコード店のインフォーメーションから 》
エヴァン・パーカー、デレク・ベイリー、ハン・ベニンクという強力な3人による、記念すべきINCUSレーベルの第1弾、
ヨーロッパ・フリー・ジャズの歴史的名作が、約37年ぶりに遂にアナログ復刻!パーカーの自己名義による初アルバム。
のちにICPでリリースされることになったベイリー〜ハン・ベニンクのDUOアルバム等も経て、エヴァン・パーカーが強く望んで録音したものとして知られている。
当時デレク40歳、エヴァン26歳、ハン28歳の録音。
1970年に書かれたエヴァン・パーカー自身の解説も当時の様子を表しており、デレク・ベイリー亡き2006年の文章とともに興味深い。
アルバムタイトルの意味は「肺の局所解剖学」。
左にデレク、右にエヴァン、中央にハンを配し、完全即興演奏を繰り広げる。デレク・ベイリーのスピード感とエヴァン・パーカーの説得力のある演奏がこのアルバムを極めて特異なものにしている。
ノイジーでアグレッシヴな迫真の即興インタープレイが闊達に展開される。
即興音楽史上「真に記念すべきアルバム」といえるヨーロッパ・フリー・ジャズの歴史的名作。


「THE TOPOGRAPHY OF THE LUNGS」 Incus 1
  
A1. Titan Moon
B1. For Peter B. & Peter K.
B2. Fixed Elsewhere
B3. Dogmeat1.titan Moon
Evan Parker(ss,ts)  Derek Bailey(g)  Han Bennink(per)
録音 1970年7月13日

ところでオジサン、このレコードを久し振りに聴いてみましたが・・・
スピーカーの左寄りにギター、右寄りにサックス、中央にバーカッションという配置で、
一切の「調整」を持たないギター、グギャ・グギャ・ピー・ピーのサックス、バシャ・バシャ・ドス・ドスのドラムス。
A面は1曲となっていますが、1回の休憩(無音部)を挟み、B面3曲、いずれのパートもアラシです。

なお、ディレク・ベイリーは、過去に「英国人ギタリストのソロ・アルバム」のコーナーで、一度紹介済です。

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