3月最後のこの日、天候はグッドで、一日中晴れていました。
今年は2月に大量の雪が降り、2週間程前までは多くの残雪があったので、その後はどうなったのだろうと、何時もの場所に車を走らせました。
まずは富士吉田市に入ったところで、車中から。 (運転中なので気を付けて!)

そして何時もの撮影ポイントへ・・・
たった2週間で、地上の雪はすっかり消えていました。(右側は同じ場所の2週間前)

道路の雪が解けていたので、お山に向かって暫らく車を走らせてみました。
まずは吉田口登山道へ・・・

中の茶屋まで行ったところで、通行止めとなっていました。
それでは富士スバルラインはどうかと・・・

午前9時営業開始でこの先3㎞までは進めるとの案内が・・・
到着したのは早朝だったので、当然閉まっていました。
今日は夕方になってもお山がまだはっきり見えたので、富士吉田市の中で有名な撮影スポットの一つである「新倉富士浅間神社」に立ち寄ってみました。
http://japan-web-magazine.com/japanese/yamanashi/arakura-sengen-jinja/
富士の眺め日本一
地元の人々からは「忠霊塔」と呼ばれ親しまれているのが、山梨県富士吉田市の下吉田駅から程近い場所にある新倉富士浅間神社(あらくらふじせんげんじんじゃ)だ。
創建は705年(慶雲3年)、甲斐国八代郡荒倉郷の氏神として祀られたのがその始まりという。
戦国期には武田信虎(武田信玄の父)が領国を接していた北条氏との戦の際、神社の境内地である新倉山に陣取り、この新倉富士浅間神社で必勝祈願、首尾よく戦に勝利したことにより刀を奉納したと伝わっている。
北口本宮冨士浅間神社が、富士山信仰と深く結びついた、外部の人々(地元以外の人々)からの崇敬も受けた大きな神社(勿論地元の人々の崇敬も受けている)であるのに対し、この新倉富士浅間神社は、近くにある小室浅間神社と共に特に付近の住民達の崇敬を受けてきた比較的こじんまりとした神社だ。
それゆえに普段は、大きな神社の様に駐車場へ入るための渋滞が起きたり、境内が混雑するようなことも殆どなく、おだやかで親しみのある雰囲気に満ちている。
「忠霊塔」も本来は神社本殿からさらに登った場所にある五重塔のことなのだが、塔を含めた境内全体を地元の人々は親しみと「誇り」を込めて「忠霊塔」と呼ぶのだ。

撮影スポットに行くためには、この長~~~い階段を上らなければなりません。
階段を上り終えると「忠霊塔」といわれる鮮やかな5重の塔があります。
その塔の後からの「絵」が、カレンダーやポストカードで登場する富士山です。

今はまだサクラの開花には一寸早いので、つぼみと富士山になりました。
この撮影スポット、富士吉田市が一望に眺められることでもお勧めです。

この撮影スポット、老人が一気に上るのはちぃ~ときついですが、次回はクッキリ晴れた青空の下での撮影に挑戦したいと思います。
今年は2月に大量の雪が降り、2週間程前までは多くの残雪があったので、その後はどうなったのだろうと、何時もの場所に車を走らせました。
まずは富士吉田市に入ったところで、車中から。 (運転中なので気を付けて!)



そして何時もの撮影ポイントへ・・・
たった2週間で、地上の雪はすっかり消えていました。(右側は同じ場所の2週間前)




道路の雪が解けていたので、お山に向かって暫らく車を走らせてみました。
まずは吉田口登山道へ・・・



中の茶屋まで行ったところで、通行止めとなっていました。
それでは富士スバルラインはどうかと・・・



午前9時営業開始でこの先3㎞までは進めるとの案内が・・・
到着したのは早朝だったので、当然閉まっていました。
今日は夕方になってもお山がまだはっきり見えたので、富士吉田市の中で有名な撮影スポットの一つである「新倉富士浅間神社」に立ち寄ってみました。
http://japan-web-magazine.com/japanese/yamanashi/arakura-sengen-jinja/
富士の眺め日本一
地元の人々からは「忠霊塔」と呼ばれ親しまれているのが、山梨県富士吉田市の下吉田駅から程近い場所にある新倉富士浅間神社(あらくらふじせんげんじんじゃ)だ。
創建は705年(慶雲3年)、甲斐国八代郡荒倉郷の氏神として祀られたのがその始まりという。
戦国期には武田信虎(武田信玄の父)が領国を接していた北条氏との戦の際、神社の境内地である新倉山に陣取り、この新倉富士浅間神社で必勝祈願、首尾よく戦に勝利したことにより刀を奉納したと伝わっている。
北口本宮冨士浅間神社が、富士山信仰と深く結びついた、外部の人々(地元以外の人々)からの崇敬も受けた大きな神社(勿論地元の人々の崇敬も受けている)であるのに対し、この新倉富士浅間神社は、近くにある小室浅間神社と共に特に付近の住民達の崇敬を受けてきた比較的こじんまりとした神社だ。
それゆえに普段は、大きな神社の様に駐車場へ入るための渋滞が起きたり、境内が混雑するようなことも殆どなく、おだやかで親しみのある雰囲気に満ちている。
「忠霊塔」も本来は神社本殿からさらに登った場所にある五重塔のことなのだが、塔を含めた境内全体を地元の人々は親しみと「誇り」を込めて「忠霊塔」と呼ぶのだ。



撮影スポットに行くためには、この長~~~い階段を上らなければなりません。
階段を上り終えると「忠霊塔」といわれる鮮やかな5重の塔があります。
その塔の後からの「絵」が、カレンダーやポストカードで登場する富士山です。



今はまだサクラの開花には一寸早いので、つぼみと富士山になりました。
この撮影スポット、富士吉田市が一望に眺められることでもお勧めです。



この撮影スポット、老人が一気に上るのはちぃ~ときついですが、次回はクッキリ晴れた青空の下での撮影に挑戦したいと思います。