検索という行為は、意思によってはじめられます。
その意思の持ち方は、ふたとおりあります。
ひとつは、これ見てごらんを素直に受けて、それではと動き出す意思です。
もうひとつは、自分から何かに疑問を持ったり、知りたい欲求が首をもたげたりして、動き出す意思です。
検索という行為には、型があります。
ズドンと一本立った電柱のような型もあれば、枝別れの多い樹木のような型もあります。
そこに降り注いだ雨が、すぐ流れ去って乾いてしまうか、葉や枝にゆっくりしみこんでいくかどうか、検索の効果は型次第です。
浮かんだ疑問を、どこまで持ち続けられるか、その力が検索の型にあらわれます。
それが筋力なのか精神力なのか、問い究めようとする人には出会いません。
ビジネスの種にならないことには、どなたも関心を寄せたがらないからでしょう。