自動更新には、性能補完のための自動更新と、金銭契約の自動更新があります。
自動にすることはプラス志向であると思う人が多いのは宗教的魔物のせいなのですが、人々はそう思いたがりません。
誰しも"自動"は便利と思いがちで、自動の仕掛けは、多少の不備は見逃され、ついされるがままに放置されます。
使いもしない機能をどんどんため込むOSの自動更新などは、軽さ好みのうっかりユーザーにとっては、性能補完ではなく性能過剰ではないかと思います。
こうなってほしいという思いが募れば、欲求が目を曇らせ、それしか見えなくなるので、自動更新と名付けたまやかし商法の格好の餌食になります。
餌にされないよう、何事もよく確かめて対処するには、かなりの面倒が付きまといます。
自動というのは、便利そうで厄介ごとのたねを運んでくるカゼのようなものにみえてきます。
いや、ものでもなく、見えもしない、まとまりのつかない面倒なことがらのようです。