パソコンで自分史を作りたいので、これからパソコンを習おうと思うがどうだろうかという話が同年代の人からあった。
おやめなさい、と冷酷かつ適切な回答をしておいた。
それなら手書きがよい、何人かの人に読ませたいならコピーもできる。パソコンのデータに仕上げたければ、手書きのものを打ち込んでもらえばよい。
ぽっつんぽっつんとキーをたたきながら、日々の落書きならともかく、自分史を書こうなどと始めたところで、超快速特急でも3年はかかるだろう。
パソコンで文字を書くのは、推敲修正を含めて手書きよりも早く書けるからで、手書きより早くできる見込みがなければパソコンを使う意味はない。
仮想化前提時代という妙な言葉をメルマガで見つけた。ITインフラ全体の最適化をすすめようという売り込み文句なのだが、主題が仮想化だからいまひとつ具体像をつかみにくい。
パソコン自分史も、どこか似ているとは言わないが、共通の何かがありそうな気がした。
自分史という、広げれば無限に広がるような主題に取り組もうというのに、その筆記形式に、これから習得するパソコンを使うことを前提にしようというのだ。
他人が考えても気の遠くなるような話である。
自分史を作るということが前提なら話は別で、はじめの1ページであきらめて手書き原稿に切り替える方法もある。
ご本人は、どちらが本命なのだろうか、確かめなかったが、まあよかったことにしておこう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます