パソコンソフトが巧く動かないのは、人を見るからという話があります。
巧く使ってやれば普通に動くものでも、下手に使えば普通以下にしか動かないというわけです。
ある操作が、AのソフトではできてもBではできず、別の操作が、BではできてもAではできない、そういうこともあった体験を昨日書きました。
そこで別の操作の例にあげたのは「挿絵画像のサイズ変更」です。
Aのブラウザでは、絵のような編集ができるのに、Bではできません。
人を見るというのは、困らせてやれということなのでしょうか。
A、Bどちらでも、何でもできるようになりそうな手段の目星が、実はついているのですが、その前にもう少し試したいことがあるので、いまその手段は後回しということにしています。
どういうことなのかは、宣言が後退の始まりというS細胞研究の例もありますので、先に書くことも言うこともしないことにしておきます。
ソフトが人を見ているのも、こんなところなのかもしれません。
相手のシステムも、こういうところを見ているような気がしています。
これが何のことかわからないのはあたりまえ、なにしろクラウドの社会ですから。
「煙に巻く」という言葉は、たばこが虐待されているいま、「雲に巻く」に変わってるようです。
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