「ま」の検索では、地図に「ま」が三つ。
鍼灸と整体は関係が深そうですが、たくあんはまったくかかわりがありません。
午後にでも行ってみようかと、いま思っています。
業種表示はスーパーマーケットとなっているので、たまごを売ってるかどうか。
「ま」の検索では、地図に「ま」が三つ。
鍼灸と整体は関係が深そうですが、たくあんはまったくかかわりがありません。
午後にでも行ってみようかと、いま思っています。
業種表示はスーパーマーケットとなっているので、たまごを売ってるかどうか。
「や」の検索では、やはり「Yahoo」がはじめに出てきます。
よくわからないことが二つあります。
1.Yahooメールを使う人に、ブラウザを起動してYahooのトップに入ってからメールを呼び出すという回り道を、律儀に繰り返す人がなぜ多いのか。
2.ポータルサイトは自分が何か探したいから見るのに、「あなたへのおすすめ」という余計なお世話画面の出てくるこの構成がなぜ好まれるのか。
「く」の検索では「『く』から始まる料理を探す」というサイトが目立ちました。
掲載数で群を抜いているのが黒毛和牛、2千件を超えています。
牛肉の最高峰といわれる和牛の代表格ですから当然でしょう。
余寿命半年の宣告を受けたら、最上のほんものを一度食べておかなければ、閻魔さまに顔が立ちません。
「お」の検索では、やはり丁寧表現、敬意表現の、「御」のかな書きがぞろぞろ出てきます。
お食事、お惣菜、お店、お電話、おてがる、お買物と続きます。
一つだけ「お」の字がない、なぜここにという宅配便のサイトがありました。
「このページの情報はありません」と書いてあります。
飲料陳列棚に混ざった空ボトルのようなそこには情報がないはず、用済み便の「お荷物問い合わせサービス」でした。
臨時サイトの消し忘れかとも思いましたが、そうではなく、繰り返し使える共通様式なのです。
それなら、「このページの情報はありません」という表示がおかしいので、「ページの情報」の意味を取り違えた検索エンジンの使い方の問題かもしれません。
読ませたくない謝罪記事を、載せて置いて出にくくするという、新聞社のメタタグ詐手に比べれば、その反対に、繰り返し使うサイトを、とんでもないところで検索に引っ掛かるようにしておくのは、罪は浅くても、ほめられたことではありません。
「の」の検索ではWikipediaにちょっと引っかかり、そこに『中華圏における「の」』という項目を見つけました。
「の」の字は、中国語の簡体字の一種として用いられるまでにのしていっているようです。
ただし、発音は [de] です。
「の」が「で」と読まれ、「での」に近いような意味がかすかにありそうなのです。
まったく違う文字で、意味だけがつながっている、そのところが面白いのです。
「ゐ」の検索、普段使わないかなです。
漢字制限のついでに使わせなくされてしまったかな文字のひとつです。
「居る」のかな書きは、もとは「ゐる」でした。
話の中で「居る」を「↓↑」でなく「↑↓」と発音する人がいます。
奇異に聞こえても、居どころ立ち位置をはっきり表現するには、「ゐ」のほうを高くして力を入れる「↑↓」のほうが、多少耳障りでも、ときには適しているのかもしれません。
「ら」の検索で最初に出てきたのは「らっだぁ」というサイト、rader と書かれていて普通に読むとレイダー、電波探知機の radar とも違い、載せている動画もほかの星の人の感覚のよう、これはわからないので敬遠、その次は「ら」という題名の映画の紹介でした。
ラは人間の基準音で、産声もラと言われると、そうなのかと思ってしまいますが、地球上のどこでも、産まれてくる子が皆同じ声を出すはずはありません。
ピアノの真ん中のキーもラだそうですが、これも、ハ長調ならラに聞こえても、ほかの音階では違う音になります。
なんでも「ラ」からと言えば、筋が立てやすく、響きも好いので、映画の主題には格好なのでしょう。
ここには「国際基準周波数」という、科学的らしいいかめしい言葉も登場しています。
1953年にISOによって制定された国際基準値440Hzがそう名付けられています。
数値表現にしておけば、合っている、違っているという論争がなくなるということなのでしょう。
しかし、ウィーンでもベルリンでも、交響楽団で実際に演奏される基準音の周波数を測定してみると1~2%高いそうです。
音は音なり、文字や数字は後付けの理屈ということになりそうです。
「な」の検索では、「な !」さんというビックリマークつきの名前が出てきました。
ニコニコには、静画のサイトもあって、「な !」さんはその制作者のひとりです。
「静画」というのは、動画の手前、面白みのある呼び方です。
「動く」の対語には、「止まる」だけではなく、「静かに、動かない」というのもあったのです。
絵画や彫刻は、動かない状態の表現によって、文化水準を動かしてきました。
動くものを見るのは楽しいものですが、その楽しみは、動かない状態にして観る絵画や彫刻とは、意識の向きが逆方向です。
自分がいつも動いている動物からすれば、その楽しみ方は、原始のほうへの逆戻りで、進んでいるのではないのかもしれません。
「つ」の検索では、「津」のボートレースが先に出てきました。
ボートレースは、1レース6艇で競われ、公営競技の中で競争相手が最少、したがって着順的中確率最大、全国に24か所の会場があって、「津」はその一つです。
「伊勢は津でもつ」というせりふから思い出すのは、まだ降り立ったことのない、1文字駅名の「津」です。
記憶の中では、朝もやの中で駅の放送を聞いた、「おお津」とが混同しています。
ついでに1文字の駅名がどのくらいあるのかと調べたら、全国で約89駅ありました。
約の意味は、だじゃれではなく、別の社の駅と共同使用のところは別に数えてあるからです。
「そ」の検索では、かなの形を問題にしたサイトがはじめのほうに出てきました。
「そ」を書くときに、最上部をつなげて書くか、分けて書くか、どちらなのかということです。
つなげないほうが見間違いはなさそうですが、字の感じはきつくなります。
あらためて自分の書きかたはと、鉛筆を持ってみましたが、そのときどきで決めてなかったことがわかりました。
走り書きにはつなげたほうがよく、ゆっくりはっきり書くには分けて書くほうがよいからです。
正誤を論ずる必要はないと思いますが、皆さんはどちらかに決めていらっしゃるのでしょうか。