agechidaigakuさんも外野席からの観戦が良い思い出となっていらっしゃるのですね。
かつて芝生席のあった頃の神宮の写真を、もう一枚見つけましたので、ご覧になってみてください。
agechidaigakuさんが後ろ姿をご記憶されていたという林田真人外野手は、角帽がとても良く似合い、走る姿が抜群に美しい選手でした。
角帽が似合うことについては中村勝広さん(成東高校‐早大‐阪神)と双璧、走る姿の美しさでは松本匡史さん(報徳学園‐早大‐巨人)と双璧だったと私は思っています。
かつては、野球選手といえば上級生といえども丸刈りでしたから、外出する際には角帽を被った方が、むしろシックリきて良かったと思いますし、上級生まで使い込んで年季の入った角帽には、新品にはない独特の貫禄があります。
もちろん林田さんも、四年生で主将となった時といえども丸刈りでした。
なんといっても、体を鍛えている運動部員には、角帽と学生服が良く似合います。
今は、上級生になると髪を伸ばして、美容院にカットにいったりもしますから、角帽を被るのは下級生の時だけですね。
林田さんは1967年(昭和42年)秋のドラフトで阪神から三位指名を受けたのですが、入団を拒否して社会人野球のクラレ岡山に進みました。
そのあたりのことは、林田さんと同期である姫路のM先輩が、ご自身のブログの中で触れていらっしゃいました。
ブログへのリンク
なお、Mさんは、『フリッパー』というニックネームで林田さんを呼んでいらっしゃったような記憶があります。
スポーツ・メディアは、後にプロ入りした選手ばかりが、その時代の大学野球を支えていたかのように、とかく報道しがちです。
でも、林田さんのようにプロ入りしなかった選手にも素晴らしい方がたくさんいらっしゃって、大車輪の活躍で、それぞれの時代の屋台骨を支えているんですね。
今回は、個人的に以前からファンだった林田さんを話題に取り上げることができて、本当に嬉しく思います。
かつて芝生席のあった頃の神宮の写真を、もう一枚見つけましたので、ご覧になってみてください。
agechidaigakuさんが後ろ姿をご記憶されていたという林田真人外野手は、角帽がとても良く似合い、走る姿が抜群に美しい選手でした。
角帽が似合うことについては中村勝広さん(成東高校‐早大‐阪神)と双璧、走る姿の美しさでは松本匡史さん(報徳学園‐早大‐巨人)と双璧だったと私は思っています。
かつては、野球選手といえば上級生といえども丸刈りでしたから、外出する際には角帽を被った方が、むしろシックリきて良かったと思いますし、上級生まで使い込んで年季の入った角帽には、新品にはない独特の貫禄があります。
もちろん林田さんも、四年生で主将となった時といえども丸刈りでした。
なんといっても、体を鍛えている運動部員には、角帽と学生服が良く似合います。
今は、上級生になると髪を伸ばして、美容院にカットにいったりもしますから、角帽を被るのは下級生の時だけですね。
林田さんは1967年(昭和42年)秋のドラフトで阪神から三位指名を受けたのですが、入団を拒否して社会人野球のクラレ岡山に進みました。
そのあたりのことは、林田さんと同期である姫路のM先輩が、ご自身のブログの中で触れていらっしゃいました。
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なお、Mさんは、『フリッパー』というニックネームで林田さんを呼んでいらっしゃったような記憶があります。
スポーツ・メディアは、後にプロ入りした選手ばかりが、その時代の大学野球を支えていたかのように、とかく報道しがちです。
でも、林田さんのようにプロ入りしなかった選手にも素晴らしい方がたくさんいらっしゃって、大車輪の活躍で、それぞれの時代の屋台骨を支えているんですね。
今回は、個人的に以前からファンだった林田さんを話題に取り上げることができて、本当に嬉しく思います。