外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

定点観測

2012-07-04 18:07:28 | 社会全般
野球部員たちの多くは、帰省しています。
出身校の野球部を訪ねたり、クラスメイトと集まったり、それぞれのオフを満喫しているようです。

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今朝の日経新聞一面のコラム「春秋」に、現代の若者から『昭和時代の学生って、どんな生活していたんですか?』と聞かれたというくだりがありました。

考えてみれば、現在の大学生たちの大半は平成生まれ。
昭和生まれの私たちが大正時代を遠い昔と感じるように、平成生まれの若者たちにとっての昭和は、既に大昔という感じなのかも知れません。

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以前、「早稲田の出身者は、授業に出なかったことを、やたらと自慢する傾向がある」と、知人から言われたことがあります。
私自身も思い当たる節がないわけではないのですが、そこは「早稲田での四年間が抜群に楽しかったと、早稲田なりの表現方法で自慢しているんですよ」と苦笑いしながら応じました。
(;^_^A
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父の葬儀や諸手続きのために休暇を取ったので、普段とは異なる時間帯に自宅周辺を歩いたり、ご近所の方々とお話しする機会が増えました。

美しい妙齢の女性とすれ違いました。
その横顔から、「あっ、今の人は、何年か前に同じバス停に立っていたセーラー服の女の子だ」と思い当たりました。

また、町内でウォーキングしている高齢の男性。
私が社会人になったばかりの頃に、スーツをビシッと着て、いつも朝の一番バスで出勤する日商岩井の商社マンでした。

昔も今も変わらぬ街並みですが、そこに住む人々は、確実に齢を重ねていました。
かくゆう私自身も、5年後には年金受給者になってしまうのですから、歳月の流れは早いものです。

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父の通夜においでいただいた近所の奥様と、初めて世間話をしました。
ご高齢ながらも実にお元気な方ですが、四歳の時に広島で被爆したとおっしゃるのでビックリ。

その奥様Kさんによれば、
爆心地から3キロほど離れた地点にKさんの自宅があった。
原爆が投下された時、Kさんは隣の家に行こうとして自宅の裏庭を歩いていて、爆風と光線は自宅で遮られて無事だった。

家族が自宅の居間に蚊帳(かや)を吊って横になっていた。爆風で自宅の窓ガラスが砕けて居間に吹き込んできたが、蚊帳がガラスを通さなかったため、家族も無事だった

しかし、自宅の前に出てみると、表通りを歩いていた兵隊さんたちは、みんな即死していた。
もしKさんが表玄関から隣に行こうとしていたら、兵隊さんと同じ運命だった

自宅が激しく傷んでしまったので、一山越えた親類の家に避難した。
避難途中ですれ違った人々は、衣服や皮膚が焼けただれ、地獄のような光景だった

中学を卒業するまで、Kさんはそこで育った
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毎日、朝早く出かけて、夜に眠りに帰ってくるだけでの町で、ちょっとだけ緩やかな時間を過ごしました。
Comments (4)
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