月曜日の夜、NHKの「サラメシ」(サラリーマンの食事)という番組で、新入社員たちが4月1日に初めて食べるランチの様子を紹介していました。
番組のWeb
社員食堂で同期の仲間と和気あいあいと定食を食べる若者もいれば、役員室で社長さんたちと緊張して折り詰め弁当食べる若者も。
みんな頑張ってください。
=======
私自身の初サラメシの記憶を辿ってみました。
1979年(昭和54年)の4月1日が日曜日だったので、銀行の入行式は3月31日に行われました。
ちなみに当時の銀行は、土曜日も午前9時から12時まで、いわゆる半ドンで窓口業務を行っており、行員の所定勤務時間は8:45から14:15となっていました。
朝9時からの入行式を終えて、私は配属となった横浜市内の支店に向かいました。
次の月曜日から1ヶ月間の集合研修に参加することになっていたので、「今日は、簡単に挨拶するだけだろうな」と考えながら、正午前にオフィスに到着。
初めて見る銀行事務の現場は、まるで戦場のようでした。
コンピューター化やセンター集中処理も道半ばという時代でしたから、手間のかかる事務が支店ごとに大量処理されていました。
月末の手形小切手の決済、大量の送金事務、年度末の決算事務などを、半ドンの短い時間内に確実に処理しなければならないのですから、先輩行員たちの仕事ぶりは殺気だっているようにも見えました。
「昼食は、交代で早番11:30、遅番12:30から済ませる」と人事部から聞いていたのですが、誰1人として食事にいく行員がいません。
「皆さん、昼食は取らないのですか?」と、副支店長に訊くと、「食事は、担当部署の伝票類の処理を終え、その集計金額と電算機上の集計金額を照合した後だな」との返答。
実際、先輩行員たちが食事に行き始めたのは14時を回った頃でした。
短大卒・高卒の新入行員たちは、定期預金、当座預金など各々の担当部署の課長たちと、私は支店長・副支店長と一緒に、昼食をとることになりました。
私たちは、お取引先の中華料理店に入りました。
そこは、共産革命のために日本へ逃れて来たという中国人がご主人。
「ウチの今年度の新人です。早稲田の法学部を卒業しました」と慶応出身の支店長から紹介されると、「早稲田ですか。まずまずですね」とご主人……
「早稲田は "まずまず " かあ」と内心思ったのですが、聞けば、そのご主人は中国本土では由緒ある資産家だった方で、台湾政府の要人たちと今も親しいのだと。
そして、息子さんたちは東大医学部を卒業して横浜市内で個人病院を開業していました。
昼食時間にしても、お客様のバックグラウンドにしても、「下手な先入観は捨ててかからなければならないぞ」と痛感する初サラメシでした。
(^^;;
なお、初サラメシのメニューは、炒飯と海老ワンタンだったと思います。