高校二年生でクラブ仲間と始めて以来、大学卒業までの約六年間、どっぷり麻雀に浸かりました。
指からはペンだこが消滅して、代わりに盲牌だこができました。
それこそ夢の中にも麻雀が出てくるぐらい熱中しましたので、麻雀に関する漫画もずいぶん読みました。
多くの麻雀漫画は、プロ雀士の息詰まる対決を描いたシリアスな劇画です。
しかし、片山まさゆきさんの「ぎゅわんぶらあ自己中心派」は、徹底的に麻雀をパロディ化した点で、異色の傑作でした。
まず、登場人物の設定が笑えます。
例えば、
いつも理詰めで確率重視のギャンブラー「全自動の狼」
麻雀に関する格言を熟知し、それらをつぶやきながら手作りする「格言キッド」
お金も実力も運も無いのに麻雀好きで、やればやるほど落ちぶれていく「貧乏おやじ」
迷彩も何もないカンチャン待ちなどのタコ麻雀で周囲を混乱させる「オクトパスふみ」
いかにも自分の麻雀仲間にも良く似たキャラクターが実在していそうな、典型的な人物が次々に漫画の中に登場します。
また、私と同世代である作者の片山さん(確か、現役の明大生)ならではの奇抜なストーリーも楽しめます。
例えば
ウルトラQの怪獣ペギラ、バルタン星人、ガラモンが雀荘に現れて、最後はバルタンが腕のハサミの中に麻雀牌を隠してイカサマする話
革マルと中核派が麻雀をやり、負けた中核派が「我々の戦いは勝利だった」と負け惜しみのアジ演説を始める話
就職活動にちなんだ牌を使った麻雀で、東京海上とか三井物産などの人気企業を三枚揃えると役がついたり、当時の都銀13行だったことにかけて国士無双・都銀13面待ちをあがったりする話
アパート探しにちなんだ牌を使い、田園調布などを揃えてあがると高い点数になり、成増などであがると安あがりになる話
よくもまあ、次から次に、キャラクターやストーリーを考え出したものだと感心してしまいます。
言ってみれば、「ゲバゲバ90分」に近いノリでしょうか。
恐らく人生の間で最も頭脳が柔らかい時期に、朝から晩まで麻雀に明け暮れたことは、冷静に考えれば一生の不覚といえるかも知れません。
でも、携帯電話もパソコンもテレビゲームも無い時代に、気の合う仲間とワイワイガヤガヤと長時間一緒に過ごしたこと。
それはそれで、かけがいのない思い出であることも間違いないのです。
今は麻雀をする機会も滅多にありません。
でも、「ぎゅわんぶらあ自己中心派」のページをめくると、時の経つのも忘れて雀卓に座っていた、しょーもない、でも無茶苦茶に楽しかった、あの頃のこと、友の顔とクセ、そして様々なハプニングを思い出します。
指からはペンだこが消滅して、代わりに盲牌だこができました。
それこそ夢の中にも麻雀が出てくるぐらい熱中しましたので、麻雀に関する漫画もずいぶん読みました。
多くの麻雀漫画は、プロ雀士の息詰まる対決を描いたシリアスな劇画です。
しかし、片山まさゆきさんの「ぎゅわんぶらあ自己中心派」は、徹底的に麻雀をパロディ化した点で、異色の傑作でした。
まず、登場人物の設定が笑えます。
例えば、
いつも理詰めで確率重視のギャンブラー「全自動の狼」
麻雀に関する格言を熟知し、それらをつぶやきながら手作りする「格言キッド」
お金も実力も運も無いのに麻雀好きで、やればやるほど落ちぶれていく「貧乏おやじ」
迷彩も何もないカンチャン待ちなどのタコ麻雀で周囲を混乱させる「オクトパスふみ」
いかにも自分の麻雀仲間にも良く似たキャラクターが実在していそうな、典型的な人物が次々に漫画の中に登場します。
また、私と同世代である作者の片山さん(確か、現役の明大生)ならではの奇抜なストーリーも楽しめます。
例えば
ウルトラQの怪獣ペギラ、バルタン星人、ガラモンが雀荘に現れて、最後はバルタンが腕のハサミの中に麻雀牌を隠してイカサマする話
革マルと中核派が麻雀をやり、負けた中核派が「我々の戦いは勝利だった」と負け惜しみのアジ演説を始める話
就職活動にちなんだ牌を使った麻雀で、東京海上とか三井物産などの人気企業を三枚揃えると役がついたり、当時の都銀13行だったことにかけて国士無双・都銀13面待ちをあがったりする話
アパート探しにちなんだ牌を使い、田園調布などを揃えてあがると高い点数になり、成増などであがると安あがりになる話
よくもまあ、次から次に、キャラクターやストーリーを考え出したものだと感心してしまいます。
言ってみれば、「ゲバゲバ90分」に近いノリでしょうか。
恐らく人生の間で最も頭脳が柔らかい時期に、朝から晩まで麻雀に明け暮れたことは、冷静に考えれば一生の不覚といえるかも知れません。
でも、携帯電話もパソコンもテレビゲームも無い時代に、気の合う仲間とワイワイガヤガヤと長時間一緒に過ごしたこと。
それはそれで、かけがいのない思い出であることも間違いないのです。
今は麻雀をする機会も滅多にありません。
でも、「ぎゅわんぶらあ自己中心派」のページをめくると、時の経つのも忘れて雀卓に座っていた、しょーもない、でも無茶苦茶に楽しかった、あの頃のこと、友の顔とクセ、そして様々なハプニングを思い出します。
最近白川道(しらかわとおる)の「病葉流れて」を読んで麻雀の内容がしっかり書かれているので感心しました。大学(一橋大学?)に入り
麻雀を覚え深みに入っていく若者の姿が書かれています。
私は、大学に入って麻雀を教わりました。教えてくれた友人の一人は、古川 凱章に弟子入りするとかで、途中から大学に来なくなりました。
「授業料を払わなきゃ上手くならないよ!」と役作りも点数計算も出来ないのに、賭け麻雀の洗礼を受けたのが思い出されます。
1年生:基本的な”役”と点数計算に必死な頃で、ルールは”無し無し”でした。
2年生:”ありあり”が主流になり。麻雀本や劇画を読み、盲牌にこり、両面待ちを毛嫌いし、やたら迷彩にこだわりました。
3年生:役満の魅力にはまり、配牌が悪いと無条件に国士無双を狙った頃です。実際、ありとあらゆる役満を上がりました。
4年生:研究室のOB社会人や大学院生の先輩達と卓を囲むことも増え、レートも上がり少しだけインフレルールにもなりました。
そして迎えた優勝のかかった秋の早慶戦、研究室の仲間全員で高田馬場の雀荘で徹まんして、始発電車で神宮球場に駆けつけました。普段は、徹まん禁止の店でしたが、その夜は同じ目的の早大生であふれ、表玄関は締めて、裏口から出入りしたのを覚えています。
大橋巨泉さんのテレビ「イレブンPM」で麻雀のコーナーがあり、小島武夫プロやムツゴロー畑さんなどの対戦を夢中になって見ていた時代です。
阿佐田さんがモデルの「麻雀放浪記」は、ずっと後に映画化されたりもしました。
一方、理工学部でも、かなり麻雀熱が高かったのですね。
私たちの学年の卒業式では、文系の学部の総代は全て女性でした。
政経や法学部などは、今とは違って女性が極端に少なかったにも拘らず。
総長から表彰される順番が最後の理工学部で、やっと男子学生が総代となり、「早稲田マンの面目は、理工学部により辛うじて保たれた」とホッとする一方、「文系は全滅か~」と、仲間たちと苦笑いしたことを思い出します。
いずれにしても、学業に麻雀が影響を及ぼしたことは、疑う余地がありません。
5・6はウー・リュ-ですよね。
先日、テレビを見ていたら、中国での宅配便ビジネスを紹介していたのですが、その会社のロゴやWEBサイトに56の文字が、大々的に使われていました。
物流(だったと記憶しているのですが)もウー・リュ-と同じ発音をする事から、56があてられているとか。
大学で中国語を第二外国語として選択している息子達と、少しだけ盛り上がって、女房だけが”蚊帳の外”。麻雀がもたらしたつかの間の優越感でした。
自己中心派で覚えているねが、スーパーボール麻雀。
ツモを落としたら、“ファンブル・リカバー”と叫ばれ、牌の上に乗られ相手に牌を取られてしまったり、おかしかったです。
イレブン麻雀もよく見ました。
今は目が具合悪く、ソウズが区別つきません(涙)。
麻雀を覚えたてのころ、「混一混老トイトイ三暗刻小三元」をテンパイしたのにあがりそこね、それ依頼そんな手が来ませんでした………。
某漫画家の奥さまでご本人も漫画家でいらして!