外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

週べ今週号

2010-04-20 19:38:25 | 大学野球
週刊ベースボール今週号は、元・巨人スカウトによる早稲田・斎藤佑樹投手の項目別採点表、法政・多木遊撃手の通算安打記録への期待、そして慶応・竹内投手のノーヒットノーランに関する記事が載っています。

このように、複数のトピックスが記事になると、六大学リーグ戦が開幕したことを実感しますね。

とりあえず、お知らせです。
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所沢キャンパス( その2)

2010-04-20 18:02:26 | 早稲田大学
日曜日に初めて訪問した早大所沢キャンパス。

せっかく3時間半をかけて来たのだからと、キャンパス内をあちらこちらと歩き回りました。

まず、冒頭の大隈さんの銅像。
慶応の湘南藤沢キャンパスと同様に、とてもモダンなキャンパスなので、『本当に、ここは早稲田なのか』と思うぐらいにお客様状態であった私ですが、大隈さんの像を見て、『やっぱり早稲田だった』と、やっと落ち着きました。

次に、湿地保全を指導してくださった大堀先生が近日中に研究室を引っ越すとおっしゃった、カマボコ型の施設。

建物内部を覗くと、なにやらトレーニング・ルームの趣きです。

先生に尋ねてみたら、この施設は、卓球の福原愛選手の入学が決まった際に、彼女が練習に専念できるようにと建設されたものだったのだそうです。

しかし、設計した人が卓球に疎かったのか、室内の天井が低くて、福原選手が得意な高くボールを上げるサーブが打てないのだとか。
したがって、この建物で福原選手は一度も練習することなく、大学を去りました。
色々な意味で、冴えない話ではあります。

そして、学生食堂。

とても大きくて清潔な感じの施設で、運動部員たちの旺盛な食欲を満たす多彩なメニューが並んでいました。
ただ値段は、高くはないけれど、それほど安いという印象もありませんでした。

また、この写真からは分からないのですが、かなりの奥行きがあって、大人数のグループがまとまって会食することもできます。
ちなみに私も、ここでお弁当を食べました。

なお、キャンパス内には、松屋も出店しています。

写真にはありませんが、キャンパスの敷地内には立派な竹林もあって、私が行った日には留学生たちが喜々としてタケノコ狩りをやっていました。
その翌日には、白井総長もタケノコ狩りにいらっしゃる予定だとか。

ただ、説明してくださった方によれば、『前の総長の奥島さんは、こういうことが大好きでいらっしゃったから、準備する私達も楽しかったけれど、白井さんは都会の人だからねえ・・・』と。

こんなところにも、奥島さんの大ファンがいらっしゃいました。
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「野球小僧」安倍昌彦さん

2010-04-20 06:21:01 | 大学野球
本日(4/20)の日経朝刊・最終面に、雑誌『野球小僧』の「流しのブルペンキャッチャー」を連載されている、安倍昌彦さん(早大学院-早大1974年入学)が寄稿されています。

私たちのオフ会にも参加してくださる仲間です。

「大石くんの剛球に左手が粉砕されて終わってもいい。」
早稲田の後輩への愛情をひしひしと感じる一言もあります。

ぜひお読みになってください。



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元木選手の引退試合

2010-04-19 18:36:01 | 大学ラグビー
昨日(4/18)、全早明戦が行われ、昨季いっぱいで現役を引退した元木由記雄選手が、背番号12の紫紺のジャージを着て50分間プレーされました。

私は早慶レガッタのために秩父宮には行けませんでしたが、早明戦を引退試合とする彼の思い入れを、とても嬉しく思います。

添付の写真は、明治大学在学中の1993年にラグマガの表紙を飾った元木選手。
表紙全体を紫紺に塗り替えてしまうほど、明治ラグビーが輝いている時代だったことが分かります。

今年も、早慶明の各校に将来有望なラガーたちが入学してきたようです。
彼らの中から、元木さんのように日本ラグビーの屋台骨を支える選手が、育ってきてくれることでしょう。

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早慶対校レガッタに勝利

2010-04-18 19:22:15 | 早稲田大学
本日行われた、早慶対校レガッタは、早稲田が勝利しました。

まず、女子舵手付きクオドルプルに快勝。
続く男子の第二エイトで惜敗したものの、最後の対校エイトで圧勝し、春の隅田川に、「早稲田の栄光」が誇らしく響き渡りました。

冒頭の写真は、勝利を決めた後に応援席前に凱旋した対校エイトの早稲田クルー。
応援席に向かって「応援、ありがとうございました~!」と彼らが大声で歓喜の挨拶をするや、応援席からは「おめでとう!」「よくやった!」の声がかかり、学生スポーツならではの至福のひとときを味わうことができました。

今日の東京は、昨日とは打って変わって、朝から好天に恵まれました。
そのポカポカ陽気に誘われて、応援席も、橋の上も、そして堤防沿いも、多くのファンで埋まりました。
例年どおり、多くの新入生たちがやってきて、うる憶えながらも校歌と応援歌を元気良く歌ってくれました。
例えば「紺碧の空」。
出だしの「紺碧の空、仰ぐ日輪」とサビの「覇者、覇者、早稲田」は合唱できても、その間の部分は「タララーン」「タララーン」と、新入生たちはスキャット。
^ロ^;
でも、今はそれで十分。
紺碧と校歌をおっかなびっくり何度も何度も歌っていくうちに、早稲田のDNAが体に組み込まれていくんですから。


ところで、今日は珍しいハプニングがありました。

大声援に送られて、両校の対校エイトの艇がスタート地点に向かって暫らくして、東京消防庁の船がサイレンを鳴らしながらハイスピードで通過していきました。
「何だろう?」と思いながらも応援合戦を楽しんでいたら、突然、場内アナウンスで「回送中に慶応艇でトラブルがあったため、スタート時間を変更します」と知らされました。
その後、半ば沈みかかった無人の慶応艇がモーターボートに曳航されてきてしまったのです。

飛び交う情報を総合すると、何らかの理由で慶応艇は浸水し、最後はクルー全員が役員艇や消防庁の船に救助されることになってしまったと。

このために、対校エイトのスタート時間が当初は14:50の予定でしたが、最終的には16:30と大幅に遅れてしまいました。

この1時間半を超えるスタート遅延という異例の事態の下で奮闘したのが応援部。
下級生部員による必死の演芸やチアリーダーたちのバフォーマンスで、懸命に時間をつなぎました。

その時間帯での傑作は、早慶両校の学生と応援部員による綱引きでした。

どこから調達したのか分かりませんが、綱が準備され、まず応援部の一年生同士で対戦して、早稲田が勝利。
次に二年生部員が加わった対戦では慶応が勝利。
最後は一般学生も加わった混成チーム同士の対決により雌雄を決することになりました。

そこで最初に元気に飛び出していったのは早稲田精神昂揚会のメンバーたち。
次いで女子学生や留学生たちも加わりました。

「慶応に負けるものか!」
「慶応に、早稲田精神を見せつけてやる!」
と気勢を上げて、圧倒的に早稲田有利かと見えました。

ところが、綱引き対決か始まるや、アルコールが入って今一つパワーが空回りする学生が早稲田には目立ち、加えて、早稲田精神昂揚会のトレードマークである高下駄を履いたまま綱引きしたのが大裏目に出て、慶応に敗れてしまいました。

「しょうがないなぁ」という結果でしたが、ある意味、いかにも早稲田らしい理由で負けたわけでして、こちらの敗北は甘んじて受け入れるしかありません。
(^^)v

今日の早慶レガッタの勝利の勢いを、そのまま来週の神宮に持ち込んで、難敵・明治を撃破しましょう。。
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早大所沢キャンパス

2010-04-17 18:49:09 | 早稲田大学
季節外れの寒波に襲われた関東地方。
1日、家の中で暖かくしていれば良いはずなのに、冷たい雨の降る朝早くから、私は初めての訪問となる早大の所沢キャンパスに向かいました。
以前から申し込んでいた、湿地保護活動のボランティアに参加するためです。

学生時代の私であれば、窓ガラスから天気を見たとたんに「今日はヤーメタ」と、再び布団に潜り込むところ。
しかし、三十年を超えるサラリーマン生活を経て「電車が遅れるかも知れないから、余裕を持って早めに家を出発しよう」と考えて行動に移すのですから、我ながら成長しました。
もっとも、私が卒業してから建設された所沢キャンパスに初めて足を踏み入れるという、気持ちの昂ぶりもあったのかも知れません。
(;^_^A

自宅から三時間余りで所沢キャンパスに到着したのですが、周囲を見渡してビックリ!
キャンパス内は、かなりの積雪でした。
四月の東京の積雪は、私が記憶している限り、たぶん1968年(昭和43年)、中学一年生の時に目黒六中の校庭で雪合戦して以来。
※追記:夕刊によれば1969年以来となっていました。

さて、人間科学部の自然環境調査室の大堀先生から湿原保全の意義、一度壊してしまった自然を再生する難しさなどを一時間余りレクチャーしていただきました。
そうする間に、天候がみるみるうちに回復。
足元は緩いものの、絶好の野外活動日和となりました。

大堀先生のリードで歩き初めてビックリ!
これが早稲田のキャンパスの中なのかと目を疑うような、豊かで美しい自然がありました。(冒頭の写真)

現在も残る自然を保全すると共に、校舎建設の際の残土処理などで失われた周囲の自然を再生しようというのが今回の活動の目的です。
活動を補助してくれる人間科学部の学生さんたちは、どなたも優しい若者ばかり。
自然科学を志す学生さんたちは、社会科学系の私とは一味違う、キメ細やかな感性の持ち主です。
私の学生時代の早稲田には欠けていたと思われる学問の領域と、所沢キャンパスで出会ったという感じです。

濡れた雑木林や湿地帯を歩き回ったために、ズボンの裾は泥だらけになりましたが、今日は本当に勉強になりました。

さて、所沢キャンパスには、硬式野球部が西早稲田から移転してくる前提で建設された野球グラウンドがあり、現在はソフトボール部が使用しています。



そして競走部の合宿所と練習グラウンドもあります。

大堀先生のレクチャーを終えて、さあ湿地帯に向かおうと集合した横を、競走部の長距離グループの部員たちが素晴らしいスピードで、次々と駆け抜けていきました。

「おっ、あれは矢澤だ!」
「平賀もいるぞ」
「あのメガネをかけたランナーは、高校駅伝一区で区間賞を獲得した新人の大迫かな」
等々と、競走部員たちの走路に思わず私は近づいていきました。

そうしたら、自然環境調査室の女子学生さんから「ayさん、そっちじゃないですよ。湿地はこちらの方向です。」と、後方から優しくも厳しい声。
ボランティアに参加すると偉そうなことを言っているくせに、あっけなく馬脚を現してしまった、まだまだ修行の足りない私でありました。
(>_<)


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「たちあがれ日本」

2010-04-16 18:46:05 | 社会全般
昨夜、四年生部員の1人からメールをもらいました。
「就活も、ほぼ終わりました。あとは野球を頑張ります。」

就活のために春の練習を欠席しがちだった彼は、早立戦のベンチから外れて、スタンドで観戦していました。
でも、これからは再びベンチ入りを狙って、練習に全力で取り組みことができそうです。

いま、四年生たちの就職活動がたけなわです。
卒業後も野球を続ける者、野球も卒業する者、
選ぶ道は様々で、まだ進路について悩みや不安を抱えている者もいます。
率直に言えば、現在の彼らが持ち得ている情報と経験は、限られています。
しかし、どこかの時点で「エイヤッ!」と決断するしかありません。
それも人生です。

彼らなりに精一杯の活動をしたあとは、ぜひ悔いの残らない決断を、適切なタイミングで下してもらいたいです。


さて、決断といえば、平沼赳夫さん、与謝野馨さんたちが大きな決断を下して、『たちあがれ日本』という名の政党を立ち上げました。

このところ、政治のニュースをあまり熱心にはフォローしていなかった私ですが、その党名を耳にして、すぐに『これは石原慎太郎さんが絡んでいるな』と感じました。
語感が『新銀行東京』、『首都大学東京』と全く同じように思えたからです。

ご本人たちは新鮮な党名だとお考えなのかもしれませんが、私個人の第一印象は「またか」
正直なところ、ワンパターンの発想による陳腐なネーミングとしか思えませんでした。

新銀行東京はBNPパリバ信託銀行のライセンスを購入して立ち上げられた銀行、かたや首都大学東京は、東京都立大学などの都立学校4校が統合されて立ち上げられましたわけですが、どちらも、なかなか期待通りの結果に結びついていないようです。

新銀行東京は、中小企業融資の推進でつまづいているようですし、首都大学東京の略称は『クビダイ』なのだそうで、教職員の中には『石原都知事の言うことを聞かない奴は首だい』と自嘲気味に語る人もいるとか。

東横線の学芸大学駅近くで育った私は、かつての都立大学の学園祭に、駒沢通りから柿ノ木坂交差点を左折して、自転車で遊びに行ったり、都立大学の学生さんが教育実習で私の中学校にやってきたりしていたので、とても親近感のある大学でした。

ですから、クビダイというエピソードは、可笑しいというよりも、悲しい気持ちの方が先にたってしまいます。

学校というのは、その校名と共に、数え切れない思い出や誇りと共に、多くの人の心の中に刻み込まれて、心のふるさととして、生涯を通して大切な存在となるべきものです。

ですから、税金で運営されている学校とはいっても、お役人の都合で、校名などを簡単にいじくられるべきものではありません。

都立高校の悪名高き学校群制度もそうですが、お役人の思いつきに引っ掻き回されてしまうと、それまで培われた伝統や校風が失われたりして、ロクなことがありません。

私学であっても、例えば早稲田実業が、国分寺移転の際に校名を変更していたら、現在のように幅広いファン層が維持できていたかどうかは分かりません。

石原さんは、結果的に数多くの都立大学の卒業生から心のふるさとを奪い、多くの学生に妙な校名を生涯押しつけようとしているように私には見えます。
石原さんの在任中は誰も言い出せないのかもしれませんが、銀行も大学も、然るべき時にオーソドックスな名称に変更すべきだと私は思っています。

もし「一橋大学を、商科大学小平・国立と改称しませんか」と提案したら、石原さんは「君たちは何も分かっていない」と、烈火の如く怒ることでしょう。

そんな恨み辛みもありまして、政策と全く関係ない切り口で党名に文句をつけるというのは申し訳ないですが、個人的にはあの党名が好きになれません。

平沼さんや与謝野さんは立派な方々で、個人的には尊敬しているんです。
石原さんに命名された新党が、銀行や大学のように苦労することがないよう、健康に留意いただきながら、ご健闘を祈るばかりです。

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第79回 早慶レガッタ

2010-04-15 18:21:11 | スポーツ全般
4月18日、次の日曜日に、恒例の早慶レガッタが行なわれます。
公式サイト

朝9時40分の早慶教職員ナックルフォアに始まり、14時50分の対校エイトまで、実に13レースが行なわれる大イベントです。

昨年は強風のために川面が荒れて、いくつかのレースが中止となりました。
しかし、今年の天気予報は『晴れ時々曇り』となっていますから、まずは予定通り全レースが行なわれるでしょう。

私も、漕艇部の応援に駆けつける予定です。

YouTubeに、一般ファンの方が撮影した、昨年のレガッタの応援風景がアップされています。
携帯用リンク

パソコン用リンク


レースの予定時刻、スタート地点と距離は次の通りです。

9:00
開会式

9:40
早慶教職員ナックルフォア
言問橋上流
500m

10:00
墨田・台東両区招待ナックルフォア
言問橋上流
500m

10:20
カヌーエキシビジョン
言問橋上流
500m

10:40
早慶OBエイト
言問橋上流
500m

11:00
墨田・台東中学生ナックルフォア
言問橋上流
500m

11:20
早慶中学生ナックルフォア
言問橋上流
500m

11:40
高校舵手付きクォドルプルB
吾妻橋上流
1000m

12:00
高校舵手付きクォドルプルA
吾妻橋上流
1000m

12:20
東大・一橋OB招待エイト
吾妻橋上流
1000m

12:40
学部対校舵手付きフォア
吾妻橋上流
1000m

13:20
対校女子舵手付きクォドルプル
吾妻橋
1000m

14:00
第二エイト
両国橋
3000m

14:50
対校エイト
両国橋
3000m

15:20
大会本部解散式(デッキスクエア)

また、テレG+で、昨年と今年のレースの模様が録画中継されますので、地方にお住まいの方々も、ぜひお楽しみください。

第78回大会(昨年) 
4月25日(日)
12:30 ~
第79回大会(今年)
同上 13:00 ~

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天使の心

2010-04-14 18:53:36 | 社会全般
先日の日曜日、東京駅から東海道線下り列車に乗車しました。
私の後ろの席には、幼稚園に入るか入らないかぐらいの年齢の男の子とお父さんが座っていました。

電車が品川駅に近づき、操車場に並ぶ電車群が見えてきた時、男の子が叫びました。
『お父さん、見て見て! あそこで東海道線がお休みしているよ』
『ホントだねえ、お休みしているねえ』と、優しいお父さん。
『お父さん、電車がお休みしていてもいいのかなあ?』
『今日は日曜日だからね』
『そうか。今日はお休みして、また月曜日から電車もお仕事に行くんだね』

この微笑ましい親子のやりとりを聞いていて、私は、自分が子育て真っ最中であった頃のことを思い浮かべていました。

幼稚園に入る前だった娘と一緒に、横浜の観覧車に乗った時のことです。
当時、横浜では博覧会が行なわれていて、会場には大きな恐竜の模型も展示されていました

私が娘に声をかけました。
『○○ちゃん、下を見てごらん。恐竜がいるよ』
すると娘が、『本当だ! パパ、あの恐竜は歩いているみたいよ。お友達を探しているのかなあ?』
予想もしない質問に、私は『うーん、ここからだと遠いから、良く分からないな』と苦笑い。
同じ観覧車に乗り合わせた年輩のご夫婦が、ニコニコしながら、私の娘がはしゃぐ姿を眺めていらっしゃいました。

子供の天真爛漫な発想は、大人には絶対に真似できません。
小さな子供の心の中には天使が住んでいると、私は思います。

その娘も、昨年大学を卒業して就職しました。
金曜日に帰宅してくると、『ああ、疲れた。来週はもっと忙しいから、この土日は寝ダメするわ』などと、一丁前にババくさいことを言うようになりました。

でも、古人曰く『三つ子の魂、百まで』
かつて観覧車に一緒に乗った頃の天使の心が、彼女のどこかに残っているはずと、親としては思ってしまうんですね。

さて、売り出し中のプロボクサーの父親が、試合役員に暴言を浴びせるなどの蛮行を繰り返した結果、ボクシング界から永久追放になったと報じられています。
かつてTV画面でみた父親の攻撃的な言動は本当に酷いもので、私は途中でチャンネルを切り替えてしまったものです。

でも、あの男性にも、天使の心を持っている頃が必ずあったはず。
それが、どのようにして、あのような荒んだ心の持ち主となり、周囲の人々の気持ちを繰り返し踏みにじるような人格になってしまったのでしょうか。

子供を健やかに育てるということの大切さ、それを誤った時の軌道修正の難しさを、今朝の新聞のスポーツ欄を読みながら、つくづく考えさせられました。


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芝生席の思い出

2010-04-13 18:10:08 | 大学野球
かつて、神宮球場の外野席の一部は芝生席でした。

1978年(昭和53年)に工事が行なわれて、芝生席は無くなってしまいましたが、陽気の良い季節の芝生席には、何ともいえぬ風情がありました。

冒頭の写真は、昭和50年ごろの神宮球場の芝生席での一枚。
当時のアサヒグラフからお借りした写真ですが、プロのカメラマンの方は、さすがに雰囲気のある写真を撮るものです。

芝生席といえば、六大学野球だけでなく、プロのナイターを何度も観に行った思い出があります。

高校生の頃、新聞屋さんあたりからもらった外野席のタダ券を自宅から持ち寄って、クラブ活動を終えた後の夕方に、青山高校の仲間たちと神宮によく行ったものでした。

もっとも神宮に行くといっても、高校の前の横断歩道を渡るだけですから、いたって簡単。
試合開始直前に着替えても間に合うという、野球ファンにとっては実にありがたい立地に今も母校は建っています。
大慌てで着替えてナイター観戦に走る後輩くんたちが、きっと今もいると思います。
(*^_^*)

外人選手の打撃練習を外野から眺めていると、芝生席の部分に、ドス!、ドス!と音をたててに強烈な打球が次々と打ち込まれてきまして、私たち観客は右へ左へと逃げまどいました。

当時は、スワローズだけでなく、本拠地のない"ジプシー球団"だったロッテの主催試合も時々ありました。
大杉、有藤、長池といった和製長距離砲も凄かったですが、ヤクルトのマニエル、ロジャース、ロッテのアルトマン、阪急のマルカーノ…
目の当たりにした外人パワーには脱帽でした。

外野席にいると、外野手の守備位置変更の様子が良く分かり、敵打者の長打力をどのように評価しているか想像がつきます。
また、選手がハンサムかどうかなんて外野席では関係ないですから、肩が強い、足が速い、長打力がある等々、スポーツの原点を純粋に楽しむことのできる場所でもあります。
「外野席の方が好きだ」という野球ファンが少なくないのも、分かるような気がします。

ただ、雨上がりの試合だったりすると、打球を避けようとした時に芝生の上でズルっと滑ってしまい、シャツの背中が泥だらけになってしまったこともありましたっけ。

今となってはセピア色の思い出ですが、芝生席のどこに新聞紙を敷こうかと友人達と迷ったことや、打球が打ち込まれた際のドス!という重い響きは、忘れることができません。

現在の感覚でいえば、天然芝の観客席には不都合な点もあるのでしょうが、ごろ寝したりしながら野球を観るスペースがある球場も、案外悪くないと思うんですよね

ハイテクの時代ですから、比較的に空いている試合日には、家族や仲間同士で座る、人工芝のピクニック席みたいなエリアが登場する仕掛けができないものでしょうか。
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