15日午後、NHKのバラエティ番組「スタジオパークからこんにちは」に往年のアクションスター、マイトガイこと小林旭さんが出演していた・・・珍しいことである。
団塊の世代である当方と10歳違いの“憧れの銀幕のスター”である・・・。当方が、小学生高学年から中学校時代、日活映画の黄金期を支えたマイトガイこと小林旭さんの出演であり、これは見逃すことはできないとTV画面に釘付けとなった。
あの子供時代、我が家は小さな雑貨屋をやっており映画のポスターを頼まれて張っていた。そのため、ビラ下券という無料券をもらっており、それを持って近所の仲間たちと映画を観に出向いたものである。娯楽のない時代、映画が最高の娯楽であった懐かしい時代・・・映画俳優になりたいと思った頃でもある。
その頃、東映や大映の時代劇映画、日活の無国籍アクション映画など憧れの眼差しで観ていた。特に主演の小林旭さんをはじめ、浅丘ルリ子、宍戸錠、白木マリ、金子信雄さんたちが毎回出演する“渡り鳥シリーズ”を拍手喝采で観たことを昨日のように思い出す・・・。
映画館を出ると誰もが、主役になったような気分でマイトガイ独特の歩き方になっていた(笑)・・・最も当方の住んでいた田舎では、巡回映画として来ており音響設備など乏しいものであるがのめり込んで観た記憶がある。
そして、学校に行くと映画の話で持ちきりとなって、休憩時間や昼休みにはよく話していたものだ。日活映画を観ると必ず「裕次郎派」と「アキラ派」に分かれて議論を戦わすこともシバシバであった・・・昨日の番組を見ながら、懐かしい子供時代が走馬灯のように蘇った。
「アキラ派」の一人であったN君は、極道の道に入り大幹部にまでなっていたが、7、8年前に突然の病で亡くなった・・・いい男であった。ご冥福を祈りたい。
さて、そのバラエティ番組の中で、小林旭さんが石原裕次郎さんとの昔話にも触れており、銀幕のスターとしての若かりし頃の裏話を聞くことができてうれしく思った。そして、好きな言葉は「一生懸命」と「無我夢中」とのこと。
見習わなければならないね
ところで、最近でこそ、映画に出演する役者さんなどもお気楽にバラエティ番組に出演し、すべからくタレント化しており、昔のように雲の上の人として見ることができなくなったことは極めて残念である。これも世の移り変わりと云ってしまえばそれまでである。
憧れの銀幕スターがいなくなった昨今、若い人たちにとって、憧れと云うものを抱くことが少なくなったのではないだろうか・・・。当方たちの子供時代、青年時代には憧れの銀幕のスターが数多くいて、多くの夢を持つことができた。
数年前、永遠の憧れのスター小林旭さんのコンサートに出向き、極上の席に座して“かぶりつき”でキーの高い独特の節回しの「アキラ節」に酔いしれたものである・・・家内のプレゼントであった。
カラオケでは・・・「昔の名前で出ています」をよく歌っていたが、最近はそのような機会もなくなっている。
楽しい番組を見て、ささやかな幸せと元気をもらった・・・ひと時であった。
(夫)

(渡り鳥シリーズの頃・・「出典:Yahoo!公式HP抜粋」)
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団塊の世代である当方と10歳違いの“憧れの銀幕のスター”である・・・。当方が、小学生高学年から中学校時代、日活映画の黄金期を支えたマイトガイこと小林旭さんの出演であり、これは見逃すことはできないとTV画面に釘付けとなった。

あの子供時代、我が家は小さな雑貨屋をやっており映画のポスターを頼まれて張っていた。そのため、ビラ下券という無料券をもらっており、それを持って近所の仲間たちと映画を観に出向いたものである。娯楽のない時代、映画が最高の娯楽であった懐かしい時代・・・映画俳優になりたいと思った頃でもある。
その頃、東映や大映の時代劇映画、日活の無国籍アクション映画など憧れの眼差しで観ていた。特に主演の小林旭さんをはじめ、浅丘ルリ子、宍戸錠、白木マリ、金子信雄さんたちが毎回出演する“渡り鳥シリーズ”を拍手喝采で観たことを昨日のように思い出す・・・。

映画館を出ると誰もが、主役になったような気分でマイトガイ独特の歩き方になっていた(笑)・・・最も当方の住んでいた田舎では、巡回映画として来ており音響設備など乏しいものであるがのめり込んで観た記憶がある。
そして、学校に行くと映画の話で持ちきりとなって、休憩時間や昼休みにはよく話していたものだ。日活映画を観ると必ず「裕次郎派」と「アキラ派」に分かれて議論を戦わすこともシバシバであった・・・昨日の番組を見ながら、懐かしい子供時代が走馬灯のように蘇った。

「アキラ派」の一人であったN君は、極道の道に入り大幹部にまでなっていたが、7、8年前に突然の病で亡くなった・・・いい男であった。ご冥福を祈りたい。
さて、そのバラエティ番組の中で、小林旭さんが石原裕次郎さんとの昔話にも触れており、銀幕のスターとしての若かりし頃の裏話を聞くことができてうれしく思った。そして、好きな言葉は「一生懸命」と「無我夢中」とのこと。
見習わなければならないね

ところで、最近でこそ、映画に出演する役者さんなどもお気楽にバラエティ番組に出演し、すべからくタレント化しており、昔のように雲の上の人として見ることができなくなったことは極めて残念である。これも世の移り変わりと云ってしまえばそれまでである。

憧れの銀幕スターがいなくなった昨今、若い人たちにとって、憧れと云うものを抱くことが少なくなったのではないだろうか・・・。当方たちの子供時代、青年時代には憧れの銀幕のスターが数多くいて、多くの夢を持つことができた。
数年前、永遠の憧れのスター小林旭さんのコンサートに出向き、極上の席に座して“かぶりつき”でキーの高い独特の節回しの「アキラ節」に酔いしれたものである・・・家内のプレゼントであった。
カラオケでは・・・「昔の名前で出ています」をよく歌っていたが、最近はそのような機会もなくなっている。
楽しい番組を見て、ささやかな幸せと元気をもらった・・・ひと時であった。


(渡り鳥シリーズの頃・・「出典:Yahoo!公式HP抜粋」)

