咲とその夫

 思いもよらず認知症になった「咲」の介護、その合間にグラウンド・ゴルフを。
 週末にはちょこっと競馬も。
 

スマフォに替えて1年・・・

2014-01-22 22:25:40 | デジタルアイテム
スマートフォンに悪戦苦闘・・・
 昨日、中山競馬場にて代替競馬が午後からスタート。その前に近くの「auショップ」に・・・。当方と家内の携帯は、ここのところバッテリーの調子が悪くて直ぐに電池が消耗するようになってい...


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 先ほど、OB会の新年会を終えて帰宅。
 夕方5時から飲んでいるから、お疲れ気味・・・。
 平素は、さほど飲まないものだから。
 
 それでも、皆さん健康そうで元気ハツラツ。
 健康が一番だね。

 昨年の今日、スマートフォンに切り替えたらしい。
 あれから1年、最近は何とか完璧に使えるようになった。

 完璧という言葉は・・・当てはまらないかも。
 ようするに、必要なことがキッチリとできるということ。
 それにしても、日々改良されているIT機器。

 これから先、いかなる進展があるものか。
 今のスマフォで十分満足だけどね(夫)

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金曜時代劇「大岡越前」・・・

2014-01-22 21:21:11 | レビュー
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 「曇りなき目が、世を正す

 昨春からはじまっている「大岡越前」(主演:東山紀之)のキャッチフレーズ。
 全9回シリーズで、この1月には3話が放送される。
 京都太秦において、NHKとCALがタイアップして制作。
 同時代劇は、過去にTBS系列でCALが制作し、長らく放送されていたもののリメイク版であるとのこと。

 当時は、剣客商売で小兵衛の息子大治郎を好演していた加藤剛さんが、清々しい雰囲気で名奉行大岡裁きを演じて人気を博していた。
 「水戸黄門」と「大岡越前」が交互に制作され、長寿番組の一角を担っていた。
 その人気シリーズの復刻版として、際立ったものから全9回に分けて制作らしい。
 同心の中に加藤剛さんのご子息を見出すことができる。

 時代劇の灯を消さないよう、NHKが頑張っているから嬉しくなる。
 日本の文化ともいえる時代劇を撮りつづけることは、失われつつある日本人の精神的な美意識を取り戻すための一つの手段とも思われる。

 潔(いさぎよ)い心。
 誇りを持って生きる心。
 武士の情けが分かる心。
 以心伝心が分かる。
 耐える、辛抱できる心。

 など、日本人に失われつつあるものを読み取ることができる。

 17日(金)放送の第8回「噂の女」。
 町屋を通りかかった大岡越前(東山紀之)、雨宿りをしていた女・おもん(井上和香)に傘を手向けて送り届けた小料理屋。
 帰り際、2階の窓に襦袢が吊るされていたことに眼がいった。
 不振に思った越前は、舞い戻ってその女に酒を注文。

 その後、何度かこの小料理屋に立ち寄る。
 襦袢が吊るされている日と、吊るされてない日がある。
 どうやら、ここは盗人宿になっていると勘ぐる。

 与力や同心に事情を説明し、その小料理屋を内偵。
 お盗め先がうまく判明し、盗人一味を一網打尽。

 ところで、タイトルの「噂の女」おもんは、色っぽい日雇いの女であった。
 越前はその女の話から、お盗め先が分かったこともあり、全うな勤め先を紹介。
 武士の情け、融通さである。

 終盤になって、盗人の頭目・猿橋の五郎次として「5万回斬られた男」の異名を持つ、福本清三さんが登場。
 先般来(太秦ライムライト)、この役者さんのことを話題にしている我が家。
 何だか、とても嬉しくなってきた。
 出演者名にも大きく出ていた。
 今回は、台詞も多い。

 ところで、この猿橋の五郎次(福本清三)が、一味と共にお白洲で大岡裁きを受けている。
 五郎次が、どうして盗人先が分かったものか、裏切者を探すように配下の者を厳しくなじる場面がある。

 すると、配下の者まで信用できないとは情けない奴。
 と、越前が語る。

 つまり、往生際の悪い奴、そのような精神では頭目としての器量が問われるということ。
 大物で器量のある者ならば・・・。
 潔(いさぎよ)く、「恐れ入りやした」

 その一言で、刑場にいくべきと諭しているのであろう。(夫)


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[追 記]~融通性ということ~
 特に融通ということのなくなった日本人、武士の情けであるが。
 それを嘆いた文体がここにある。

 「日本人というのは、虎之助。白と黒の区別があっても、その間の色合いがない。白でなければ黒、黒でなければ白と、きめつけずにはいられないところがある。
 しかしな虎之助。人の世の中というものは、そのように、はっきりと何事も割り切れるものではないのだよ。何千人、何万人もの人びと、みなそれぞれに暮らしもちがい、こころも身体もちがう人びとを、白と黒の、たった二色で割り切ろうとしてはいけない。
 その間にある、さまざまな色合いによって、暮らしのことも考えねばならぬし、男女の間のことも、親子のことも考えねばならぬ。
 ましてや、天下をおさめる政治(まつりごと)なら尚さらにそうなのだ」(池波正太郎著[その男]抜粋)