紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

読書会に

2006-02-08 16:27:21 | 読書
 小学校のPTAのサークルとして『読書会』というものがあり、もう10年近く所属している。最初のうち、有閑マダムのハイソな会に違いないと決めつけ、案内のチラシが配布されても、胡散臭げに打ち捨てていた。「友達とお茶する」とか「ランチにいく」事自体が、家事や仕事や雑用に追われて、それどころではなかった頃。(いまもそんなに余裕はないが)

 インプットすべき本に関する情報は山のようにあるけれど、仕事で使うのはその氷山の一角でしかない。しかも仕事以外でインプットする趣味の読書情報もあって、どこかでそれをアウトプットしたかったんだと思う。今にして思えば。

 息子が小学校低学年の時に初めてPTA役員をして、その終了時にとても肩の荷が降りた気分と、走り終えた充実感と、もうそんなに学校に行かなくてもいい寂しさが混ざって、ふと「そういえば、読書会っていうのがあったっけ」と思い出した。
 役員で学年を越えたお母さんたちと知り合えたり、先生方とも顔なじみになったりして、人と繋がる楽しさを知った。大手を振って外出できる口実にはうってつけだった。

 おじいちゃんやおばあちゃんは、かなりの好々爺であり、実の娘以上にかわいがってくれていた。が、やはり仕事がオフのときにふらふら出歩くのも、同居している手前自責の念が起り、ちょっとはばかられた。でも自分のバランスは自分でとらなければ、ということで思い切って読書会に入会してみることにした。不純すぎる動機?

 折よく同期で入って来た人達ともキャラが合い、すでに入会されていた1名とも「笑える本が好き!」という点で意見の合致を見、ハイソな奥様の知性あふれる上品な会としては終息を迎えつつあったようで(?)、もしかするとグッドタイミングで入会したのかもしれない。

 ということで、今日の読書会のお題はリリー・フランキーの『東京タワー』。本の感想だけでなく、本によって呼び起こされた個人の記憶が語られたりして、むしろそちらに結構感動してしまう。今日も私の前の方の話に感動して、自分の感想がふっとんでしまった。
 いまでは隙間時間をこじ開けて、「読書会」のために貴重な2時間を捻出している。

『東京タワー』感想・ごく一部
 度量のあるご両親、世間や常識でなく(たとえ子どもがサイテーでボロボロな生活をしていても)子どもの事を信じきる親心はすごい、とてもまねできません。きっとリリーさんが、でかい親だったなあと後々もっと気づくこともあるのかも、と思わせる小説(長編エッセイ?)でした。きらきら光る物がいっぱいつまった石みたいな本。牛の歩みで読みましたけど、残念でした、泣きませんでした。(怒った部分はあったけどね)