2月8日の内田樹先生のブログを読み、ラスト近くで驚愕した。
教授会の席で学長から「上野千鶴子さんとの対談をぜひ引き受けてください」と頼まれる。
という文章に驚いたのだ。その三日前くらいから、「なんで内田先生VS上野先生の対談企画、でないんだろうなー。これ、絶対面白いのに」とつらつら考えていたのだ。まさかまさにその企画を、考えた直後に目にするとは。
しかし残念なことに、内田先生はこの夢のような企画を却下されている。どうやら内田先生にとって、宮台眞司同様、上野千鶴子さんは天敵らしいのである。
宮台さんとご自分のことを「マングースとハブ」になぞらえていらっしゃるのは、わからないでもないが、内田樹さんと上野千鶴子さんには、何かむしろ通奏低音するところがあるんじゃないかと、実はあまり根拠なく感じている。
『おひとりさまの老後』が売れまくっているので、一見上野さんは個人の自己責任で人生を送ればいい、みたいなソリッドなイメージがあるけれど、彼女はいつも『関係』というものにこだわりつづけている。私が「浦賀べてるの家」を知ったのは、たぶん上野さんが雑誌でべてるの住人と対話されているのを読んだときだった。そのときにはもう上野さんはすっかり、べてるの人たちとなじんでらっしゃったのだ。
上野さんは日本のフェミニストの最前線にいて、それだけで充分な危険地帯なのに、たぶん自ら進んで矢面に立たれている。自分がやらなきゃいけないと信じていることから、決して逃げない人のように見える。しかもたいへんな切れ者である。だからとても強くて、鼻持ちならないというイメージがあるようなのだけれど、対談なんかを読んだ感じでは、繊細で喜怒哀楽の幅が大きくて、とても情のある人に思える。
今日も「上野千鶴子って、ほんまはええ人やんなあ~?(なんであんなに内田先生は目の敵にされるのかなあ?)」とH氏に問いかけたら、「うん、ええ人やで」と、生身の彼女に会ってお話しているH氏は、太鼓判を押してくれる。(おまけに彼女に気に入ってもらえたのが、いまだに自慢である)
たぶん、会えば内田先生にも、上野千鶴子さんについての誤解が消えて、わかってもらえると思うんだけどなあ。意外に意気投合されるかも? それはなくても、少なくとも「マングースとハブ」の比喩は解消すると思うんだけどな。
教授会の席で学長から「上野千鶴子さんとの対談をぜひ引き受けてください」と頼まれる。
という文章に驚いたのだ。その三日前くらいから、「なんで内田先生VS上野先生の対談企画、でないんだろうなー。これ、絶対面白いのに」とつらつら考えていたのだ。まさかまさにその企画を、考えた直後に目にするとは。
しかし残念なことに、内田先生はこの夢のような企画を却下されている。どうやら内田先生にとって、宮台眞司同様、上野千鶴子さんは天敵らしいのである。
宮台さんとご自分のことを「マングースとハブ」になぞらえていらっしゃるのは、わからないでもないが、内田樹さんと上野千鶴子さんには、何かむしろ通奏低音するところがあるんじゃないかと、実はあまり根拠なく感じている。
『おひとりさまの老後』が売れまくっているので、一見上野さんは個人の自己責任で人生を送ればいい、みたいなソリッドなイメージがあるけれど、彼女はいつも『関係』というものにこだわりつづけている。私が「浦賀べてるの家」を知ったのは、たぶん上野さんが雑誌でべてるの住人と対話されているのを読んだときだった。そのときにはもう上野さんはすっかり、べてるの人たちとなじんでらっしゃったのだ。
上野さんは日本のフェミニストの最前線にいて、それだけで充分な危険地帯なのに、たぶん自ら進んで矢面に立たれている。自分がやらなきゃいけないと信じていることから、決して逃げない人のように見える。しかもたいへんな切れ者である。だからとても強くて、鼻持ちならないというイメージがあるようなのだけれど、対談なんかを読んだ感じでは、繊細で喜怒哀楽の幅が大きくて、とても情のある人に思える。
今日も「上野千鶴子って、ほんまはええ人やんなあ~?(なんであんなに内田先生は目の敵にされるのかなあ?)」とH氏に問いかけたら、「うん、ええ人やで」と、生身の彼女に会ってお話しているH氏は、太鼓判を押してくれる。(おまけに彼女に気に入ってもらえたのが、いまだに自慢である)
たぶん、会えば内田先生にも、上野千鶴子さんについての誤解が消えて、わかってもらえると思うんだけどなあ。意外に意気投合されるかも? それはなくても、少なくとも「マングースとハブ」の比喩は解消すると思うんだけどな。