Kちゃんが幼稚園児の頃、福音館の『ほら、きのこが・・・』(『たくさんのふしぎ』95年10月号)という写真絵本を見た。その美しさ、出没場所や生え方の面白さ、形の不思議さに、ぞっこん参ったことがある。山の中に行く機会があれば、季節によってはキノコを見つけることが出来る。キノコを見つけては、ビニール袋に入れて持ち帰り名前を調べたり、とか。ということも、たまに、した。
でも、これはアウトなのだ。幸い運良く無事だったが、触るだけで激痛に襲われる毒キノコだってある、ということを、昨日私は初めて知って、ぞっとした。
ほかにも、いろいろなキノコ知識を得た。
キノコ狩りが、地味なアウトドアであること。しかしキノコ生息場所の案内ガイドブックなどはないので、地味に場数を踏んで森の中をうろうろし、自力で開拓していかねばならないこと。
キノコ狩りは、スリルとサスペンス溢れる趣味であること。なぜなら人気のない寂しい森をうろうろする地味なアウトドアなので、思わぬホトケさんと遭遇したり、道に迷ってあやうく自分もホトケさんになりかけたり、無事に家にたどり着いても、間違えて毒キノコを食べて、あわやのところで一命を取り留めたり、ということが、なきにしもあらず、らしい。まさに、命懸けの趣味である。
けれど人間というのは、出来の悪い子ほど可愛かったり、どうしようもない男と判っていながら深情けをかけてしまったり、悪いこととは知りながらズブズブと底なしの深みにはまり込んで行ったりする、奇妙な生き物でもある。
『毒キノコが笑っている』という本の著者は、そんな人間の業の深さ、煩悩の森から抜けられなくなった方である。そんな方の書いた本が、面白くない訳がない。
まだ20pそこそこしか読んでいないけれど、おいしいキノコの生息地の見つけ方など、非常にユニークである。その方法とは『毒キノコに注意!』の看板のあるところなのだそう。
この看板の意味しているところは「ここでキノコ狩りをしてもよろしい」「美味しく食べられるキノコがいっぱい生えているので、ここでキノコ狩りをする人たちがいる」「でも毎年、間違えて毒キノコを採取し、摂取し、大当たりするお気の毒な犠牲者を出している」「だから看板を立てて注意を促している」ということなのだ。たった7文字の中から、これだけの情報量を読み取る著者の読解力は、たいしたものである。
さて著者の遭遇するキノコ狩りにまつわるグルメでホラー、かつスリルとサスペンス溢れる冒険や、いかに。続きを読むのが楽しみである。
でも、これはアウトなのだ。幸い運良く無事だったが、触るだけで激痛に襲われる毒キノコだってある、ということを、昨日私は初めて知って、ぞっとした。
ほかにも、いろいろなキノコ知識を得た。
キノコ狩りが、地味なアウトドアであること。しかしキノコ生息場所の案内ガイドブックなどはないので、地味に場数を踏んで森の中をうろうろし、自力で開拓していかねばならないこと。
キノコ狩りは、スリルとサスペンス溢れる趣味であること。なぜなら人気のない寂しい森をうろうろする地味なアウトドアなので、思わぬホトケさんと遭遇したり、道に迷ってあやうく自分もホトケさんになりかけたり、無事に家にたどり着いても、間違えて毒キノコを食べて、あわやのところで一命を取り留めたり、ということが、なきにしもあらず、らしい。まさに、命懸けの趣味である。
けれど人間というのは、出来の悪い子ほど可愛かったり、どうしようもない男と判っていながら深情けをかけてしまったり、悪いこととは知りながらズブズブと底なしの深みにはまり込んで行ったりする、奇妙な生き物でもある。
『毒キノコが笑っている』という本の著者は、そんな人間の業の深さ、煩悩の森から抜けられなくなった方である。そんな方の書いた本が、面白くない訳がない。
まだ20pそこそこしか読んでいないけれど、おいしいキノコの生息地の見つけ方など、非常にユニークである。その方法とは『毒キノコに注意!』の看板のあるところなのだそう。
この看板の意味しているところは「ここでキノコ狩りをしてもよろしい」「美味しく食べられるキノコがいっぱい生えているので、ここでキノコ狩りをする人たちがいる」「でも毎年、間違えて毒キノコを採取し、摂取し、大当たりするお気の毒な犠牲者を出している」「だから看板を立てて注意を促している」ということなのだ。たった7文字の中から、これだけの情報量を読み取る著者の読解力は、たいしたものである。
さて著者の遭遇するキノコ狩りにまつわるグルメでホラー、かつスリルとサスペンス溢れる冒険や、いかに。続きを読むのが楽しみである。