今度初めて『知覧特攻平和会館』へ行き色々考えさせられ胸が痛くなりました。
太平洋戦争で、少年飛行兵たちが最南端の特攻基地から自らが肉弾となって敵艦に体当たりをして行く。まだ若い17歳、18歳、19歳、、。。この知覧特攻平和会館で見たものは、全てが父上様、母上様に宛てた手紙でした。「短い間でしたけれど親孝行が出来ないことが残念です。」など、中には妻に宛てた『俺が亡き後二人の子供を頼む。』など、親、子を思う文面が書き綴られていて、もう最後には涙で読む事ができませんでした。今こうしてブログを書いているのですが涙がやっぱり止まりません。。。。。
自分の息子が立派な最後を遂げても、
あの時代の母は、心の奥底ではきっと息子が
無事生きて帰って来てくれることを願っていたに違いありません。
この母の姿を見ると耐え忍んでいる事伝わってきます。
太平洋戦争で、少年飛行兵たちが最南端の特攻基地から自らが肉弾となって敵艦に体当たりをして行く。まだ若い17歳、18歳、19歳、、。。この知覧特攻平和会館で見たものは、全てが父上様、母上様に宛てた手紙でした。「短い間でしたけれど親孝行が出来ないことが残念です。」など、中には妻に宛てた『俺が亡き後二人の子供を頼む。』など、親、子を思う文面が書き綴られていて、もう最後には涙で読む事ができませんでした。今こうしてブログを書いているのですが涙がやっぱり止まりません。。。。。
自分の息子が立派な最後を遂げても、
あの時代の母は、心の奥底ではきっと息子が
無事生きて帰って来てくれることを願っていたに違いありません。
この母の姿を見ると耐え忍んでいる事伝わってきます。