教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

大人の誇りと子供の誇り

2011-05-30 00:11:25 | オタネタ全般
大人と子供の違いについて1つ。

子供にとって誇りとは、腕力があってケンカに強いことである。
ようするにジャイアン。

大人にとって誇りとは、何かに熟練したことや何かを達成した成果を持つことである。
決して腕力があってケンカに強いことではない。

この2つは180°くらい方向性に差がある。

これらはいったいどこで切り替わるのだろうか?

高校生前後ではなかろうか。

幼少のころはジャイアンみたいなヤツがガキ大将風をふかせている。
ところがどっこい高校生になってみると、ジャイアンは出来杉君がこれから歩む人生と同じ道には自分は絶対に進めないことを理解する。
そこで価値観が180°ひっくり返る。
もし仮にのび太が勉強ができていたとしたら、これはさぞかし良いカタルシスになったろう。

それはそれで良いことだ。
人は好き好んで腕力で優劣の決まる野獣のような生き物にまでなり下がる必要はないからだ。

ただ、1つだけ心残りがある。
それは、幼少のころに弱虫だったことで、早くから自分はダメなヤツだという刷り込みが自分自身の中にできてしまいやしないかということだ。

学校でいじめられて、
学校から遠ざかっていって、
いつの間にやら引きこもりになってしまって、
そして社会復帰できないことにはたと気付く。

そんな人生はもったいない。
本来ならば何らかの一廉の人物になりうる子供が潰れるのは人類全体における損失である。

これを解決する安易な方法などない。
しかし、こぶしで語る肉体言語的な熱血脳筋ヒーローをTVアニメで放送するより、デスノートのような知力を駆使して戦うひ弱だけど輝くヒーローを前面に出すことで、ジャイアンに打ち勝つ気概を備える子供に育つ可能性はあるように思う。

どっちかっつうと幼少のわたしはひ弱系キャラだったもので、そう思うのかもしれんがね(笑)。



追伸:

世の中には「ちょいワルがいい」なんて言う女もいる。
だが実のところ文字通りのちょいワルではなく、単なるDQNで腕力があってケンカに強いだけの男に憧れるバカ女でしかない事も少なからずあろう。
だがそれはその男と同様に大人になれないおこちゃま女というだけのことだ。
そんな女を相手してやるほうが格が下がるので、近くにいても近づかないほうがよい。