1月25日~26日、一泊二日の宿泊研修で
杉田峰康先生の「防衛機制」を拝聴しました。
今回は、防衛機制がどのようなシステムで成り立つかを
交流分析のPACで解説くださいました。
夕食後も、お話を聞かせていただけて、本当に幸せ。
私の吸収力がもっとよければ、嬉しいのですが
足りないながらも、講義を理解し、
実際にカウンセリングを見せていただくと心が揺るので、
それは、少なからず影響を受けたということにして満足しています。
(と、かなり防衛的なコメントになりました)
正直な気持ちは、
私の理解の薄さに気付いたぶん、これじゃあいかん!と不安になりました。
と書くべきところです~。
私がよく使うのは、「すっぱい葡萄」と分類される考え方です
山の中で美味しそうな葡萄を見つけて 近づいて手を伸ばす。
ところが、手が届かなくて、食べられない。
悔しい気持ちをなだめるために、私はつぶやきます。
「あの葡萄はすっぱいはずだから、食べなくてよかったよ」
後で、あれこれ言い訳を考えて、私を納得させるのです。
なぜ、必要か?
新しい葡萄を見つけるか、或いは手堅くその葡萄を採取するために、
次の行動に切り替えるためです。
いつまでも、そこにとどまり、
身長の低さを嘆いたり
道具を持ってこなかったことを悔やんだり
協力者のいないことに腹を立てたり
その葡萄に執着し、思い通りにならないと泣いていても
結局、その葡萄は、手に入らないのですから。
しかし、納得しなければ動けません、
私のように、あきらめた後で
「あの葡萄はすっぱいはずだから、食べなくてよかった」
という負け惜しみでもよいし、
「絶対に手に入れる」と改めて出直してもよいし
「反省をばねに、新製品の開発をした」とか
「人の痛みがわかる人になれた」でもよいでしょう。
私の人生に起きることは、今までも、
そして、これからも、私の想い通りにならないことばかりです。
だからこそ、大切なことは、私が私らしく納得して
今日を気持ちよく生きる事かな。