(近くの農園に購入に行き、洗って詰めた 葡萄のお土産は
車中とホテルで食べました、ご馳走様 )
私の時間は、私の生命そのもの、
だから、私にとって最も貴重なもの
本当に価値あることに使っているのかしら?
と自問自答する。
9月4日夜の臨床カウンセリング研修会で3人の研究発表を拝聴した。
それぞれ、時間も労力も掛けておられているのがわかったし
大変な時間を過ごされたことと想像できた。
発表への細かいコメントはしたくなかった。
「勇気をもらった!」とだけ、伝えた。
9月3日 後期が始まった。
後期から授業の挨拶の方法を変更した。
今までは「おはようございます」と言いながら頭を下げていたが
「おはようございます」と言った後で、会釈することにした。
変更してみたら・・・
「起立」の号令で立っても 半分以上が挨拶しないまま座るのを見た。
めんどくさいんだか、反抗期なんだか、疲れているんだか
よくわからないけれども、あらまあ~と驚いた!
就職面接までに身に付くよう、特訓するぞと決めた。
相談室の帰りに買物をして、実家に帰る。
9月1日火曜の夕食時に、母のメモを見つけた。
<ポテトチップス・オイスターソース・ミートソース>
「TVを見ていたら、知らない食品だった」という。
この夏は、毎日しんどくて、ただただ寝てばかりで、ふぬけの母が、
メモを取るまで好奇心を持った事実が むしょうに嬉しかった。
ポテトチップス・・・「思ったほど、美味しいもんじゃない」
オイスターソース・・・「これは、うまい」 (牛肉と玉ねぎの炒め物に利用)
ミートソース・・・「スパゲッティ―はまだ食べたことがない」(多分、忘れただけ)
次回は、試食会をする予定。
愛は、「時間」を共有する事。
どれだけ「時間」をかけるかに 私の愛情が現れる。
私への愛情もそうだ。
いただいた「時間」はありがたくて、忘れない。
<遠くの親戚よりも、近くの他人>が身近に感じるのも
「時間」のせいなんだろう。
「時間」が無いのではなく、「時間」を与えないのだと、気付いている。
そうだ、私の「時間」を 自分だけで使いたいのだ。
仕事を仕上げたい、勉強したい、家の掃除をしたい のんびり休みたい・・
それでも、誰かと共に過ごす時間の方が 絶対楽しい。
忙しくても、ずるずるとデートの約束不履行は、しないぞ。
直接会えない人とは、手紙やメールや電話をするぞ。