4月29日(月)
10連休3日目です。
今日は昭和の日
明日は、平成最期の日
明後日は、令和が始まる日
令和になっても、どうか「平和」が続きますように!
昭和から平成に改元した頃は、
今日ほど時代を振り返らなかったのですが
終活も兼ねて 手つかずの古い書類整理をしました。
すっかり忘れていたものを手にすると、
急に懐かしい人々のことが、思い出されます。
亡くなった方も 何人もいらっしゃいますが、
皆様、お元気で 今日をお過ごしでしょうか。
その節は、大変お世話になりました、ありがとうございます。
少し片付いたので、その後は
皇室の特集TV番組を、長い時間ずっと観ていました。
断片的に耳にしたことのある
皇后さまと「でんでんむしのかなしみ」が
今日やっと、結び付きました。
------------皇后様と「でんでんむしのかなしみ」をめぐって 末森 千枝子(児童図書編集者)より引用---------
1998年、皇后様は、インドのニューデリーで開催された
IBBYの世界大会にて、ビデオテープによる基調講演をされました。
講演のテーマは「子供の本を通しての平和ー子供時代の読書の思い出ー」
思い出の最初にお話になったのが、新美南吉の「でんでんむしのかなしみ」でした。
「まだ小さな子供であった時に、一匹のでんでん虫の話を聞かせてもらったことがありました。
不確かな記憶ですので、今、恐らくはそのお話のもとはこれではないかと思われる、
新美南吉の「でんでん虫のかなしみ」にそってお話いたします。
そのでんでん虫は、ある日突然、自分の背中の殻に、悲しみが一杯つまっていることに気付き、
友達を訪ね、もう生きていけないのではないか、と自分の背負っている不幸を話します。
友達のでんでん虫は、それはあなただけではない、私の背中の殻にも、悲しみは一杯つまっていると答えます。
小さなでんでん虫は、別の友達、又別の友達と訪ねて行き、同じことを話すのですが、
どの友達からも返ってくる答えは同じでした。
そして、でんでん虫はやっと、悲しみは誰でも持っているのだ、ということに気付きます。
自分だけではないのだ。私は、私の悲しみをこらえていかなければならない。
この話は、このでんでん虫が、もうなげくのをやめたところで終わっています。
その頃、私はまだ大きな悲しみというものを知りませんでした。
だからでしょう。最後になげくのをやめたと知った時、ああよかった、と思いました。
それだけのことで、特にこのことにつき、じっと思いをめぐらせたということでもなかったのです。
しかし、この話は、その後何度となく、おもいがけないときに私の記憶に蘇ってきました。
殻一杯になる程の悲しみということと、ある日突然そのことに気付き、
もう生きてはいけないと思ったでんでん虫の不安とが、私の記憶に刻みこまれていたのでしょう。
少し大きくなると、はじめて聞いた時のように、「ああよかった」だけではすまされなくなりました。
生きていくということは、楽なことではないのだという、
何とはない不安を感じることもありました。それでも、私はこの話が決して嫌いではありませんでした。」
(中略)
読書は、人生の全てが、決して単純ではないことを教えてくれました。
私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。
人と人の関係においても、国と国との関係においても。」
皇后様の講演が終わると、会場は割れんばかりの拍手が起こり、
拍手をしている多くの人が、感動のあまり、うっすらと涙をうかべていました。