笑顔浴

優しい時間

過剰な不安

2014年02月21日 | Weblog

今週は期末テストでした。

試験問題の提出後に私の不安は最高レベルに達します。

合計した得点が100点にならなかったらどうしよう~とか

採点くださる先生にお渡しする回答の記入場所を間違えていないか、とか

悪しき妄想が、手を離れた瞬間に溢れてきます。

完璧であるにこしたことはないが

ま、仕方がない、

ミスがあったらお詫びして、粛々と私が作業を担当するのみ。

 

 

通勤の途中で、

鍵をしめたか、電気を消したか、気になると

「ま、いいか」と忘れてしまうタイプの人と

再び家に戻って確認するタイプの人に分かれます。

もしも、家に戻り確認して、電車に乗って

また心配になって 再び戻って・・を繰り返し、

夕方になっても会社に出勤できないと

せっかくの確認行動が、生活に支障をきたし逆効果です。

携帯電話の写真で確認すると、いいらしいですね。

鍵を閉めた後や電気を消した時に

写真をとれば、撮った時刻も記録できるから、不安が減るんだそうです。

手を洗う人も、洗った時間や時刻や回数を記録して、

これだけ洗えば大丈夫ねと納得できたら落ち着けるでしょうか。

高い場所が怖い、狭い場所が怖い、街が怖い、会社が怖い、人が怖い

不安になる原因はさまざまで

それぞれに理由があると思います。

 

「ま、いいか」と忘れてしまうタイプの人に

どう考えているのか教えてもらいました。

 

「うちには、泥棒が入らないデショ」

「前に確認に戻ったら、鍵がかかっていたので、たぶん大丈夫」

「帰るのがめんどくさい」

「遅刻しないことを優先させるべき」

「生活に必要な物が盗まれたら、新しく買う」

「たかだか12時間の間に、変化が起きるのは稀な確率」

 

バランスのとれた考え方ができると

今日を長閑に過ごせますね

 


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本当にありがたい

2014年02月17日 | Weblog

今朝、浄化槽の清掃会社から電話をもらった。

昨春、母が作業後の水を止め忘れ、水道代を8万円支払ったときに

次は私が止めに行くので、作業日を教えてとお願いしたのを

覚えていてくださった。

今回は、係りの人が、水道を止めに再び戻ってくださるという。

 

母のメガネ代を施設が出してくださることになった。

もう少し探せば、出てくるかもと申し上げたが、

本人に不便な生活を長くさせたくないという申し出だった。

 

臨床カウンセリング研修会の参加費は

3年以上出席している人は、割引率が大きくなった。

私は、2000円も安くなることに!

80代になったので専門書を処分するといっては、

安価で私たちに譲ってくださる。

今も学ぶことを止めない先生の

皆が内容の良い研修を、長く学び続けて欲しいという願いだと聞いた。

 

本当にありがたいと思う

私は、どのくらい、相手のことを思いやっているだろう。


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母のメガネ行方不明中

2014年02月15日 | Weblog

2月4日に母からメガネが違うと聞いた。

2月1日のデイサービスのお風呂場でスタッフさんに渡して

返してもらったら、違和感があり

「わたしのじゃない!」と何度も訴えたものの

「これが、○○さんのよ」と、全然、相手にしてもらえなかったらしい。

「子供扱いして ぼけてわからんという態度」と、いたくご立腹。

たぶん、メガネを失ったことより、

対等な関係でなかったことに傷ついたんだろうな。

 

母の物ではなかったので、デイサービスを訪問して伝えた。

それから、探していただいている。

与えられたメガネは、無事、持ち主の元に戻ったそうだ。

母のメガネは、まだ戻ってこない。

 

似たメガネを見かけてスタッフに伝えたら

「私のメガネだよと怒ってた」と連絡いただいたそうだ。

「似てるけど、違ってた」という言い方なら、

事柄のやり取りで終わったのだけど、

(怒り)という感情表現が一言入ったがために、

人間関係が絡んで、後を引く。

スタッフにどう思われているかも気になりはじめているんじゃないかと想像してる。

 

昨日、行きつけのメガネ店でフレームの写真を入手し、施設に届けた。

色やデザインや型番が、手掛かりになると助かるのだけれど。

「明日は、体調が悪くお休みするそうです」と教えてもらったので

実家に立ち寄ることにした。

 

二週間が経過した、私が早くメガネを見つけたい理由は

TVが見えない、文字が読めないという生活の質の低下もあるけど

精神的な不安定を解消したいほうが強い。

 

昨夜、夕食を一緒に作って食べた。

これだけ、大勢の人が探してくれて

私たちも、自宅を探したり、思いつくことはしたから

後は、出てくるのをただ、待つことにしよう。

そして、1か月待っても出てこなかったら、

同じメガネを作ろうと、方針を決めた。

 

「これからは自分で袋に入れて管理する」と

再発防止案を繰り返し母は語るので

8万円は私たちの危機管理の授業料として

無駄にならないと思う

 


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風まかせ2

2014年02月14日 | Weblog

2009年9月に

「風任せ」をブログに書いた。

 

前世で、両親に私を産んでくださいと約束して、この世に生まれた。
だけど、二人の遺伝子を受け継いで
結果として、私が存在している。

前世で、親しくなる人と約束して、この世で出逢う。
だけど、クラスや職場、旅先その他で知り合い
結果として、偶然仲良くなる。

前世で、自分の仕事を選んで、この世で働く。
だけど、不採用になったり、採用になったり
結果として、相手の都合で就職が決まった。

今夜、「私はこうなりたい」と具体的に願わないが
どうでもいいと匙を投げているわけじゃない。

前世の計画通りにスケジュールは進むから
明日の風任せなのだ。

明日、私の出会う人が、
私に新しい展開を贈るメッセンジャーだとしたら、
私は素直に従えばいい。

 

あれから、年月が流れた。

私は、相変わらず「明日の風まかせ」で生きている。

当時も今も心理カウンセラーの就職先は少ないが

就活に疲れて、生活も厳しく、開き直っていたと思う。

冒険と失敗の後に

嘱託相談員として相談室を三ケ所与えられた。

自殺対策推進委員会の末席に加えていただいた。

ゲートキーパー養成研修の講師も任せていただいた。

学び続ける場と仲間にめぐり合わせてもらった。

ボランティアのチャンスと居場所もさづかった。

得たものだけを拾ってゆくと

いつだって、順調に思えてくる。

 

与えられたものは、次のどなたかに与え

手にしたものは、やがて、手放す時となる

金は 天下の マワシモノ

運も 天下の マワシモノ

ただ、思い出だけは、私の所有物なので

明日、私が出逢う人と、懸命に いいものを作ろうと思う。

 

 


 


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挨拶の「つ」

2014年02月12日 | Weblog

挨拶の「つ」は、続けるの「つ」

 

挨拶だけは、声を掛ける特別な理由がなくてもできる。

なぜ声をかけてくるのか?

と質問されることがないし、

挨拶だから! と説明なしで済むのがいい。

他の誰かに紛れて ご一緒することもできる。

 

あなたがそこに居て

私がここに居る

このシンプルな安心感は

心の病を回復させる特効薬になることに

最近になって、気づいた。

 

継続は力なり !

継続する私の力

継続した成果である場の力

抽象的でよくわからないけど

その力に、期待する私です。

 

 


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挨拶の「さ」

2014年02月11日 | Weblog

挨拶の「さ」は、先にの「さ」

 

研修会でも職場でも

私が先に挨拶しなかったら、

挨拶の量は、激減するだろう

黙っていても、他の人から挨拶されるとは 思えない。

先出し挨拶で、いろんな人と交流できる

 

先を越されることも、まま、ある。

嬉しく、ありがたいと感じる。

後出し挨拶のメリットは

その人の気分を想像しながら挨拶できることで

「何かいいことあった?」とか

「今日は元気ないね」とか

「今日もよろしく」とか

関心があるから言える一言を、

おまけにつけることができること

 

挨拶で心地よい気持ちが、シャリーン!

と、毎日たまっていれば、

心のエネルギー源は、心配ない。

 

 


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挨拶の「い」

2014年02月09日 | Weblog

挨拶の「い」はいつもの「い」

 

いつもっていうのは、常にってことなんだと思う。

とても挨拶する気分になれない時だってあるけど

挨拶は、相手やその場所に属するものと考えて

したいからする、嫌だからしない

と、私の都合によらない方がいいみたい。

挨拶を求められていることに、気付けてないってことだから。

 

頑丈なバリアを張って

他者を寄せ付けない感じの人にも

とりあえず、挨拶だけはしようと思う。

平気そうに見えて、

挨拶されないことに敏感になっている気がする。

自分からは挨拶できず、そのことを責められるのではないかと心配してか

背中のセンサーでその場の空気を分析している。

傷つけられないように、バリアが益々厚くなってゆくのかな。

もともと、挨拶の下手な人だから、

気持ちの良い挨拶が返ってくるまでは、時間がかかると思うけど

いつか、そんな日もくるといいね。

 


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挨拶の「あ」

2014年02月08日 | Weblog

人と関わろうと思うなら、挨拶は欠かせない。

挨拶は、私の心をひらき、

運がよければ

その人の心も開くことができるかもしれない。

その一言で、生命を救うことさえ可能である貴重なものだ。

習慣やマナーや、或いは強制で

なんとなく挨拶する人も多いと思うけど

 

挨拶の「あ」は、愛情を持っての「あ」

愛情と聞くと・・かつては、好き・嫌い や 親しさ・優しさ を思ったけど

最近は、存在認知が愛情だと思うようになった。

「あなたがそこに居るのを、私は知っています」

「あなたを排除しません」

 

故意に無視するという行為は、

存在しているのに、存在していないように振る舞う

存在を消すことは殺人に匹敵すると想像する。

「基本的人権を尊重する」ことが、

「愛情を持つ」行為じゃないかしらん。

 

忙しさゆえの無関心も、問題かもしれない。

そんなつもりはなかったのに

結果として無視したことになった、切ない記憶がある。

 

人の他にも挨拶する対象が多い人が、幸せな人だと思える。

犬や猫や亀やウサギのようなペットへも

花や観葉植物や、自然の風や雪や雲や光にも

挨拶上手な人が増えたら、嬉しい。

のびのびした気分を一緒に味わいたいから。


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防衛

2014年02月05日 | Weblog

1月25日~26日、一泊二日の宿泊研修で

杉田峰康先生の「防衛機制」を拝聴しました。

今回は、防衛機制がどのようなシステムで成り立つかを

交流分析のPACで解説くださいました。

夕食後も、お話を聞かせていただけて、本当に幸せ。

私の吸収力がもっとよければ、嬉しいのですが

足りないながらも、講義を理解し、

実際にカウンセリングを見せていただくと心が揺るので、

それは、少なからず影響を受けたということにして満足しています。

(と、かなり防衛的なコメントになりました)

正直な気持ちは、

私の理解の薄さに気付いたぶん、これじゃあいかん!と不安になりました。

と書くべきところです~。

 

私がよく使うのは、「すっぱい葡萄」と分類される考え方です

山の中で美味しそうな葡萄を見つけて 近づいて手を伸ばす。

ところが、手が届かなくて、食べられない。

悔しい気持ちをなだめるために、私はつぶやきます。

「あの葡萄はすっぱいはずだから、食べなくてよかったよ」

後で、あれこれ言い訳を考えて、私を納得させるのです。

 

なぜ、必要か?

新しい葡萄を見つけるか、或いは手堅くその葡萄を採取するために、

次の行動に切り替えるためです。

いつまでも、そこにとどまり、

身長の低さを嘆いたり

道具を持ってこなかったことを悔やんだり

協力者のいないことに腹を立てたり

その葡萄に執着し、思い通りにならないと泣いていても

結局、その葡萄は、手に入らないのですから。

 

しかし、納得しなければ動けません、

私のように、あきらめた後で

「あの葡萄はすっぱいはずだから、食べなくてよかった」

という負け惜しみでもよいし、

「絶対に手に入れる」と改めて出直してもよいし

「反省をばねに、新製品の開発をした」とか

「人の痛みがわかる人になれた」でもよいでしょう。

 

私の人生に起きることは、今までも、

そして、これからも、私の想い通りにならないことばかりです。

だからこそ、大切なことは、私が私らしく納得して

今日を気持ちよく生きる事かな。

 

 

 

 

 


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