子どもの頃に比べたら、嘘がよくわからなくなった。
何を「嘘」と呼べばいいのかしら?
例えば、元気がないのに、元気だと答える人がいたとして
そもそも、元気の有無は、どのように、いつ、誰が決めるの?
私にとっては嘘に想えても、相手にとっては真実ってことがあるから
あなたが元気だというのなら、元気に違いない。
おと-ちゃんか、お母ちゃんに対して
「いついつ、遊びに行くって約束したのに、嘘つき!」
と大いに駄々をこねて泣いた経験を、多くの大人がお持ちではないか?
永遠に親友でいようと、指切りげんまん、嘘ついたら針千本の-ます
と心に誓ったその人と、今でも親友でいる人は多いんだろうか?
私は、何人かと約束したが、今では顔を想い出せない人もいる。
親友でない以上、針を飲まねばならないのかもしれない。
ただ、約束した時は、確かに心の底からそう考えたのは真実である。
友人関係には、メンテナンスが必要と、<お一人様の老後>にかかれてあったのは、こういうことね。
嘘かどうかの判定は、過去と現在に関してなら、わりと可能だと思う。
どこの中学を卒業したかを偽れば、調べて嘘だとわかる。
現在の勤務先の住所を偽れば、調べて嘘だとわかる。
将来のことに関しては、調べようがないから
善良な市民は、とりあえず「真実」と受け取る。
時間が経過した後、違いに気付いた時点で「嘘つき」と言う。
へそ曲がりの私は、とりあえず「嘘」と受け取ろう。
もしも後でそうならなくても、「嘘つき」とがっかりしなくてすむ。
将来に関する約束は、希望と期待の関係だね。
先のワールドカップで、優勝すると宣言したのに
優勝しなかったじゃないかと、怒る人は少数で
よくがんばったね、結果は残念でした!が多くの感想だった。
選挙公約を守らないとか、
結婚する時には、親の介護はないと言う説明だったのに、やらされてるとか。
念書には、1か月後に必ず返金するとあるのに、また先延ばししたとか。
来週からは登校すると約束したのに、家にいるとか。
嘘つき、と責めたい気持ちもわかるんだけど、
そうしたい気持ちがあっても、どうにもならない状況もあるよね。
私もあなたも、そして私達の関わる大勢の人々も
暮らす環境や、社会全体も、どんどん変化してて
無数の都合と都合が折り合って、明日がやってくるわけで
どうなるかは、明日の風しだいなんだ
ただ、賞味期限が短いけれど、
真実が、日々立ち上がってることを忘れてはいけない。
そうしたものが、変わらない確かなものを創造してると信じてるから