5月30日
4月3日に逝ったAさんのお別れ会に母と参加した。
開会にあたり、代表が挨拶なさったが、後半に
Aさんは怖かった!と感想を語ったとき、
みんなから同意のうふふが笑顔と共に漏れた。
彼女の正論は、周囲にも彼女自身にも厳しかったので
私もニーとした。
リーダーシップを発揮して、重度障害者が自立できるよう活動しているスライドが流れた。
「駅に エレベーターを!」の看板のそばで 車椅子でチラシを配る姿は
私の想像の中のAさんと重なった。
入口に置かれた数冊のアルバムには、私と遊びにいった時のものが多かった。
まだ、20~30歳代の若者の時代だ。
食事や喫茶以外に、市民劇場の芝居を2か月に一度見に行ったり
パーティにお洒落して参加したり、薪能の夕べにも出かけた。
あの頃は、時間がかかっても杖で立てたし 私の車に乗れたので
いろんな場所に、思い立ったらすぐに遊びにゆけた。
車椅子になると、ヘルパーさんが要るし、福祉タクシーの移動に伴い、デートの場所は限定された。
最後の様子を顔なじみのヘルパーさんが教えに来てくれた。
彼女が手を握って見送ったこと。
1時間位で眠るように穏やかだったこと。
メールの返事はAさんが口述して、ヘルパーさんが送信していたこと
心配をかけたくないと最後まで病気の事は伏せたこと
もう一度私と食事に行きたいと語っていたこと。
活動家の彼女しか知らない皆さんに
20歳で出会って、59歳の彼女とお別れするまでの
いくつかのエピソードを
プライベイトな友人として紹介するうちに
彼女に愛されていたことを 再確認できて
涙を流して癒された。