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素晴らしいアイデアを頭の中で描けることと
身体を使ってそれを行動できることは、違う才能です。
松山空襲の夜、当時20代の伯母の話によれば
市内中が燃え上がり、自宅も焼けて命からがら
田んぼの中に飛び込んで助かったそうです。
少年だった叔父は、玄関の横にしまっておいた桃が
翌朝、炭になっているのを見つけて 長い間泣いたそうです。
「1日早く食べていれば」と今だに悔しがっているので
よほど、楽しみにしていたのでしょう。
伯母は「家が焼ければ、もう逃げないで済む」と安堵したそうです。
よほど、守ることに疲れていたのでしょう。
これに応えて、友人も彼女の伯母さんの話を聞かせてくれました。
松山空襲の夜、
桃が美味しい季節だったっと聞きました。
広島からも「松山が燃えている」のが見えたそうで
嫁の里が大丈夫か見てくると言い、荷車に桃を積み込み
小船に乗って瀬戸内海を渡り、里の家が焼け残っているのを確認してくれたそうです。
空襲された翌日に被災地に入れば、悪路を辿り、危険も一杯でしょうに
怪我人を荷車に乗せて連れ帰るつもりだったとか。
あれから、伯母は生涯 姑に頭があがらなかったそうです。
本当に凄い勇気。
お姑さんも最初は行かずにすむ言い訳を考えたかもしれない。
でも、結果として行動したんだ。
生きてる間に 1度か2度くらい、
ここぞ!という時に 言い訳しないで
人生を掛けて行動できる私でいたいと思いました。
身体を使ってそれを行動できることは、違う才能です。
松山空襲の夜、当時20代の伯母の話によれば
市内中が燃え上がり、自宅も焼けて命からがら
田んぼの中に飛び込んで助かったそうです。
少年だった叔父は、玄関の横にしまっておいた桃が
翌朝、炭になっているのを見つけて 長い間泣いたそうです。
「1日早く食べていれば」と今だに悔しがっているので
よほど、楽しみにしていたのでしょう。
伯母は「家が焼ければ、もう逃げないで済む」と安堵したそうです。
よほど、守ることに疲れていたのでしょう。
これに応えて、友人も彼女の伯母さんの話を聞かせてくれました。
松山空襲の夜、
桃が美味しい季節だったっと聞きました。
広島からも「松山が燃えている」のが見えたそうで
嫁の里が大丈夫か見てくると言い、荷車に桃を積み込み
小船に乗って瀬戸内海を渡り、里の家が焼け残っているのを確認してくれたそうです。
空襲された翌日に被災地に入れば、悪路を辿り、危険も一杯でしょうに
怪我人を荷車に乗せて連れ帰るつもりだったとか。
あれから、伯母は生涯 姑に頭があがらなかったそうです。
本当に凄い勇気。
お姑さんも最初は行かずにすむ言い訳を考えたかもしれない。
でも、結果として行動したんだ。
生きてる間に 1度か2度くらい、
ここぞ!という時に 言い訳しないで
人生を掛けて行動できる私でいたいと思いました。