勉強しろというと、勉強しないという。
勉強するなというと、勉強させろという。
学生達も、他人に支配されたくないのでしょう。
「したら しただけ、寝てたら それなり。 どうするかは自分で考えろ」と私は学生に伝えますが、
国家試験の高合格率を維持したい担任の先生には考えられない無責任な発言です。
さて、ビルの屋上で 今、まさに飛び降りようとしている人に 警察官が声をかけています。
「死ぬな!死んではいけない」と詰め寄ると、「近寄るな、絶対に死ぬ!」と応える。
「やめろ、考え直せ」と説得すると、「これしかない、絶対にやめない」と応える。
そこへ、たまたま お掃除のおばちゃんが通りかかってしまった。
「死ぬほど追いつめられて、あんたもかわいそうになあ~。
死ぬ前に、あたたかいお茶でも飲んでゆくかい?」と声をかけたら
「はい」と素直に降りてきたという 実話があるらしい。
自殺抑止が仕事である警察官や、生きててほしいと強く願う家族
自死は悪だと執着する人には思いもよらないセリフ。
その人の生死に直接関係がない 通りががりの他人だからこそ
死ぬのも生きるのもあなたの自由で、どっちでもいいし、
私には関係がないのでという無責任なスタンスで関われるのですね。
けれども お茶やお菓子や優しいもてなしが、張り詰めた心に隙間を作り
ガチガチの「~であるべきだ~せねばならない枠」を少し緩めたようですね。