とうてい使い切れないぞと思った
ガラス容器に充填された蝋燭も
じわじわと ロウを溶かして終了し
5度目の冬にようやく新しい蝋燭に交代した。
蝋燭の残りが 命の残り時間に例えられるけれど
私の命は、あとどのくらい残っているだろう?
一人暮らしだった伯母が過夏に脳梗塞で自宅の2階で倒れた時
運のよいことに窓が開いており、しかも
助けを呼ぶ声に、隣の人が気付いてくれた。
それで、命を救われた。
命の恩人に、今年もご挨拶に行くと伯母(96)は決めている。
ある日脳梗塞→入院→退院→家に戻ることなく施設入所
この施設は、一人の外出は許可しない。
施設のヘルパーが同行するサービスがあるが
費用が発生するのと、人手不足のおりに申し訳なくて頼めないらしい。
用事があると、妹である母(87)に来てという。
母は、「車が無いけん来て」と私にいう。
母も私も、自分の歩行がおぼつかない。
伯母が寄りかかろうものなら共倒れで、
面会に差し入れを持参するのは問題ないが、介助は「NO!」である。
「電話で話して、感謝の贈物を手紙と一緒に 郵送すれば、いいじゃん!
外出先で転倒して、骨折したら寝たきりになって、動けなくなるんだよ。
そういう役を、私達に頼まないで!」と 本当は断りたい。
母 「なんで、雑用の時だけ私なん?」
伯母 「他におらんのじゃけん、助けてもらわんと仕方がない」
私に気を遣う母と、嫁ぎ先の親族が近くに居るのに
甘えられない伯母の事情を察して、私は黙る。
そこに、将来の私の姿も重ねてしまう。
伯母は介助して欲しいと頼まない。
「目的地の近くまで、車で運んでくれ」と言っているのだ。
でこぼこな道でも1人で歩く
強い風でも転倒しない
荷物は自分で持つ
短距離は、一人で大丈夫、と言う
それで、私は、ドライバー役をする。
言いだしたら、説得しても無駄である。
それだけ、本人にとって譲れないことなんだろうと 想う。
訪問日を決める時も、1週間が待てないのは、
明日の命を信じない覚悟だろう。
私は、<危ない>という理由で、
自分のしたいことを取り上げられたことが 少ない。
マッさんに登場する大将の「やってみなはれ~」ではないが
周囲の人の、失敗したら、失敗した時に考える的な<受容>がありがたかった。
人生の責任をとるのは、その人自身だ。
したいと望むなら やってみればいい。
人生、死ぬまで 冒険じゃ。