平々凡々とした日々(?)を支離滅裂に綴る雑記

映画・F1・時計等が趣味です。
日々これらのことにに関することや雑感などを駄文乱文でつづっていきます

生きろ 島田叡 戦中最後の沖縄県知事

2021年03月25日 23時59分49秒 | 映画・ドラマ・アニメ
先週の日曜日、HAYATOと→Pia-no-jaC←のライブの前、午前中に1本映画を観ました。
観たのは、「生きろ 島田叡 戦中最後の沖縄県知事」です。
ドキュマンタリー映画なのでの、観ることは即決。
戦中最後の沖縄県知事とのことなのですが、全く知らないのですが、
特に調べず、真っ白なまま観に行くことにしました。


内容は、太平洋戦争末期の沖縄県知事・島田叡にスポットを当て、知られざる沖縄戦中史を描いたドキュメンタリー。
1944年10月10日、米軍による大空襲で壊滅的な打撃を受けた沖縄。翌年1月、内務省は新たな沖縄県知事として、
当時大阪府の内政部長だった島田叡を任命する。家族を大阪に残して沖縄に降り立った島田は、大規模な疎開促進や、
食糧不足解消に奔走するなど、様々な施策を断行。米軍の沖縄本島上陸後は、壕を移動しながら行政を続けた。
大勢の県民が命を落としていく中、島田は軍部からの理不尽な要求と、行政官としての住民第一主義という信念の板挟みとなり、
苦渋の選択を迫られる。戦時下の教育により「玉砕こそが美徳」とされた時代、周囲の人々に「生きろ」と言い続けた島田の生き方、
考え方はどのように育まれたのか。沖縄戦を生き延びた県民たち、軍や県の関係者、遺族への取材を中心に、
新たに発見された資料を交えながら、その生涯に迫る。


まずは基本的なところで、当時の沖縄県知事は本土から任命されて行っていたのですね。
なので、島田も大阪から沖縄に行っており、沖縄に縁もゆかりもない人物だったのです。前任者は地元の人達を馬鹿にしつつ、
戦火が近づくにつれ本土に出張と称して出かけ帰ってこず、本土から来た官僚もそれに倣う始末。そんな中島田が沖縄県知事に任命された
背景には彼が清廉潔白で歯に衣物言いをするため、いわゆるエリートコースからはずれ地方を回っていた人物だったからのようだ。
体のいいやっかいばらい的な感じの任命のように感じる。彼自身は死を覚悟して沖縄に赴く。もちろん家族は反対してがそれに従うような
人物ではなかった。気骨の人物である。赴任後も沖縄のため滞っていた疎開の促進、食糧調達のため制空権を奪われていたにもかかわ
らず、台湾まで飛び食糧調達を成功する等尽力を尽くす。そんな中、軍の理不尽な要求な中で大田真海軍司令官との交流が生まれる。
立場は違うものの考え方は似ていたので親交が生まれたのかもしれない。逆に典型的な軍人であった牛島満陸軍司令官とは交流は生まれなかった。
もっとも、エリートが集まる陸軍のなので、それが当たり前なのかもしれません。
そんな中で沖縄戦が始まり、軍からの不条理な要請と県民を生き延びさせたいという気持ちとの間に板挟みになりながら濠を移動しながら、県政を行うのは、強靭な意志がなければできないことではないだろうか。県庁の解体をもって軍からの要求を断ったあたりは、彼の
強い意志の表れだ。近しい人たちを励まし生き延びることを説く島田。そんな彼自身は多くの県民を死に至らしめた自責から自死を
選ぶ。この辺りはなんとも悲しい思いになる。人には生き延びよと言っているのに。しかし彼の責任感・使命感の強さが、そうするしか
道を残さなかったのかもしれない。
最近では、官僚の汚職がニュースを賑わしたが、同じ官僚としての島田の生き様を鑑みるとなんともね・・・。もっとも官僚の多くが
真面目にやっていて心身を削っているのだが。また戦時下とコロナ禍という同じ有事に際しているという意味では、各都道府県知事も
当時の島田のように都道府県民のため尽力をつくして欲しいものですね。


最後に小椋桂の主題歌「生きろ」が流れるのだが、この歌詞が映画と相まって刺さります。
「耳をそばだて、命の声を聞こう」、「美しい死などというものはない」という歌詞は印象的でした。

曲と言えば、この映画を観てすぐに浮かんできたのは、この曲でした・・・。








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