現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

古田足日「国語教育と文学教育のちがいについての感想」児童文学の旗所収

2017-11-07 09:24:03 | 参考文献
 1965年12月に「教育科学国語教育」に掲載された評論です。
 著者自身も途中で認めているように、「国語教育」という用語を「言語教育」に近い意味で使っています。
 「文学教育」を授業として行うためには、その作品を子どもたちが理解するだけの知識を与えるための事前教育が必要だとしています。
 それはその通りで非常に理想的なのですが、実際にはその準備も含めてかなりの時間が必要なので、実現は難しいと思われます。
 次に、「文学授業」を大人の作品研究会のように、参加者が感想を述べ合って互いにぶつけ合うような形にしたらどうかという提案がありました。
 著者がいう「大人の作品研究会」がどのようなものかははっきり書いてありませんが、おそらくは読書会(一般的には出版されている作品を対象)か、合評会(一般的には会員の未発表の作品を対象)のようなものと思われます。
 著者は、「のちのちまで心にのこるような研究会は、それ自身芸術的である」と述べていますが、私も学生時代の「宮沢賢治研究会」の読書会や今の同人誌の合評会で同様の経験がたびたびあります。
 多人数で文学経験もまちまちな学校の教室で、同様の体験を持つのは難しいと思いますが、教師の適切なリード(決して特定の方向へ導くのではなく、発言が特定の子どもに偏ったり、発言が停滞したりした時に、その状況を打破するきっかけを与えるようなものをイメージしています)があれば、子どもたちに一定の満足を与えることができるのではないでしょうか。
 それは、「ここにおける作者の意図は何か」といった陳腐なクイズのような「国語教育」では決して得られない、「文学作品に親しむ」ことにつながる「文学教育」になるのではないでしょうか。 

児童文学の旗 (1970年) (児童文学評論シリーズ)
クリエーター情報なし
理論社
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吉田道子「ヤマトシジミの食卓」

2017-11-07 08:36:56 | 作品論
 小学校三年生のかんこは、近頃不満でなりません。
 にいちゃんは、マフィアと名付けた拾ってきた犬を、かんこにさわらせてくれません。
 仲良しのともちゃんは、ハワイへ引っ越してしまいます。
 そんなかんこは、空き地の石の上に座っていた風助というおじいちゃんを拾ってきてしまいます。
 そんな風助さんを、かんこの家族はあっさりと受け入れます。
 かんこのおとうさんが、実の父親を十分に面倒を見切れなかったという後悔をもっていて、その埋め合わせのつもりのようです。
 風助さんは「あしたはかんこの味方だ」と、最近ついていないかんこをはげましてくれます。
 風助さんは時々姿を消しますが、またふらりと現れます。
 風助さんが現れてから、かんこの状況はだんだんよくなります。
 にいちゃんとも仲良くなったし、かおという名前の新しい友達もできます。
 風助さんが亡くなって、かんこに初めて会ったあの空き地をかんこに遺産として残してくれます。
 風助さんは身寄りがなく、和歌山の老人ホームで暮らしていたのです。
 そして、家族のところへ行くと言って、かんこの家へ時々来ていたのです。
 風助さんがかんこに残してくれた土地は、ヤマトシジミの生息地です。
 かんこは、あの時風助さんが座っていた石を、ヤマトシジミの食卓と呼んでいます。
 2011年度の読書感想文コンクールの課題図書で、日本児童文学者協会賞にも選ばれています。
 課題図書に選ばれたことには異存はありません。
 老人問題や家族愛や友情など、感想文の書きやすい作品でしょう。
 しかし、これが協会賞を取るほどの作品でしょうか。
 確かに、老人の孤独や家族の愛情などをうまく書いた佳品ではあると思います。
 でも、その年度を代表する協会賞の作品としては、あまりにも軽量級ではないでしょうか。
 出てくる登場人物は、どれも善人ばかりで読み味はとてもいいです。
 しかし、これが2011年の現実を生きている子どもたちを捉えた作品とは、とても思えないのです。
 私の手元に、日本児童文学者協会の評論研究会がまとめた過去の協会賞の一覧表があります。
 第1回は1961年で、鈴木実たちの共著の「山が泣いている」が選ばれています。
 ちなみに、最終候補には、山中恒の「とべたら本こ」「サムライの子」、松谷みよ子の「龍の子太郎」、今江祥智の「山の向こうは青い海だった」などの、現代児童文学史に名前を残す名作がズラリと並んでいます。
 第2回の1962年は、早船ちよの「キューポラのある町」が、最終候補の古田足日の「ぬすまれた町」、いぬいとみこの「北極のミーシカ・ムーシカ」、寺村輝夫の「ぼくは王様」、安藤美紀夫の「白いリス」、砂田弘の「東京のサンタクロース」などをおさえて選ばれています。
 どちらの受賞作や候補作たちも、当時の社会の中で生きていた子どもたちを捉えたまさにヘビー級の作品です。
 では、2011年の選者たちが、後世にも残るようないい作品を取り落としたのでしょうか?
 どうもそうではなさそうです。
 他にも、これといった作品がなかったようなのです。
 それならば、何人かの選者が述べているように、該当作なしにしても良かったのではないでしょうか?
 いつごろから、協会賞がこんなにお手軽な作品に与えられるようになったのでしょうか?
 受賞作一覧を眺めてみると、1980年代ごろからこれが協会賞?と首をひねりたくなるような作品が散見されるようになります。
 かといって、最終候補に残った他の作品にもこれといったものがありません。
 やはり、このころから「現代日本児童文学」は衰退していったのでしょう。

ヤマトシジミの食卓
クリエーター情報なし
くもん出版
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