現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション

2017-11-18 09:16:36 | 映画
 シリーズ物なのでそれほど期待しないで観ましたが、期待以上でした。
 ストーリー自体はご都合主義で深みはないのですが、とにかくアクションに次ぐアクションの連続で観客を飽きさせません。
 一番いい点は、リアルなアクションとCGがうまく融合していることです。
 どんなにすごいアクションでも、CG丸出しでは興ざめしてしまいます。
 特に、主役のトム・クルーズはもう50代なのに、体を張ったリアル・アクションで頑張っています。
 敵の撃った弾は絶対に主役にはあたらないとか、怪我したはずなのにすぐに治ってしまうなど、突っ込みどころは満載なのですが、そこは肩の凝らないエンターテインメントなのですから、観客もそれを承知で楽しんでいます。

ミッション:インポッシブル (字幕版)
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古田足日「子どものためか自己表現か」児童文学の旗所収

2017-11-18 09:14:59 | 参考文献
 1969年4月に、「週刊読書人」に掲載された評論です。
 これは、児童文学の創作を志す人たちの間では、「古くて新しい」、つねに議論される命題です。
 著者の意見はシンプルで、こうした「二者択一的な問題の立て方そのものがまちがっている。児童文学作品はその両者が統一されたとき、生まれてくるのだ。」としています。
 この意見は非常に理想的な模範解答なのですが、著者自身も書いているように、実際には「子ども」よりの作品もありますし、「自己表現」よりの作品もあります。
 現在の児童文学研究者ないし評論家たちは、かつてそれらを担っていた人々(著者、安藤美紀夫、いぬいとみこ、石井桃子、上野瞭など)に比べて実作の経験が乏しい(ただし、村中季衣は例外的にどちらにおいても優れた仕事をしています)ので、あまり児童文学の書き手たちの創作の動機には疎いのですが、この命題に対しては、児童文学研究者の石井直人が提示している以下の楕円原理(児童文学は、児童と文学の二つの中心を持つ楕円構造をしている)がよりあてはまるように思えます(その記事を参照してください)。
「(前略)わたしは、こういいたい。児童と文学の二つの原理が、たとえば、子どものためと自己表現というかたちで矛盾してあることの緊張こそが、児童文学というジャンルを動かすエネルギーの源泉なのである、と。なぜならば、「児童文学は、かならず子どもという読者を予定し、つまり他人を通じて自己探求する」ものだからである。」
 実際に、私自身は、同人誌の仲間たちが「児童」と「文学」の両方の原理による葛藤と闘っている姿を、毎月の合評会で目撃し続けています。

児童文学の旗 (1970年) (児童文学評論シリーズ)
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理論社
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