強迫神経症気味(特に地震に対して)の大学三年生の男子の話なので、これも児童文学のヤングアダルト物に分類できます。
彼自身や周囲の男女の恋バナや失恋話(自爆も含めて)が中心ですが、津村らしく京都やアルゼンチンや地震についてのマニアックな情報がちりばめてあってけっこう読ませます。
この話でも家庭崩壊やアルバイトでの自活や就活などは設定されていますが、それは背景程度で軽い読み物になっています。
かなり無理なストーリー、偶然の多用など、エンターテインメント寄りのつくりになっていますが、インターネットのサイトで知り合ったアルゼンチンの女の子と英文メールで文通(?)するあたりが今日的で新鮮さが感じられました。
この話でもアルゼンチンの少女の彼氏のためにお祈りするシーンがあって、「サイガサマのウィッカーマン」とは書かれた時期もタッチも違いますがお祈りつながりなので、「これからお祈りにいきます」という書名になったのでしょう。
また、「祈り」は、津村が若い世代に対して現在思っていることなのかもしれません。
彼自身や周囲の男女の恋バナや失恋話(自爆も含めて)が中心ですが、津村らしく京都やアルゼンチンや地震についてのマニアックな情報がちりばめてあってけっこう読ませます。
この話でも家庭崩壊やアルバイトでの自活や就活などは設定されていますが、それは背景程度で軽い読み物になっています。
かなり無理なストーリー、偶然の多用など、エンターテインメント寄りのつくりになっていますが、インターネットのサイトで知り合ったアルゼンチンの女の子と英文メールで文通(?)するあたりが今日的で新鮮さが感じられました。
この話でもアルゼンチンの少女の彼氏のためにお祈りするシーンがあって、「サイガサマのウィッカーマン」とは書かれた時期もタッチも違いますがお祈りつながりなので、「これからお祈りにいきます」という書名になったのでしょう。
また、「祈り」は、津村が若い世代に対して現在思っていることなのかもしれません。
これからお祈りにいきます (単行本) | |
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