認知症にかかり始めていると思われる八十歳をとうに超えている一人暮らしの老女と、障害を持った小学生の男の子が、「こんにちわ、さようなら」とあいさつを交わすことで触れ合う物語です。
作品の狙いは面白いし、今日的なテーマを持っています。
しかし、書き方が老女の声に出さないモノローグ(最後の部分は少年の母親の文字通りのモノローグ)なので、二人の結びつきが読者の心に自然に響いてきません。
また、少年の母親が、見ず知らずの老女に(前にスーパーで万引きの疑いをかけたことはありますが)、唐突に心を開いて、深刻な内容をベラベラと話し出すのはあまりにも不自然です。
かつて児童文学者の安藤美紀夫は、「児童文学はアクションとダイアローグで書いた物語」と定義していましたが、この作品ではあまりにもアクションとダイアローグが足りないと思います。
確かにこの作品は大人の読者を対象に書かれたもので児童文学ではないかもしれませんが、それにしても独りよがり(老女の戦争中の思い出も非常に類型的)な作者の思い込みで書かれていて、新しい発見がありません。
また、作者は、この作品でも、障害を持った子どもは、父親には捨てられ母親には殺されそうになり、周囲からは理解されないという固定観念に縛られていて、新しいストーリーを生み出すことを阻害しています。
ただし、一人暮らしの老人と阻害されている子どもの関係というのは、新しい児童文学を生み出す可能性を持った素材だと思います。
作品の狙いは面白いし、今日的なテーマを持っています。
しかし、書き方が老女の声に出さないモノローグ(最後の部分は少年の母親の文字通りのモノローグ)なので、二人の結びつきが読者の心に自然に響いてきません。
また、少年の母親が、見ず知らずの老女に(前にスーパーで万引きの疑いをかけたことはありますが)、唐突に心を開いて、深刻な内容をベラベラと話し出すのはあまりにも不自然です。
かつて児童文学者の安藤美紀夫は、「児童文学はアクションとダイアローグで書いた物語」と定義していましたが、この作品ではあまりにもアクションとダイアローグが足りないと思います。
確かにこの作品は大人の読者を対象に書かれたもので児童文学ではないかもしれませんが、それにしても独りよがり(老女の戦争中の思い出も非常に類型的)な作者の思い込みで書かれていて、新しい発見がありません。
また、作者は、この作品でも、障害を持った子どもは、父親には捨てられ母親には殺されそうになり、周囲からは理解されないという固定観念に縛られていて、新しいストーリーを生み出すことを阻害しています。
ただし、一人暮らしの老人と阻害されている子どもの関係というのは、新しい児童文学を生み出す可能性を持った素材だと思います。
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