現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

坪田譲治「魔法」講談社版少年少女世界文学全集第49巻現代日本童話集所収

2020-05-06 10:58:57 | 作品論
 主人公の善太(小学生)と三平(就学前)は、「風の中の子供」や「お化けの世界」といった作者の代表作(児童文学というよりは、子どもの視点で書いた一般文学に近い作品)でも、主人公をつとめています。
 思いやりがあって賢い善太は兄の、甘えん坊でやんちゃな三平は弟の、典型的なキャラクターとして確立され、多くの模倣者を生み出しました。
 この作品では、善太が「魔法」だと称する、ちょうちょなどの虫を人間に変えたり、人間を虫に変えたりする力(演技)を、三平が半信半疑で真似てる、仲良しの兄弟らしい姿が生き生きと描写されています。
 こうした坪田作品に影響されて、「生活童話」(注:子どもの日常生活を写実的な手法で描いた作品)というジャンルが日本の児童文学において確立されましたが、他の記事に書いたように、現代児童文学(定義などは他の記事を参照してください)のスタート時に、「少年文学宣言」派にも、「子どもと文学」派にも、否定されました(関連する記事を参照してください)。
 著者自身の作品も、「生きた子どもを作品に描き出した」点は評価されたものの、「「死」、「不安」といった負のイメージ」が未来を生きる子どもたちにふさわしくないと否定されました。
 しかし、著者の作品が、その追随者である凡百の「生活童話」と違っている点は、その文章や人物造形が優れた文学性を持っている点であり、当時は子ども向けではないと否定された「風の中の子どもたち」のような人生の負の部分も描いた作品も、そうしたタブーが1980年頃に否定された後では、その作品の持つ社会性をもっと評価されるべきだったでしょう。
 私は、1973年に、偶然一度だけ著者をお見かけしたことがあります。
 著者は、自宅の離れにある書庫を「びわの実文庫」として開放されており、当時大学一年だった私は児童文学研究会の先輩たちと本をお借りにうかがったのです。
 私が先輩と書庫で借りる本(著者には、各出版社やたくさんの門下生(著者は、「びわの実学校」という童話雑誌を主催されておられ、大石真、松谷みよ子、あまんきみこ、庄野英二などの優れた児童文学者を育成されました)から贈られた膨大な本がありました)を物色していると、突然、老先生(当時は八十才台になられていたと思います)が入ってこられ、二階(おそらく仕事場があるのでしょう)へ上がっていかれました。
 私たちは、この児童文学の大先輩(大学の先輩でもあります)にきちんとした挨拶もできずに、「この人が児童文学界の三種の神器の一人(他は小川未明と浜田広介)か」と、畏敬の眼差しで見送ったことを今でも覚えています。
 
 

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トールちゃん

2020-05-06 09:28:36 | 作品
 久しぶりに晴れ上がった青空を、ピイピイと鳴きかわしながらヒバリが飛びまわっている。
芳樹たちヤングリーブスは、町営グラウンドで春季大会の一回戦を戦っていた。
 相手チームの攻撃中だった。センターの前方に、小さなフライがフラフラッとあがった。ツーアウトだったので、満塁のランナーはいっせいにスタートを切っている。
「オーライ、オーライ」
 センターのトールちゃんが、すごい勢いで前進してきた。
(なんなくキャッチ)
と、思ったら、勢いあまってボールがグラブから飛び出した。
「うわあ!」
 ヤングリーブスの応援席から、悲鳴があがりかける。
 トールちゃんは、けんめいにダイビングキャッチ。なんとか地面に落ちる前に、もう一度ボールをつかんでいた。
「あぶねーなあ。落としてたら、二点は入っちまうとこだった」
 ベンチでは、監督が苦笑いしている。そんなことにはおかまいなしに、トールちゃんはキャッチしたグローブを誇らしげにかかげながらかけてきた。
「いいぞ、トールちゃん」
「ナイスキャッチ」
 応援席からは、自作自演のファインプレーに大きな拍手と声援が飛んだ。
 トールちゃんは最上級生の六年なので、本来ならばもっと経験を必要とする内野をやっていなければならない。
 でも、あぶなっかしいプレーが災いして、今年も引き続き外野を守っている。
 そのせいもあって、五年生の芳樹や良平たちが、サードやショートといった重要なポジションを守らねばならなかった。
「本当は、お前たちがやらなきゃいけないんだぞ」
 監督にそうハッパをかけられると、外野にまわされている六年生たちは、みんな小さくなって肩をすくめていた。
 でも、トールちゃんだけは、そんなことはぜんぜん気にしていないようだった。だから、監督に(ノーテンキなトールちゃん)なんて、古くさいニックネームで呼ばれるのだ
「バッチ、積極的に打っていこうぜい」
 コーチスボックスから、トールちゃんの元気のいい声がグランドに響いた。トップバッターのトールちゃんは、すでに豪快な空振り三振をきっしている。そのままベンチには戻らずに、一塁コーチになっていた。
 本来、ベースコーチは、下級生や補欠の選手の役目だ。
 でも、六年生の中で、トールちゃんだけはいつも率先して務めていた。
 二番バッターの芳樹への投球は、外角に大きくはずれた。
「ピッチ、怖がってるよお」
 トールちゃんの声が、さらに大きくなった。
 ベンチにいても一番声を出しているし、守備でもセンターから大きな声でピッチャーをはげましていた。監督にいわせると、ムードメーカーとしての貢献度は、トールちゃんが断然ナンバーワンということになる。

 芳樹の送りバントが、サードの前にコロコロところがった。
「ファースト!」
 二塁はあきらめて一塁へ投げるように、キャッチャーが三塁手に指示している。
 送りバント成功。
 最終回の裏で、5対5の同点だった。
 ワンアウト二塁にして、一打サヨナラの絶好のチャンスをむかえられる。
「あっ、馬鹿っ」
 監督が大声でうめいた。応援団からも、悲鳴のような声がわきあがっている。
 一塁でフォースアウトされた芳樹は、三塁方向に振り返った。一塁ランナーだったトールちゃんが、送球の間に強引に二塁をけって三塁へ走っていたのだ。完全な暴走だ。
 一塁手はすばやく三塁へ転送。タイミングは完全にアウトだった。
 ところが、あわててベースに戻った三塁手が、ボールをうしろにそらしてしまった。
「まわれ、まわれ」
 ベンチの大騒ぎに、スライディングで横になったままだったトールちゃんが、あわてて立ちあがった。振りかえると、ボールはファールグラウンドを転々ところがっている。トールちゃんは、けんめいにホームを目指して駆け出した。
 ホームイン。サヨナラ勝ちだ。
「ウワーッ」
 芳樹は、大喜びでトールちゃんに駆け寄っていった。他のチームメイトも飛び出してきて、トールちゃんはもみくちゃにされてしまった。
 監督はベンチでまた苦笑いしていたけれど、とにかくこれで一回戦を突破だ。

「ありがとうございました」
 キャプテンの誠くんのかけ声とともに、みんなで応援団の前に整列して試合後の挨拶をした。
「いいぞお!」
「トールちゃん、最高」
 ベンチ横に集まった応援団から声援が飛ぶ。チームのみんなも、一回戦突破に大喜びだ。中でも、トールちゃんは最後のファインプレー(?)のせいもあってか、一番うれしそうな顔をしている。
 試合が行われている町営グラウンドは、チームのある地域から近いこともあって、応援の家族の人たちがいつもよりも多かった。
芳樹のとうさんとかあさんも、今日はスマホやタブレット端末で芳樹の動画や写真を撮りながら、試合を見ている。チームの中心である六年生の親たちは、もちろんみんな顔をそろえている。
 しかし、トールちゃんの両親だけは、その中に姿がなかった。今日に限らず、トールちゃんの両親は、練習はもちろん、試合にさえほとんど顔を見せなかった。
 チームの裏方の仕事は、六年生のおかあさんたちが中心になって行っている。練習グラウンドの予約、会計、備品の購入、食べ物や飲み物の準備など、仕事はたくさんあった。
 グラウンドの整備、練習の手伝い、チームの車での送迎、審判やスコアラー。こういった仕事は、六年生のおとうさんたちが中心になって手伝っている。
 しかし、トールちゃんの両親は、おとうさんはもちろん、おかあさんさえめったに顔を見せなかった。うわさでは、トールちゃんのにいさんがチームにいたとき、中学受験のためにシーズンの途中で主力選手だった彼をやめさせて、監督たちともめたらしい。

「それじゃあ、みんな一列に並んでえ」
 チームのマネージャーをやっている誠くんのおかあさんが、おにぎりの入った大きな袋を手に、みんなに声をかけた。まわりには他の六年生のおかあさんたちも、飲み物やお菓子の入った袋を持って立っている。
「うわーっ」
 お腹をすかせていたみんなが、われ先にと押し寄せた。芳樹はすばやくまっさきにならぼうとしたが、トールちゃんに押しのけられて先頭を奪われてしまった。
「トールちゃん、押すなよ」
 芳樹が文句をいっても、トールちゃんはしらんぷりをしている。
「だめだめ、小さい子順だぞ」
 キャプテンの誠くんが、押し合いへしあいしているみんなにいった。
「ちぇーっ、ずりいなあ」
 トールちゃんはさも残念そうに顔をしかめながら、列の後にまわった。
「ブー、ブー」
 他の六年生たちが、口をそろえてからかっている。
 午後の二回戦に備えて、近くの公園でお昼を食べることになっていた。六年生のおかあさんたちがみんなからあずかっていたおにぎりと飲み物。それに、劇的な勝利に大喜びの応援団からは、アイスやお菓子も差し入れされて、豪華版の昼食になっていた。
 芝生の広場にひろげたシートの上で、みんな思い思いにおにぎりをほおばっている。
 こんな時、食べるのが一番早いのもトールちゃんだ。隣にすわった芳樹が最初のおにぎりを半分も食べないうちに、割り当ての2個をペロリと食べて、もうお菓子に取りかかっている。
 みんなのまわりでは、監督やコーチ、それに応援の家族の人たちもいっしょにお昼を食べている。
「徹(とおる)。おまえ、なんで3塁へ走ったんだあ?」
 真っ先に食べ終わって立ち上がったトールちゃんに、監督が声をかけた。
「えーっと、実はツーアウトだとかんちがいしちゃって。えへへ」
 トールちゃんはペロリと舌を出した。
「おいおい、またかよ。アウトカウントをしっかり覚えておけって、いつもいってるだろ」
 監督があきれ顔をすると、
「まあ、いいじゃないですか、勝ったんだし。そんな細かいことは」
 そういって、トールちゃんは監督の肩をポーンとたたいた。
「あーあ。おまえは、本当にうちのラッキーボーイだよ」
 とうとうあきらめたように、監督がため息をついた。
「トールちゃんにかかっちゃ、さすがの鬼監督もかたなしですね」
 打撃担当の佐藤コーチがすかさず口をはさむと、他のコーチや応援の人たちも楽しそうに笑いだした。

 しばらくすると、食べ終わったみんなは、公園の砂場で遊びだした。芳樹たち五年生も、下級生たちと一緒に砂の山を作りはじめた。
 でも、てんでんバラバラにやっているので、ごちゃごちゃしていて何がなんだかわからない。
「だめだめ、そんなやり方じゃあ」
 トールちゃんがそういいながら、のりだしてきた。
 砂場のまん中に陣取ると、みんなを指揮してひとつの大きな山をこしらえ始めた。練習とは違って、こんな遊びの時は、不思議とみんながトールちゃんのいうことをきく。
 砂山のまわりにちらばったみんなを指揮するトールちゃん。遠くから見たら、まるでサル山のボスザルのように見えたことだろう。
 トールちゃんの指示で、交代で水のみ場から空いたペットボトルで水をくんできた。それで砂を固めながら、せっせと大きな山を築いていく。
 さらに、まわりに道をつけたり、トンネルをほったりもし始めた。砂山はしっかり固めてあるから、ミニカーだったら2車線は十分とれそうな見事なトンネルが完成した。
 トールちゃん以外の他の六年生たちは、そんな遊びには加わらずに、自分たちだけでおしゃべりしていた。もうこんなことには卒業した気でいるのだろう。
 砂場のまわりでは、まだチームにも入っていないメンバーの幼い弟や妹たちが、泥団子を作り出していた。
 すると、トールちゃんは、今度はそちらへいって、ピカピカの泥団子の作り方を教え始めた。
 いつも遊んでくれるトールちゃんに、みんなすっかりなついている。中には、トールちゃんのひざの上にのっかって、泥団子を作っている子までがいた。
「昔は、ああいうガキ大将がどこにでもいたんだよなあ」
 監督が、そんなトールちゃんを見ながら、まわりの大人たちに話しているのが聞こえた。
 たしかに、芳樹自身も、にいちゃんが中学生になってからは、トールちゃんと遊ぶ方が多いくらいだった。近所の小栗公園にみんなが集まって、野球やサッカーなんかをやっている。
 そこに行けば、いつも誰かがいるので、けっこう遠くから遊びに来ている子たちもいる。
 トールちゃんは、そこでもみんなの中心だった。どんな遊びをやる時も、大きな子も小さな子も楽しめるようによく気を配っていた。
 トールちゃんがいない時は、同じぐらいの年齢の子たちだけでバラバラに遊んでしまうので、ぜんぜん盛り上がらなかった。
 トールちゃんを見ていた監督が、ふと思いついたように携帯を取り出すと、どこかに電話をかけ始めた。
「あっ、もしもし、江川さんのお宅ですか? ヤングリーブスの松永です」
「……」
「いえ、こちらこそ」
「……」
「今日はお忙しいですか?」
「……」
「いや、何、徹が一回戦で大活躍でして」
 どうやら、トールちゃんの両親に、試合を見に来てくれるように頼んでいるらしい。
 監督は、けっこう長々と電話していた。
「そうですか、ご主人も。それじゃ、お待ちしてますから」
 監督は、ようやく満足そうな表情を浮かべて電話を切った。

 トールちゃんの様子が変だ。
 芳樹はウォーミングアップの時、トールちゃんとキャッチボールをしていた。
 でも、こちらが「いくぞ」って声をかけても、なんだか上の空みたいだ。
 いつもなら、「ナイスボール」とか、「しっかり投げろ」とか、一球ごとにかけ声をかけてくるのだ。一緒にやっていると、うるさいぐらいだった。
 ところが、さっきからずっとだまったまま。機械的に、ボールを受け取ったり、投げたりしているだけだ。そして、さかんにバックネットの方を、チラチラと横目で見ている。
 芳樹が振り返ってみると、そこには二人の人がすわっていた。立派な口ひげをはやした男の人と、眼鏡をかけたまじめそうな女の人。
(ははあ)
たぶん、さっき監督が電話していたトールちゃんのおとうさんとおかあさんだ。
 でも、そう知っていなければ、とても「ノーテンキなトールちゃん」の両親には見えない。とてもまじめそうな人たちだった。それに、二人とも、今まで練習はもちろん、試合でも見かけたことがなかった。
 ヤングリーブスの応援団は、ベンチ裏に陣取っている。一回戦の勝利が伝わったのか、だいぶ人数が増えていた。
 でも、トールちゃんの両親は、そこから離れて二人だけでバックネット裏に並んですわっていた。
 そちらを見るときのトールちゃんの横顔は、いつもとはぜんぜん違っている。ピリピリとした神経質そうな表情が浮かんでいた。
 キャッチボールを終えてベンチに戻ったら、監督がバックネット裏へ向かって歩いていくところだった。どうやら、トールちゃんの両親が来ているのに、気がついたようだ。
「どうも、およびだてしてしまって」
 監督は、二人に近づきながら声をかけた。
「いえ、こちらこそ、いつも徹がお世話になりまして」
 急いで立ち上がったおかあさんが、あわててあいさつしている。となりでは、ひげのおとうさんも頭を下げていた。
「徹はすごく良くなりましたよお。いつも先頭にたって、チームをひっぱってくれてます」
 監督がニコニコしながらいっている。
「いーえ、いつもご迷惑ばかりで。秀平と違って、この子は……」
 おかあさんが徹のにいさんを引き合いにだそうとしたので、監督があわててさえぎった。
「いえいえ、そんなことはありません。徹は小さな子たちにもやさしくて、チームワークのかなめなんですよ」
「そうですかあ」
 おかあさんは、意外そうな顔をしていた。
 でも、やっぱりほめられれば、まんざらでもない様子だった。いかめしい顔をしたおとうさんも、少しだけ表情をゆるめていた。

 二回戦の試合が始まった。後攻のヤングリーブスが、守備位置についている。
 でも、なんか変だ。センターのトールちゃんから、いつものような元気な声が聞こえてこない。
 芳樹がサードからセンターを見ると、すっかり固まっているみたいだ。接着剤か何かで、ガチガチにされてしまったみたいに見える。
 先頭打者が四球で出た。相手チームは、手堅く送りバントでランナーを二塁に進める。
 しかし、ピッチャーの誠くんは、次の打者をうまく打ち取った。
 平凡な浅いセンターフライだ。いつもなら、センターのトールちゃんが大声で「オーライ」と叫びながら、猛然と突っ込んでくるところだ。
 ところが、今はだまったままゆっくりと前進してくる。なんだか、ヨロヨロしているようにさえ見えた。
「トールちゃん!」
 思わず芳樹は叫んだ。
 しかし、打球はトールちゃんの目の前で大きくはずむと、頭の上を超えていってしまった。
 我に返ったトールちゃんが、帽子を飛ばしながらけんめいに追いかける。
 でも、ボールはコロコロと、芝生の上をどこまでもころがっていく。ようやく追いついたときには、バッターもすでに3塁ベースをまわっていた。
「バックフォーム!」
 芳樹は、中継に入った良平に叫んだ。
 でも、とても間に合わない。
 ランニングホームラン。いきなりのトールちゃんのミスで、早くも2点も奪われてしまったのだ。
 その後も、トールちゃんは失敗続きだった。
しかも、いつもの暴走気味のハッスルプレーがわざわいしていたのではない。消極的なプレーでのミスばかりが目立っていた。
 守備では、いつもならなんでもないようなフライを、および腰で落球してしまった。
 バッティングでは、一球も振らずに見送りの三振。やっと四球で出塁したと思ったら、けんせい球であっさりさされてしまった。
 失敗しないように、失敗しないようにと、気をつければつけるほど、かえってつまらないミスをしてしまうようだ。
 芳樹の目から見ても、トールちゃんの持ち味である思いきりの良さが、完全に失われていた。
「うーん。せっかくおとうさん、おかあさんに来てもらったから、まさか代えるわけにもいかないしなあ」
 ベンチの中で監督がうめいているのが、すぐそばのサードを守る芳樹にも聞こえてきた。
 それでも、相手チームのミスにも助けられて、この試合もなんとか8対7で勝利をおさめることができた。
 これで、来週の準決勝に進出だ。それにも勝てれば、いよいよ優勝をかけての大一番となる。
 試合後、いつものようにベンチ前に選手が整列した。
「ありがとうございました」
 いっせいに帽子をぬいで、応援団に礼をした。
「いいぞお」
「来週も頑張れよ」
応援席からは、いっせいに声援がとぶ。
 しかし、トールちゃんの両親だけは、いつのまにかバックネット裏から姿を消してしまっていた。

 次の日曜日。今日も朝から晴れ上がって、もってこいの野球日和だ。
 準決勝の相手は、城山ジャガーズ。秋の新人戦では優勝している強豪チームだった。
 この強敵に勝てれば、いよいよ午後には決勝戦だ。
「お願いしまーす」
 ホームプレート前で、両チームの選手が元気良く礼をした。
 後攻のヤングリーブスのメンバーが、いっせいに駆け足で守備に散っていく。
「がんばれーっ」
「落ち着いていけーっ」
 ベンチ裏に陣取っていたヤングリーブスの応援団も、いつもより盛り上がっている。
 ジャガーズの先頭バッターが、バッターボックスに入った。
「しまっていこーっ」
 キャッチャーの康平が、マスクをはずして守備陣に声をかける。
「がんばっていこうぜい!」
 センターの方から、いつもよりも大きなトールちゃんの声が、グラウンドに響き渡った。
(そうか!)
 芳樹は、トールちゃんの両親の姿が、応援席にもバックネット裏にも、見えないことに気がついた。

 目の高さぐらいのくそボールだった。
 でも、トールちゃんは、大根切りで思いっきりバットを振ってしまった。
「あっ、ばか」
 監督のうめき声が、ネクストバッターサークルの芳樹にも聞こえた。
 最終回の裏、4点差で負けているけれど、ツーアウトながら満塁のチャンスを迎えていた。しかも、ツーストライクスリーボール。見逃せば押し出しで3点差になる場面だった。
 トールちゃんの打球は、ショート真っ正面のゴロ。
(万事休す)
 と、思った瞬間、小石にでも当たったのか、ボールがポーンと跳ね上がった。ショートのグローブをかすめて、左中間を抜けていく。
 スタートを切っていた満塁のランナーが、続々とホームへ帰ってくる。トールちゃんも三塁をけると、バンザイしながらホームイン。
 ランニング満塁ホームラン。ヤングリーブスは土壇場で、9対9の同点に追いついた。
 トールちゃんは、監督やコーチたち、それにベンチのみんなと、ハイタッチをして大はしゃぎだ。
「さすが、トールちゃん」
「ラッキーボーイ」
 応援団からも声がかかる。ゲームは、完全にヤングリーブスペースになった。
 でも、次の芳樹は残念ながらピッチャーゴロに倒れて、試合は延長戦にもつれ込んだ。

「うっ、まずい」
 ベンチの中で監督がつぶやくのが、グローブを取りに戻った芳樹に聞こえた。
 振り返ると、グラウンドの向こうの方からトールちゃんの両親の姿が見えた。二人とも、何やら大きなビニール袋をかかえている。
 この試合に両親が来なかったせいか、トールちゃんはいささかやけっぱちに見えるほどの思い切ったプレーを見せていた。
 守備では、右中間を抜けそうな当たりをダイビングキャッチ。四球で塁にでれば、ノーサインなのに強引に走って、二盗、三盗を決めていた。
 そして、極めつけがさっきの大根切りランニング満塁ホームランだ。
 でも、それがチームにツキを呼び寄せて、強豪ジャガーズと互角の試合をしていた。
 しかし、おとうさんとおかあさんが、来てしまったのだ。
(先週の二の舞にならなければいいけど)
と、芳樹は思いながらサードの守備位置につくと、心配そうにセンターのトールちゃんの方をみた。
「ピッチ、打たせていこうぜい」
 あいかわらず元気に、トールちゃんがさけんでいる。どうやら、両親が来たことにまだ気づいていないようだ。
(どうぞ、このまま気がつきませんように)
 芳樹は、思わず野球の神様(?)に祈った。
 少年野球の延長戦は、試合時間を短くするために促進ルールで行われることが多い。ノーアウト2塁3塁の場面で、何点取れるかを競うのだ。
 先攻のジャガーズのランナーたちが位置についた。芳樹は三塁ベースについて、けんせい球に備えた。
 ピッチャーの誠くんは、ボールを散らして、相手になかなかスクイズをさせなかった。
 ツーストライクツーボール。
 次が勝負だ。
スリーバントスクイズをやってくるか? それともヒッティングか?
(うまい!)
 芳樹は、サードベースで思わず感心してうなった。
 誠くんが、うまくボールを外角高めにはずして、先頭バッターのスクイズをファールさせたのだ。スリーバント失敗の三振なので、これでワンアウトになった。
 ホームへスタートを切っていた三塁ランナーが、ベースに戻ってくる。
 サードの芳樹がすぐそばの応援団をチラッと見ると、トールちゃんのおかあさんがニコニコしながら大きな袋を誠くんのおかあさんに渡している。どうやら差し入れのようだ。ひげのおとうさんも、今日はバックネット裏ではなく、応援団の中に腰をおろしている。
「バッチ、いいぞお」
 トールちゃんの大声がグラウンド中にひびいた。
(まだ、だいじょうぶだ。気がついていない)
 芳樹は、また試合に集中した。
 続くバッターへの誠くんの第一球。
 カーン。
 大きなフライがセンター方向に飛んでいった。
 でも、俊足のトールちゃんはすばやくバックすると、すでに落下位置に入っている。
 しかし、サードランナーがタッチアップでホームインするには、十分な飛距離だ。
 トールちゃんは、少しうしろに下がってから前に出ながらキャッチして、すごい勢いでバックホームした。
「ダイレクト!」
 芳樹が大声で叫んで、中継に入ろうとした誠くんをとめた。
 いいボールが、マウンドの前でワンバウンドして、ホームへ戻ってくる。
 キャッチャーの康平は、ホームをがっちりとブロックしながらキャッチすると、スライディングしてくるランナーにすばやくタッチした。
「アウート」
 主審が叫んだ。
 一瞬のうちにダブルプレーが成立して、ヤングリーブスは促進ルールを見事に無失点で切り抜けたのだ。
 次はヤングリーブスの攻撃の番だ。
 前の回のバッターがランナーになるので、三塁ランナーはトールちゃん、二塁ランナーは芳樹だ。
 トールちゃんがホームを踏んだ瞬間に、サヨナラ勝ちでゲームセットだ。
 二人が位置につくと、三番バッターの康平が素振りしながら、バッターボックスに入った。
「リーリーリー」
 トールちゃんは慎重にリードを取りながら、大声で相手ピッチャーをけんせいしている。
(まだ、気づいてない)
 トールちゃんは、おとうさんとおかあさんが来ていることに、まだ気がついていないようだ。
「石岡、思い切って打っていけ」
 監督がバッターを名字で呼ぶのは、スクイズのサインだ。
(あっ!)
 バッテリーが、外角高めに大きくボールを外した。スクイズをよまれたのだ。康平は飛びつくようにしてバットを出したが届かなかった。スクイズ失敗で三塁ランナーがはさまれてしまう。
 ところが、三塁ランナーのトールちゃんはスタートをきっていなかった。ベースについたままのんきな顔をしている。得意のサイン見落としだ。
でも、おかげで、アウトにならないですんだ。
ツーストライクに追い込まれた康平は、スクイズはやめてバッティングに切り換えている。
ピッチャーが三球目を投げ込んできた。
康平は振り遅れて、二塁手正面のゴロだった。バックホームに備えて二塁手は浅く守っていたので、三塁ランナーのホームインは無理だ。
(あっ!)
 トールちゃんがホームへ突っ込んでいく。暴走だ。
二塁手がバックホーム。タイミングは完全にアウトだった。
 しかし、トールちゃんは猛烈な勢いでスライディングして、キャッチャーに激突していった。
 ガツーン。
 次の瞬間、キャッチャーのミットから、ボールがコロコロとこぼれ出た。
「セーフ、ホームイン、ゲームセット」
 ヤングリーブスのサヨナラ勝ちだ。
 ベンチからメンバーが飛び出していく。芳樹も遅れずに走り寄った。
みんなにもみくちゃにされながら、トールちゃんはバンザイしている。
ヤングリーブスの応援団も大騒ぎだ。その中で、トールちゃんのおとうさんとおかあさんも、同じようにバンザイしていた。



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