1959年11月号の「群像」に掲載されて、翌年に中短編集「静物」に収録された短編です。
この後に続く「静物」や彼のライフワークになる家庭小説(「絵合わせ」、「夕べの雲」など)のスタイルが確立したエポックメイキングな作品です。
海辺の宿(その後民宿と呼ばれるような小さな宿ですが、画家が海辺を写生するために使われることが多いので、個々の部屋にセザンヌ、ルノワール、ブラックなどの洒落た画家の名前がついています)に4日間滞在する家族(父親(主人公)、母親(文中では細君と表記されています)、女の子(小学六年生)、男の子(小学二年生)、小さい男の子の五人で、これは作者の実際の家族構成と同じです)の何気ない日々の様子(部屋の中でも会話、両隣のやはり子供連れの家族とのふすま越しの交流(?)、海辺の様子など)を描きながら、生きることの意味(味わいといったほうが正確かもしれません)までもを描き出していきます。
さらに、この作品で、作者は一家の中心としての「父親」という自分自身のポジションを確立して、この後の作品でそれをより強固なものにしていきます。
他の家族は、あくまでも中心である父親との、相対的なものとして描かれることになります。
配偶者は、母親でもなく、妻でもなく、ましてや個人名でもなく、あくまでも「細君」なのです。
女の子はあくまでも長子との役割ですし、男の子は姉に対しては弟で、弟に対しては兄の役割ですし、下の男の子はあくまでも末っ子の役割が与えれています。
このスタイルは、その後の作品で、若干のバリエーションはあるものの、作者の晩年の老境小説に至るまで、終始一貫しています。
そのため、長年の読者(私もその一人ですが)、子どもたちの成長をまるで親戚か何かのようにして味わうことになります。
こうした作者の作風は、巻末の山室静の解説にあるように、ともすれば「小市民的」と批判を受けました。
しかし、作者は頑なにこのスタイルを終生守り続け、より強固なものにしていったのです。
また、その家族観は、私が学生だった1970年代でも、もう古風なものでした。
でも、それは滅び去る古き佳き時代を懐かしむような感覚を味合わせてくれました。
そう言えば、ちょうど私が二十歳の時に、作者の作品を薦めてくれた同年の友人は家族関係がうまくいっていませんでした。
彼にとっては、作者の作品を読むことは、家族とあるべき関係を得ることの代償行為だったかも知れません。
この後に続く「静物」や彼のライフワークになる家庭小説(「絵合わせ」、「夕べの雲」など)のスタイルが確立したエポックメイキングな作品です。
海辺の宿(その後民宿と呼ばれるような小さな宿ですが、画家が海辺を写生するために使われることが多いので、個々の部屋にセザンヌ、ルノワール、ブラックなどの洒落た画家の名前がついています)に4日間滞在する家族(父親(主人公)、母親(文中では細君と表記されています)、女の子(小学六年生)、男の子(小学二年生)、小さい男の子の五人で、これは作者の実際の家族構成と同じです)の何気ない日々の様子(部屋の中でも会話、両隣のやはり子供連れの家族とのふすま越しの交流(?)、海辺の様子など)を描きながら、生きることの意味(味わいといったほうが正確かもしれません)までもを描き出していきます。
さらに、この作品で、作者は一家の中心としての「父親」という自分自身のポジションを確立して、この後の作品でそれをより強固なものにしていきます。
他の家族は、あくまでも中心である父親との、相対的なものとして描かれることになります。
配偶者は、母親でもなく、妻でもなく、ましてや個人名でもなく、あくまでも「細君」なのです。
女の子はあくまでも長子との役割ですし、男の子は姉に対しては弟で、弟に対しては兄の役割ですし、下の男の子はあくまでも末っ子の役割が与えれています。
このスタイルは、その後の作品で、若干のバリエーションはあるものの、作者の晩年の老境小説に至るまで、終始一貫しています。
そのため、長年の読者(私もその一人ですが)、子どもたちの成長をまるで親戚か何かのようにして味わうことになります。
こうした作者の作風は、巻末の山室静の解説にあるように、ともすれば「小市民的」と批判を受けました。
しかし、作者は頑なにこのスタイルを終生守り続け、より強固なものにしていったのです。
また、その家族観は、私が学生だった1970年代でも、もう古風なものでした。
でも、それは滅び去る古き佳き時代を懐かしむような感覚を味合わせてくれました。
そう言えば、ちょうど私が二十歳の時に、作者の作品を薦めてくれた同年の友人は家族関係がうまくいっていませんでした。
彼にとっては、作者の作品を読むことは、家族とあるべき関係を得ることの代償行為だったかも知れません。