1935年(昭和10年)に、雑誌「赤い鳥」に発表された短編です。
ペルーに日本移民を使ってできたインカ・ゴム会社で、林業監督をしていた山梨県出身の堀内伝重という人からの聞き語りです。
第一次大戦後に、会社がゴム園を閉鎖した後で、初めてゴム園の見回りに行った時の話です。
アマゾン上流の未開地域を、カノアという丸木舟で急流や段差を遡ったり、インディアン(文明化された先住民のことのようです)やケチュア土人(未開の先住民のことでしょう)やボリビア人(スペイン人や先住民との混血の子孫のことでしょう)と交流したり、チョンチョ蛮人(未開の先住民でしょう)に出会ったり、トラ(ジャガーのことでしょう)、のぶた(ペッカリーのことでしょう)、テナガザル、青シカなどを鉄砲で撃ったり、ピューマ、ワニ、ワシに遭遇したり、毒虫に刺されたりと、大冒険の連続です。
現代と違って、戦前の子どもたちにとっては、外国(特に南米)は遠い遠い世界だったことでしょう。
テレビやグラビア雑誌等のない時代に、「少年駅伝夫」の記事にも書きましたが、こうした世界のことを知る手段として、児童文学は貴重な働きをしていました。
坪田譲治の語り口は、現代においても全然古びていませんし、非常に視覚的で、子どもたちの知的好奇心を満足させるしっかりとした文体を持っています。
ただし、語り手の内容には、現在では差別的な内容も含まれていますし、不正確(やや誇張した部分もあるのではないでしょうか)な点もあります。
特に、ピューマとトラ(ジャガー)の戦争の部分は、小原英雄「猛獣もし戦わば」(その記事を参照してください)によれば、生息地が異なるために両者の戦いの目撃例は非常に少ないとのことなので、語り手の創作(あるいは想像の産物)だと思われます。
ペルーに日本移民を使ってできたインカ・ゴム会社で、林業監督をしていた山梨県出身の堀内伝重という人からの聞き語りです。
第一次大戦後に、会社がゴム園を閉鎖した後で、初めてゴム園の見回りに行った時の話です。
アマゾン上流の未開地域を、カノアという丸木舟で急流や段差を遡ったり、インディアン(文明化された先住民のことのようです)やケチュア土人(未開の先住民のことでしょう)やボリビア人(スペイン人や先住民との混血の子孫のことでしょう)と交流したり、チョンチョ蛮人(未開の先住民でしょう)に出会ったり、トラ(ジャガーのことでしょう)、のぶた(ペッカリーのことでしょう)、テナガザル、青シカなどを鉄砲で撃ったり、ピューマ、ワニ、ワシに遭遇したり、毒虫に刺されたりと、大冒険の連続です。
現代と違って、戦前の子どもたちにとっては、外国(特に南米)は遠い遠い世界だったことでしょう。
テレビやグラビア雑誌等のない時代に、「少年駅伝夫」の記事にも書きましたが、こうした世界のことを知る手段として、児童文学は貴重な働きをしていました。
坪田譲治の語り口は、現代においても全然古びていませんし、非常に視覚的で、子どもたちの知的好奇心を満足させるしっかりとした文体を持っています。
ただし、語り手の内容には、現在では差別的な内容も含まれていますし、不正確(やや誇張した部分もあるのではないでしょうか)な点もあります。
特に、ピューマとトラ(ジャガー)の戦争の部分は、小原英雄「猛獣もし戦わば」(その記事を参照してください)によれば、生息地が異なるために両者の戦いの目撃例は非常に少ないとのことなので、語り手の創作(あるいは想像の産物)だと思われます。