短い詩なので全文引用します。
「これだけは、どんな時どんな日にも心にとまる―
子供はかわいく素直で善良だ
だが大人はまったく我慢できない
時としてこれが僕らすべての意気を沮喪させる
悪いみにくい老人どもも
子供のときには立派であった
すぐれた愛すべき今日の子供も
後にはちっぽけに、そして大きくなるだろう
どうしてそんなことがありうるのか それはどういう意味なのか
子供もやっぱり、蠅の羽を
むしるときだけが本物なのか
子供もやっぱり既に不良なのか
すべての性格は二で割りうる
善と悪とが同居しているからだ
だが悪は医やしえず
善は子供のときに死んでしまう」
児童文学を読んだり書いたりするときに、いつもこの詩を心にとめるようにしています。
児童文学者は、いかに大人たちへ絶望していても、子どもたちの未来を信頼し、そして常に子どもの側に立つことが大事だと思います。
何も、作品にすべて「いい子ども」たちばかりを登場させろと言っているのではありません。
現に、ケストナーは、「エーミールと探偵たち」にも、「飛ぶ教室」にも、「点子ちゃんとアントン」にも、「卑劣な」子どもたちも登場させています。
要は、彼らも含めてすべての子どもたちのなかにある「善」が、子どもの時に死んでしまうのをいかに防ぐかが、児童文学の大きな役割なのです。
ケストナァ詩集 (1975年) | |
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