主人公の若い女性(裕福な男性(女中もいます)と結婚して、小さな娘もいます)と、家に尋ねてきた女子大学の寄宿舎で同室(アメリカの名門大学は寄宿制なので、そこで同室だった友人とは固いきずなで結ばれていることが多いようです)だった女性(独身で働いているようです)の、酒を飲みながらの会話によって構成されています。
酔いが深まるにつれて、主人公は第二次世界大戦後に日本で事故死したかつての恋人(例のグラス家(詳しくは他の記事を参照してください)の四男)の想い出に浸っていきます。
彼はユーモアのセンスに富んだ(題名のグググラカカ父さんというのは、かつて彼女がかかとを痛めた時に、彼が彼女のことを「グラグラ(かかと)うさん」と呼んだことに起因しています。英語では、ankle(かかと)とuncle(おじさん)の掛け言葉になっています)知的で魅力な人物で、今の結婚相手ではそういった点が全然満たされていないことを、彼女は告白します。
さらに、自分の娘が空想上の恋人を持ち、さらにその空想上の恋人が主人公の恋人と同様に事故死(もちろんこれも空想上ですが)しても、すぐに次の空想上の恋人が出現したことを知って、激しく嫉妬します。
最後に、女子大に入るころの自分に戻りたいと思っていることを、主人公は強く自覚します。
三人の女性の外見的な描写はほとんどない(娘は強度の近視でメガネをかけているようです)のですが、心理描写は恐ろしいほど的確で、経済的には恵まれているものの精神的に満たされていない若い女性を、冷徹なまでに描き切っています。
サリンジャー作品で唯一、ハリウッドで映画化されています。
角川文庫の武田勝彦作成の年譜(その記事を参照してください)によると、サリンジャーは「下見したが不満足でプリントを許可しなかった」となっていますが、フレンチの「サリンジャー研究」では封切りされたことになっています。
どちらにしろ、内容は当時の人気女優を使ったメロドラマで、脚本ではサリンジャーの原作は見るも無残に改変されているようで、その後にすべての作品の映画化(その中には、「理由なき反抗」のエリア・カザンによる「キャッチャー・イン・ザ・ライ」も含まれています)をすべて断ったのは無理もない話です。