コロナ・ウィルスの影響で、人々の間で分断化が進んでいます。
それは、国家、都道府県などといった目に見える形だけでなく、世代間、知識の有無、技能の有無、経済格差などにおいても、すごいスピードで進んでいます。
特に、人と人との直接的な繋がりが阻害されていることに関して言えば、ディジタル・リタレシーやネット・リタレシーの有無が、人々の大きな分断化をもたらしています。
従来のLINEやInstagramやFacebookなどに加えて、Zoomなどのミーティング・ツールや、FireTVStickなどによるテレビのインターネット接続や、ミラーリングなどによるスマホとテレビの接続などをできるかどうかによって、人との繋がり方の質や頻度が大きく違ってきています。
こうした動きに取り残されているのが、ここでも老人たちと子どもたちです。
どちらも、知識や技能や経済的な理由で、こうした新しい人との繋がり方ができるのは、一部の人たちにとどまるでしょう。
ましてや、老人たちと子どもたちが、こうした方法を利用して互いに繋がることは非常に困難でしょう。
従来でも、核家族化や経済格差が進んだ現代では、老人たちと子どもたちの関係はどんどん希薄になっていました。
ポスト・コロナ(これにははっきりとした終わりはなく、人間は少なからずコロナ・ウィルスと共存することになります)社会では、そうした状況がさらに進むことが予想されます。
こうした社会によって、互いに疎外される存在である老人たちと子どもたちを結びつけるツールとして、児童文学はその重要性が増大することが予想されます。
なぜなら、「子ども時代」というのは、両者にとって数少ない共有文化だからです
その場合は、単なる一方向の関係(老人は子どもに経験を伝える。子どもはその存在で老人たちを癒すなど)ではなく、それぞれの異文化(異なる子ども時代)が互いに刺激しあって、それぞれが豊かになるような提示の仕方が重要になってくることでしょう。
そうした交流の先駆者として頭に浮かんでくる作品は、カニグズバーグ「クローディアの秘密」やピアス「トムは真夜中の庭で」などです。