児童文学の世界では、言わずと知れた「現代日本児童文学」のスタートを飾ったされる二作品のうちのひとつです。
同じ1959年に出版されたもうひとつの作品はいぬいとみこの「木かげの家の小人たち」で、くしくもふたつとも小人が登場するファンタジーの長編です。
もちの木を探しに山に出かけた「ぼく」は、泉のあるきれいな小山を見つけます。
「ぼく」は、その場所を自分だけの秘密にします。
昔、その小山に「こぼしさま」という小人が住んでいたと聞いてから、ぼくの心の中には「小人」が住むようになります。
そして、実際に小人の姿も一度だけ見かけます。
しかし、その後は小人に出会わないまま「ぼく」は大きくなっていき、だんだん小山のことは考えないようになります。
やがて、戦争が始まり「ぼく」も大人になって、小人のことは忘れていきます。
しかし、戦後、「ぼく」は久しぶりに小山に行き、その場所が子どものころと全く変わっていないことを喜び、何とか自分のものにしようと思います。
その後、小人たちと再会し、彼らをスクナヒコノミコトやコロボックルの末裔だと思います。
「ぼく」は、小人たちや幼いころにこの小山で出会っていて戦後再開した女性と協力して、小山を手に入れてコロボックルの国を築いていこうと誓います。
1973年4月に大学の児童文学研究会に入会して最初の一年目には、内外の現代児童文学を集中して百冊以上読みましたが、この作品は山中恒の「赤毛のポチ」、「ぼくがぼくであること」、斉藤惇夫の「冒険者たち」などと並んで、もっとも印象に残った日本の作品でした。
19歳の時に書いた「佐藤さとるの作品においての考察」(ビ-ドロ創刊号所収、その記事を参照してください)という文章の中でも、「「だれも知らない小さな国」は、おそろしく緻密な文章でかかれている。実際、それだけでも僕は打ちのめされてしまう。技巧だのなんだのと、いってはいられない。ストーリーの無理のなさ、その構成、心理や行動の描写の確実さには、圧倒されてしまう。ついに、日本にも、英米のファンタジー作品にも比肩しうる作品が生まれたといえる。」と、興奮気味に述べています。
四十年ぶりにこの作品を読んでみても、この評価はほとんど変わりません。
この作品は、時代の淘汰に耐えた現代児童文学の古典だといえるでしょう。
佐藤さとる氏は、2017年2月にお亡くなりになりました、謹んでご冥福をお祈りいたします。
コロボックル物語(1) だれも知らない小さな国 (児童文学創作シリーズ―コロボックル物語) | |
クリエーター情報なし | |
講談社 |