わずか二つのシーン(作者は「小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈を見てください。」と冒頭で語っています)からなる短い作品です。
五月と十一月に、口からふく泡の大きさを競っている蟹の兄弟たちを通して、「死」と「生」を鮮やかに切り取って見せます。
「死」を象徴しているのは五月にカワセミに仕留められてどこかへ行ってしまった「魚」で、「生」は十一月に川へ落ちていい匂いをさせながら流れていく(やがては水に沈んでおいしいお酒になります)「やまなし」が象徴しています。
蟹の子どもたちが「魚」はどうしたのかを尋ねた時に「魚はこわい処へ行った」と答えた父親の言葉が印象に残ります。
また、「死」を描いてから「生」を描いた順番は、児童文学的に優れている(子どもたちには「死より」も「生」の方がこれからも続いていきます)と思われます。
「やまなし」には、その後書き換えられて新聞に発表された最終形があります。
それについては、また別の記事に書きたいと思います。
私が「やまなし」を初めて読んだのは18歳の時ですが、それまでにこれほど美しい文章を読んだことがありませんでした。
特に、「クラムボンはわらったよ。」で始まるクラムボンの繰り返しにはしびれました。
そして、美しい詩的な文章なのに、きちんと状況をとらえた散文性を兼ね備えていて、「現代児童文学(定義については他の記事を参照してください)主義者」でもある私の要求も完全に満足しています。
それから、五十年近くがたちましたが、「やまなし」に匹敵するような美しい作品に出合ったのは数えるほどです(その中には同じ賢治の「雪渡り」も含まれています)。
ちなみに、この全集本は、出版先に勤めていた知人に父が頼んでくれて、社内販売の八掛けで買ったものです。
神田小川町の筑摩書房に自転車で本を取りに行って、千住の自宅までの帰り道、荷台に積んだ段ボール箱の中で本がゴトゴトと音を立てているのを聞きながらペダルを踏んだ時の嬉しさを、今でも昨日のことのように思い出せます。
童話絵本 宮沢賢治 やまなし (創作児童読物) | |
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