1981年に出版された短編集の巻頭作にして表題作です。
戦後すぐの混乱期に、作者が中学(旧制)をドロップアウトして、博打の世界に身をおいていたころの話です。
そのころ、上野駅の地下道には、戦災などで行き場を失った人々が大勢寝泊まりしていました。
作者も、寝に帰る場所がない時は、その群れに加わって一夜を過ごしていたようです。
そんな今では想像もつかないような不思議な空間で、作者は一人の娼婦(作者が10代後半の時に10歳ぐらい年上ということですから二十代後半でしょう)と出会います。
それから三十年以上に渡る、断続的な彼女との交流を描いています。
混乱期が過ぎてからは、彼女は水商売を、作者は使い走りのような底辺の仕事を、それぞれ転々しながら、二人はしだいに居場所(彼女は一人娘を立派に育て上げて、水商売をやめて結婚した娘夫婦と一緒に暮らすことになります。作者は作家(純文学作家の色川武大としてだけでなく、ギャンブル小説作家の阿佐田哲也としても)としてだんだんに認められるようになります)を見つけていきます。
言ってみれば、二人は、戦後の混乱期に、共に社会と戦った戦友みたいなものだったのです。
この作品の舞台になった、上野駅の地下道には、個人的に特別な思い入れがあります。
他の記事に書いたような特殊な事情があって、幼稚園の年長組の後半から小学校卒業まで、足立区の千住大橋から上野まで京成電車に乗って通っていました。
往きは初めのころは姉たちと一緒でしたが、帰りは幼稚園時代から一人でした(今では、幼稚園児が一人で電車に乗ることは禁止されているでしょうが)。
私が通っていたのは、この作品の時代より10年以上後のことですが、上野駅の地下道、特に不忍池から京成上野駅に通じるスロープのあたりは、この作品で描かれていた様子の名残りが色濃く残っていました。
この作品にも描かれている異様な臭気がいつも立ち込め、特に雨の日にはホームレス(当時は浮浪者と呼ばれていました)の人たちが通路の端に新聞紙やダンボールを敷いて寝転がっていました。
私は、そのそばを、臭気が強い時には息を止めて、一気に駅まで駆け下りていました。
しかし、そのスロープだけでなく、昔ながらの商店などがあるあたりも含めて、当時の地下道に漂っていた猥雑な空気は、私の幼少期の思い出とからまって、今では不思議な懐かしさを感じるようになっています。
戦後すぐの混乱期に、作者が中学(旧制)をドロップアウトして、博打の世界に身をおいていたころの話です。
そのころ、上野駅の地下道には、戦災などで行き場を失った人々が大勢寝泊まりしていました。
作者も、寝に帰る場所がない時は、その群れに加わって一夜を過ごしていたようです。
そんな今では想像もつかないような不思議な空間で、作者は一人の娼婦(作者が10代後半の時に10歳ぐらい年上ということですから二十代後半でしょう)と出会います。
それから三十年以上に渡る、断続的な彼女との交流を描いています。
混乱期が過ぎてからは、彼女は水商売を、作者は使い走りのような底辺の仕事を、それぞれ転々しながら、二人はしだいに居場所(彼女は一人娘を立派に育て上げて、水商売をやめて結婚した娘夫婦と一緒に暮らすことになります。作者は作家(純文学作家の色川武大としてだけでなく、ギャンブル小説作家の阿佐田哲也としても)としてだんだんに認められるようになります)を見つけていきます。
言ってみれば、二人は、戦後の混乱期に、共に社会と戦った戦友みたいなものだったのです。
この作品の舞台になった、上野駅の地下道には、個人的に特別な思い入れがあります。
他の記事に書いたような特殊な事情があって、幼稚園の年長組の後半から小学校卒業まで、足立区の千住大橋から上野まで京成電車に乗って通っていました。
往きは初めのころは姉たちと一緒でしたが、帰りは幼稚園時代から一人でした(今では、幼稚園児が一人で電車に乗ることは禁止されているでしょうが)。
私が通っていたのは、この作品の時代より10年以上後のことですが、上野駅の地下道、特に不忍池から京成上野駅に通じるスロープのあたりは、この作品で描かれていた様子の名残りが色濃く残っていました。
この作品にも描かれている異様な臭気がいつも立ち込め、特に雨の日にはホームレス(当時は浮浪者と呼ばれていました)の人たちが通路の端に新聞紙やダンボールを敷いて寝転がっていました。
私は、そのそばを、臭気が強い時には息を止めて、一気に駅まで駆け下りていました。
しかし、そのスロープだけでなく、昔ながらの商店などがあるあたりも含めて、当時の地下道に漂っていた猥雑な空気は、私の幼少期の思い出とからまって、今では不思議な懐かしさを感じるようになっています。