現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

色川武大「花のさかりは地下道で」花のさかりは地下道で所収

2020-06-21 10:03:14 | 参考文献
 1981年に出版された短編集の巻頭作にして表題作です。
 戦後すぐの混乱期に、作者が中学(旧制)をドロップアウトして、博打の世界に身をおいていたころの話です。
 そのころ、上野駅の地下道には、戦災などで行き場を失った人々が大勢寝泊まりしていました。
 作者も、寝に帰る場所がない時は、その群れに加わって一夜を過ごしていたようです。
 そんな今では想像もつかないような不思議な空間で、作者は一人の娼婦(作者が10代後半の時に10歳ぐらい年上ということですから二十代後半でしょう)と出会います。
 それから三十年以上に渡る、断続的な彼女との交流を描いています。
 混乱期が過ぎてからは、彼女は水商売を、作者は使い走りのような底辺の仕事を、それぞれ転々しながら、二人はしだいに居場所(彼女は一人娘を立派に育て上げて、水商売をやめて結婚した娘夫婦と一緒に暮らすことになります。作者は作家(純文学作家の色川武大としてだけでなく、ギャンブル小説作家の阿佐田哲也としても)としてだんだんに認められるようになります)を見つけていきます。
 言ってみれば、二人は、戦後の混乱期に、共に社会と戦った戦友みたいなものだったのです。
 この作品の舞台になった、上野駅の地下道には、個人的に特別な思い入れがあります。
 他の記事に書いたような特殊な事情があって、幼稚園の年長組の後半から小学校卒業まで、足立区の千住大橋から上野まで京成電車に乗って通っていました。
 往きは初めのころは姉たちと一緒でしたが、帰りは幼稚園時代から一人でした(今では、幼稚園児が一人で電車に乗ることは禁止されているでしょうが)。
 私が通っていたのは、この作品の時代より10年以上後のことですが、上野駅の地下道、特に不忍池から京成上野駅に通じるスロープのあたりは、この作品で描かれていた様子の名残りが色濃く残っていました。
 この作品にも描かれている異様な臭気がいつも立ち込め、特に雨の日にはホームレス(当時は浮浪者と呼ばれていました)の人たちが通路の端に新聞紙やダンボールを敷いて寝転がっていました。
 私は、そのそばを、臭気が強い時には息を止めて、一気に駅まで駆け下りていました。
 しかし、そのスロープだけでなく、昔ながらの商店などがあるあたりも含めて、当時の地下道に漂っていた猥雑な空気は、私の幼少期の思い出とからまって、今では不思議な懐かしさを感じるようになっています。





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