小学校三年生のかんこは、近頃不満でなりません。
にいちゃんは、マフィアと名付けた拾ってきた犬を、かんこにさわらせてくれません。
仲良しのともちゃんは、ハワイへ引っ越してしまいます。
そんなかんこは、空き地の石の上に座っていた風助というおじいちゃんを拾ってきてしまいます。
そんな風助さんを、かんこの家族はあっさりと受け入れます。
かんこのおとうさんが、実の父親を十分に面倒を見切れなかったという後悔をもっていて、その埋め合わせのつもりのようです。
風助さんは「あしたはかんこの味方だ」と、最近ついていないかんこをはげましてくれます。
風助さんは時々姿を消しますが、またふらりと現れます。
風助さんが現れてから、かんこの状況はだんだんよくなります。
にいちゃんとも仲良くなったし、かおという名前の新しい友達もできます。
風助さんが亡くなって、かんこに初めて会ったあの空き地をかんこに遺産として残してくれます。
風助さんは身寄りがなく、和歌山の老人ホームで暮らしていたのです。
そして、家族のところへ行くと言って、かんこの家へ時々来ていたのです。
風助さんがかんこに残してくれた土地は、ヤマトシジミの生息地です。
かんこは、あの時風助さんが座っていた石を、ヤマトシジミの食卓と呼んでいます。
2011年度の読書感想文コンクールの課題図書で、日本児童文学者協会賞にも選ばれています。
課題図書に選ばれたことには異存はありません。
老人問題や家族愛や友情など、感想文の書きやすい作品でしょう。
しかし、これが協会賞を取るほどの作品でしょうか。
確かに、老人の孤独や家族の愛情などをうまく書いた佳品ではあると思います。
でも、その年度を代表する協会賞の作品としては、あまりにも軽量級ではないでしょうか。
出てくる登場人物は、どれも善人ばかりで読み味はとてもいいです。
しかし、これが2011年の現実を生きている子どもたちを捉えた作品とは、とても思えないのです。
私の手元に、日本児童文学者協会の評論研究会がまとめた過去の協会賞の一覧表があります。
第1回は1961年で、鈴木実たちの共著の「山が泣いている」が選ばれています。
ちなみに、最終候補には、山中恒の「とべたら本こ」「サムライの子」、松谷みよ子の「龍の子太郎」、今江祥智の「山の向こうは青い海だった」などの、現代児童文学史に名前を残す名作がズラリと並んでいます。
第2回の1962年は、早船ちよの「キューポラのある町」が、最終候補の古田足日の「ぬすまれた町」、いぬいとみこの「北極のミーシカ・ムーシカ」、寺村輝夫の「ぼくは王様」、安藤美紀夫の「白いリス」、砂田弘の「東京のサンタクロース」などをおさえて選ばれています。
どちらの受賞作や候補作たちも、当時の社会の中で生きていた子どもたちを捉えたまさにヘビー級の作品です。
では、2011年の選者たちが、後世にも残るようないい作品を取り落としたのでしょうか?
どうもそうではなさそうです。
他にも、これといった作品がなかったようなのです。
それならば、何人かの選者が述べているように、該当作なしにしても良かったのではないでしょうか?
いつごろから、協会賞がこんなにお手軽な作品に与えられるようになったのでしょうか?
受賞作一覧を眺めてみると、1980年代ごろからこれが協会賞?と首をひねりたくなるような作品が散見されるようになります。
かといって、最終候補に残った他の作品にもこれといったものがありません。
やはり、このころから「現代日本児童文学」は衰退していったのでしょう。