現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

エーリヒ・ケストナー「卑劣の発生」ケストナァ詩集所収

2021-05-06 14:13:23 | 参考文献

 短い詩なので全文引用します。

「これだけは、どんな時どんな日にも心にとまる―
 子供はかわいく素直で善良だ
 だが大人はまったく我慢できない
 時としてこれが僕らすべての意気を沮喪させる

 悪いみにくい老人どもも
 子供のときには立派であった
 すぐれた愛すべき今日の子供も
 後にはちっぽけに、そして大きくなるだろう

 どうしてそんなことがありうるのか それはどういう意味なのか
 子供もやっぱり、蠅の羽を
 むしるときだけが本物なのか
 子供もやっぱり既に不良なのか

 すべての性格は二で割りうる
 善と悪とが同居しているからだ
 だが悪は医やしえず
 善は子供のときに死んでしまう」

 児童文学を読んだり書いたりするときに、いつもこの詩を心にとめるようにしています。
 児童文学者は、いかに大人たちへ絶望していても、子どもたちの未来を信頼し、そして常に子どもの側に立つことが大事だと思います。
 何も、作品にすべて「いい子ども」たちばかりを登場させろと言っているのではありません。
 現に、ケストナーは、「エーミールと探偵たち」にも、「飛ぶ教室」にも、「点子ちゃんとアントン」にも、「卑劣な」子どもたちも登場させています。
 要は、彼らも含めてすべての子どもたちのなかにある「善」が、子どもの時に死んでしまうのをいかに防ぐかが、児童文学の大きな役割なのです。

ケストナァ詩集 (1975年)
クリエーター情報なし
思潮社
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タンポポ

2021-05-05 13:54:50 | 映画

  1985年公開の伊丹十三監督のコメディです。

 はやっていないラーメン屋を、行列のできるような人気店にしていく過程を、なぜか西部劇調で描いています。

 本編(宮本信子、山崎努という、伊丹映画おなじみの二人が主演しています)はまあまあのでき(それにしても伊丹監督は、妻の宮本信子を、この映画でもなんと魅力的に撮っていることか)ですが、その周辺で描かれている本編とは直接関係ない食に関するコント(役所広司、中村伸郎、津川雅彦などの名優たちが大まじめに演じています)の数々が秀逸で、そちらの方が強く印象に残ります。

 グルメ、アンチグルメ、皮肉、批判、シュール、エロス、コミカルなどの様々なテイストを持ったそれぞれのシーンで、伊丹監督の唯一無二の才能がきらめいています。

 

 

 

 

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エーリヒ・ケストナー「ふたりのロッテ」

2021-05-05 11:41:45 | 参考文献

 1949年に出版された児童文学の古典です。
 出版は戦後ですが、実際には第二次世界大戦中に映画のシナリオとして書かれました。
 執筆当時、ケストナーは、ナチスドイツによって出版を禁止されていたので、映画のシナリオとして書いたのです。
 その後、ケストナーは執筆自体を禁止されたので、実際に西ドイツで映画化されたのは1950年のことです。
 ナチスドイツの弾圧のもとで書かれたせいもあって、ケストナーの五冊の少年少女小説の中では一番エンターテインメント寄りの書き方がされていますし、もともと映画のシナリオだったせいもあって、その後も世界中でたびたび映画化されています。
 日本では美空ひばり、アメリカではヘイリー・ミルズといった当時の人気子役が、一人二役で主人公の双子、ロッテとルイーズを演じています。
 作品が書かれてからすでに70年以上がたち、子どもたちを取り巻く環境やジェンダー観もずいぶん変わりました。
 現在読んでみると違和感を覚える個所もありますし、高橋健二の訳文もずいぶん古めかしい感じですが、児童文学の古典としての普遍性を備えていることは再確認できました。
 この作品を特に有名にしたのは、双子の特性(外見や声がそっくりで他の人たちには区別がつかない)を生かしたストーリー展開と、逆に二人に対照的な性格や行動パターンを与えたことによる面白さです。
 これらの設定は、その後夥しい追随者を生み出しましたが、いまだにこの作品を超えるものはないでしょう。
 また、両親の離婚という、子どもにとっては非常に大きな事件を取り扱ったことも重要です。
 それも、たんに「両親の離婚は子どもたちにとって不幸である」といった紋切り型のものではなく、逆に「両親が離婚しないことによって不幸になっている子どもたちがいる」ことも視野に入れた作品になっているところが、特に優れた点でしょう。
 この作品では、「ふたりのロッテ」の機転と策略によって、これ以上は望めないほどのハッピーエンドで終わります。
 実社会の離婚家庭では、このようにはうまくいかないでしょう。
 そんなことは、筋金入りのリアリストのケストナー(もともとは社会風刺詩人です)は重々承知しているのです。
 しかし、あくまでも子どもたちの側に立って、機智とユーモアで作品を書いて、大人社会に対する子どもたちの勝利を描くことによって、現実を生きる子どもたちにエールをおくっています。

ふたりのロッテ (岩波少年文庫)
クリエーター情報なし
岩波書店
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佐藤宗子「「現代児童文学」をふり返る」<現代児童文学>をふりかえる所収

2021-05-04 09:05:47 | 参考文献

 1990年に行われた「日中児童文学シンポジウム」で、1959年にスタートしたといわれる現代児童文学の三十年を概観するという課題で講演した内容を、その後の補記も含めて翌年発行された報告書に収められた論文です。
 大きなテーマで時間も限られているため、講演の題材は理念にしぼられていますが、なぜか「戦争児童文学」についてはわざわざ長い時間を割いています。
 おそらく「日中児童文学シンポジウム」なので、「戦争児童文学」について触れることが要請されていたのでしょう。
 そのため、論文の構成としては、かなりいびつなものになっています。
 全体は四部構成になっています。
 (一)では、現代児童文学の出発期の理念について述べています。
 ここでは、「少年文学宣言」と「子どもと文学」を中心に、先行論文を引用しつつ手際よくまとめています。
 ここで引用をまとめた部分は、著者自身も述べているように大筋において共通理解になっているので特に目新しい点はありません。
 以下に、著者の言い方でまとめているので引用します。
「私は、この時期に、<成長>への期待と、<伝達>への信頼とが確立した、と考える。」
 ここで、著者は<成長>という言葉に、作品内の主人公の成長、子ども読者の成長、そして、さらに社会の成長まで含めた意味を持たしています。
 また、<伝達>の信頼とは、本が物理的に子ども読者に手渡されるだけでなく、作者の意図のもとに書かれた作品を読者が受けとめるものという方向で捉え、さらに、「個人」が集まり、何らかの主張をしていくとき、「社会」をつきうごかせるものだと想定されていたと、著者は述べています。
 さらに、「こうしたいくつかの関係がむすばれる前提として、「主体性」が重視されていた」と、付け加えています。
 この論文の注でこの時期の主な作品にあげられた作品リストを見てみると、おおむね著者の意見は肯定できます。
 しかし、その後で、いつも冷静な著者には珍しくやや気負いを見せながら、以下のように断定しています。
「<伝達>に重要なことばは、「童話」伝統批判にみられるように、曖昧さを払底されるべきものとみなされ、だからこそ「筋」をつたえうる道具となった。そして、ことばをもって、「筋」をもってつたえられるべき意味や価値は、誰にとっても同じように伝わる、と信じられた。一つの作品を読めば誰もが皆、同じ感想を持ち、同じ意味をそこに見出すとともに、その作品への評価も同じになる ― 端的にいうなら、そういった幻想が<伝達>に寄せられたのである。」
 この引用部分の前半部分は肯定できるものの、後半部分は一部の社会主義的リアリズムの作品にしかあてはまらないと思います。
 例えば、著者があげた作品リストの中に入っている「誰も知らない小さな国」の著者の佐藤さとるは、いろいろなところで、「自分の作品はわかる人だけにわかればいい」と断言しています。
 つまり、1970年代に私が仲間内で使っていた言葉でいえば、「読者が作品を選ぶのでなく、作品が読者を選ぶ」作品(代表例は、ケネス・グレアムの「楽しい川辺」)なのです。
 (二)では、「現代児童文学」の変遷について、(一)で作者が定義したパラダイム(<成長>への期待と、<伝達>への信頼)の崩壊について述べています。
 ここで、著者は、その崩壊の原因として、「大人」と「子ども」の関係が崩壊したからだと真っ先に述べ、その理由として、1980年ごろにフィリップ・アリエスの「<子供>の誕生」が邦訳され、柄谷行人の「児童の発見」が発表され、「子ども」をめぐる論議の発端が、いわゆる児童文学・児童文化の外で、ひらかれたからであると主張しています。
 これは明らかな間違いだと思います。
 アリエスと柄谷の主張を一言でいうと、「子どもあるいは児童」という概念は、人類にとって生得の物ではなく、近代(フランスの場合は1789年のフランス革命後、日本では明治以降)になって発見されたものだということです。
 それはそれで否定するものでありませんが、それと児童文学作家の創作活動とはほとんど無縁だと思います。
 私は1970年代から現在に至るまで多くの児童文学作家と交流がありますが、彼らのうちでアリエスや柄谷の著作を読んでいると思える人がほとんどいないことは、自信を持って言えます。
 それでは、著者の定義したパラダイムの崩壊は、どうして起こったのでしょうか。
 理由として私が考えているものは、大きく分けて二つあります。
 一つは、六十年安保と七十年安保の挫折や、資本主義体制下での高度経済成長と共産主義国家の行き詰まりにより、現代児童文学が目指した社会の変革後のあるべき姿の提示が困難になったことがあげられます。
 これは、先ほど述べた社会主義的リアリズムの作品群を生み出していた作家たちに、特にあてはまります。
 もう一つは、児童文学の作品が商業主義に取り込まれたことがあげられます。
 現代児童文学がビジネスとして成り立つことが明らかになり、現代児童文学にも職業作家(最初の職業作家としての成功者は、皮肉にも社会主義的リアリズムの記念碑的作品とされている「赤毛のポチ」を書いた山中恒でしょう)が誕生します。
 この児童文学のビジネスとしての成功は、一時的(1970年代から1980年代まで)には、著者があげているような多様な作品を生み出す原動力にもなりました。
 例えば、著者があげている皿海達哉や森忠明のようなマイナーな登場人物を主人公にした作品でも、そのころはビジネスとして成り立っていたのです(私自身も1980年代の終わりごろに、彼らの末流のような作品を商業出版した経験があるので、そのころの児童文学の出版状況のダイナミックレンジの広さは実感としてわかります)。
 1990年代に入ってバブルが崩壊すると、彼らのような作品が出版されることはだんだん困難になっていきました(これ以降の内容は著者の講演の後のことですが、この論文集は1997年発行なのでその時にはすでに起こリ始めていたと思います)。
 現在では、皿海達哉や丘修三のような優れた作家の作品ですら本にしようという出版社がなく、彼らが身銭を切って自費出版するような状況にまで悪化しています。
 ますます売れ線の本ばかり出版されるようになり、特に男の子を読者対象とした本はほとんどビジネスとしては成立しなくなりました(読者はほとんど女の子なので、「本を読まない男の子なんか相手にをしている暇はない」と豪語していた著名な女性編集者もいました)。
 また、少子化が進むと、若い女性(最近はアラサーやアラフォー、アラフィフ、アラカンなど高年齢の女性も)を読者対象とした「児童文学」が多く出版されるようになっていきます。
 なぜ、著者は、こういった大きな流れを指摘しないのでしょうか?
 もちろん、「日中児童文学シンポジウム」という制約は大きいでしょう。
 でも、私は、現在の児童文学界の構造的な問題も起因しているように思います。
 現代児童文学がスタートした時には、石井桃子、いぬいとみこ、古田足日、上野瞭、今江祥智、安藤美紀夫、砂田弘たちのように、創作、評論、研究、翻訳のすべてをやっている人たち(創作だけでは食べられなかったのが大きな原因でしょう)が多かったのですが、児童文学がビジネス(作家だけでなく児童文学を教える大学や専門学校の教員を含めて)として成り立ってからは、専門が細分化されてしまったようです(村中李衣のような例外はありますが)。
 そのため、児童文学の評論が、ともすると創作の後追いになってしまうことが多くなっていると思います(これは、1960年代の初めから危惧されていたことですが)。
 また、優れた評論が生み出されても、それがなかなか実作にいかされなくなっていると思います(端的に言うと、評論家の言うことでなく編集者の言うことを聞いて書きたいと思っている作家やその予備軍がほとんどだということです)。
 (三)では、「「現代児童文学」において、<伝達>性が特に重視されたジャンル」と著者が規定している、「戦争児童文学」について論じています。
 まず、「戦争児童文学」の定義について、「「反戦平和」を目的として、特にアジア太平洋戦争について描く」という狭い意味よりも、「長谷川潮が主張する「戦争」が描かれているもの全般を、戦時下の少年小説など好戦的な作品を含めていく」広義なものの方がよいとしています。
 従来の現代児童文学では、戦争児童文学と言えば、「二度と戦争をおこしてはならない」、「戦争は悲惨だ」という趣旨のものが、一般的に書かれてきたとしています。
 それは、現状の国語教育の弊害である「作者は何を言いたいのでしょう」という問いかけとともに、「戦争は嫌だ」とか、「二度とおこしてはならない」という子どもたちの答えを引き出し、「なぜ戦争は起こったのか」「そもそも戦争状態とはどういうことか」といった根源的な問題を考えさせない状態を作り出していると述べています。
 そして、このように「戦争」を伝達するのにとどまっている「戦争児童文学」よりも、田中芳樹「銀河英雄伝説」などのようなエンターテインメントの方が、「民主主義の腐敗、経済、宗教など現実世界の紛争や問題を考えさせるきっかけになるのではないかと指摘しています。
 (四)においては、「「現代児童文学」の進行と、「読書」が<中略>子どもにとって不可欠なものになったことが連動しているといってよかろう」とした上で、「読書」の教育性が強められすぎて強制も起こっている現状を指摘しています。
 「パラダイムの崩壊期にある今、<中略>「読書」をしなくても生きてゆけることの中で、「読書」を選ぶ。」
 最後に、こういった「読書」本来の楽しみや位置づけの見直しと、大人が果たす「媒介者」の役割のとらえ直しを提案しています。
 (補記)においては、戦争児童文学が「こわい」という反応をしばしば子どもたち(特に年少の)に与えてしまい、戦争児童文学を避けるようになってしまう問題に触れています。
 子どもの文学を明るいものと規定していた「現代児童文学」において、「戦争児童文学」というジャンルのありようと子ども読者の反応を総合的に検討していくことが、「現代児童文学」の根幹を問い直していくことにつながるだろうと、著者は提案しています。
 全体を通して、著者が掲げた「「現代児童文学」をふり返る」というテーマは、私の最大の関心事だったので、非常に勉強になりました(著者が注にあげてくれた先行論文もすべて目を通し、アリエスや柄谷の本もこの機会に読み返しました)。
 最初に述べたように、「日中児童文学シンポジウム」の報告書という制約の中での論文なので、かなりいびつなものになっているのが、返す返すも残念です。
 

 

「現代児童文学」をふりかえる (日本児童文化史叢書)
クリエーター情報なし
久山社


 
 


 
 

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2021-05-03 18:17:32 | 作品

 

「今から、明日のオーダーを発表する」
 監督はノートに書かれたメンバー表を、ゆっくりと読み上げ始めた。
 ヤングリーブスのメンバーは、そのまわりに円陣をつくってこしをおろしている。
 土曜日の練習後のミーティング。いよいよ明日から、市の少年野球大会、春季トーナメントが始まる。
「1番、センター、本田」
「はい」
 名前を呼ばれたものは、返事をしながら立ち上がった。
「2番、ショート、……」
 次々に、名前が呼び上げられていく。
「9番、セカンド 大林」
「はい」
「以上のメンバーでいく」
 メンバー表を読み終わると、監督はグルリとみんなの顔を見まわした。
 レギュラーに選ばれた選手たちは、無言で小さくうなずいている。他のみんなも、明日からの公式試合にむけての、緊張感が高まってきていた。
 その中で、石川恭司(きょうじ)だけは、自分のまわりがポッカリと、その雰囲気から取り残されてしまったように感じていた。
 発表された先発メンバーの中に、恭司の名前はなかった。

「バーイ」
「バイバイ」
 小栗公園の横で、いつものようにみんなと別れた。
 家までの坂道をひとりで自転車を押しながらのぼっていったとき、レギュラーに選ばれなかった悔しさが、じわじわと胸の中にひろがってきた。
(やっぱりだめだったか)
 レギュラーに選ばれなかったのは、意外でもなんでもなかった。内心、恭司自身も無理じゃないかとは思っていたのだ。
 しかし、こうしてはっきりとレギュラーをはずされてみると、あらためて悔しさがわいてきていた。
 今年のヤングリーブスのAチームは、恭司たち六年生八人と、五年生十人の合計十八人から、構成されている。
公平にみれば、恭司の実力はチームで十二、三番手だ。
 練習試合とは違って、一度負けてしまえばそれっきりのトーナメント。ベストメンバーでのぞまなければならない。監督が選んだ先発メンバーは、実力どおりの妥当な顔ぶれになっている。
 実力があれば、六年生だろうが、五年生だろうが、区別せずに選ばれなければならない。
たとえ、それが結果として、六年生の中で恭司だけが補欠になったとしても。

「おにいちゃん、どうだった?」
 家に帰ると、妹の恵美が玄関まで出てきてたずねた。今日、公式戦のレギュラーが発表されることは、かあさんや恵美も知っている。
 恭司は何もいわずに、恵美の頭にポンとグローブをかぶせると、いつものように風呂場に直行した。
 ザーッ。
 熱いシャワーを頭からあびていると、また悔しさがこみあげてくる。
 三月にシーズンが始まってから、監督はレギュラーを決めるために、毎週少しずつメンバーを変えて練習試合をおこなっていた。
 初めのうちは、恭司も先発メンバーに加わることが多かった。
 しかし、いつもきまって「ライパチ」。守備がライトで、打順は八番だった。少年野球では、九人のメンバーの中で、いちばんへたな子がやるポジションだ。つまり、補欠ぎりぎりの九番目のレギュラーポジションということになる。
 練習試合での成績も、パッとしなかった。ヒットはほとんど打てなかったし、大きなエラーをして相手チームに得点されてしまったこともある。
そのため、しだいに途中で代打を出されたり、先発メンバーからはずされたりするようになっていた。
 監督の信頼を回復しようと恭司はがんばっていたのだが、とうとうこれといった活躍ができないまま公式戦の日をむかえてしまった。

 恭司はシャワーをあびおわって、風呂場から洗面所へ出ていった。
 バスタオルで、ゴシゴシと荒っぽく頭をふいた。ついでにいつのまにかにじんでいた悔し涙もぬぐったので、少しさっぱりとした気分になれた。
「はい、着替え」
 かあさんが、シャツとパンツを持ってきてくれた。恭司は、だまってそれに着替えた。
「あした、応援にいってもいい?」
 かあさんが、えんりょがちにいった。
「えっ。うん、いいよ」
 恭司は、平静をよそおって答えた。
「あたしもいっていい?」
 恵美も、洗面所に顔を出した。
「いいよ」
 恭司は、恵美にバスタオルをほうった。
 かあさんも恵美も、それ以上、恭司がレギュラーに選ばれたかどうかはたずねなかった。恭司はホッとした気分で洗面所を出た。

「それじゃあ、試合開始します」
 主審の合図のもと、
「お願いしまーす」
と、両軍は大きな声であいさつした。
 一回戦の相手は、キングドラゴンズ。市内でも指折りの強豪チームだ。
 先攻はヤングリーブスなので、恭司はすぐに三塁側のコーチスボックスへ走っていった。監督から、走塁コーチをやるように指示されていたのだ。
 三塁側の走塁コーチは、二塁から走ってくるランナーをそのままホームへつっこませるか、それとも三塁でストップさせるかを指示する重要な役目だ。
 でも、逆にここに立っていると、試合に出ないということがひとめでわかってしまうことにもなる。
 両軍のベンチ裏には、メンバーの家族を中心にした応援がきていた。一塁側のヤングリーブスには、恭司のかあさんと恵美、それにめずらしくとうさんまでがきている。とうさんは、ビデオカメラをこちらへむけていた。
「プレイボール」
 いよいよ試合が始まった。
「バッチ(バッターのこと)、しっかり打っていこうぜ」
 恭司はビデオカメラに気づかないふりをして、バッターへ声援をおくりはじめた。

 試合は、最初から相手チームのペースですすんでいた。キングドラゴンズは毎回のようにランナーを出して、着々と得点を重ねている。
 いっぽう、ヤングリーブスの方は、相手ピッチャーに完全におさえられていた。コーチスボックスからはそれほど速くは見えないのだが、手元にきてのびているのか、からぶりやポップフライがめだっている。
「恭司、ピンチヒッターだ」
 コーチスボックスにいる恭司にむかって、監督が大声でさけんだ。
 恭司は、あわててベンチへかけもどった。
 ヘルメットをかぶり、滑り止めをつけてから金属バットをにぎる。
 最終回もすでにツーアウト。得点は二対七と五点もリードされ、ランナーもいなかった。
 二、三度素振りをしてからバッターボックスへむかうとき、恭司はほほが熱くなってくるのを感じていた。見え見えの温情のピンチヒッターが、はずかしかったのだ。
 もちろん、監督に悪気があったとは思ってはいない。どうせ逆転するのが無理なのなら、ただ一人の六年生の補欠、しかも、今日走塁コーチとしてがんばり、いっしょけんめいみんなに声援をおくっていた恭司を、最後のピンチヒッターに使うのはむしろ当然のことだろう。
 でも、恭司には、チームの全員、そして、応援にきている人たちまでが、ここで恭司がピンチヒッターに立つ理由(補欠の六年生に試合の想い出を作らせる)を知っているように思えてしまうのだ。
そして、それがいやでいやでたまらなかった。
「おにいちゃーん、がんばって」
 バッターボックスに立ったとき、恵美の声がうしろから聞こえてきた。
 チラッとふりかえると、バックネットのところで手をふっている。
「キョンちゃーん、しっかり」
 応援席の方からは、かあさんも声援を送っている。きっと、とうさんはビデオカメラをこちらに向けているだろう。
(よし、意地でもここでヒットを打ってやるぞ)
 恭司はそう心にちかって、ピッチャーをにらみつけた。
 一球目。
「ストライークッ」
 速い。いざ打席にたつと、コーチスボックスで見ているときとは大違いだ。ふだんはバッティングのよいうちのチームが、二点しか取れなかったはずだ。
(追いこまれたらだめだ)
 二球目。
 恭司はおもいきりバットをふった。
 しかし、内角のとんでもなく高いボール球だった。
 からぶり。恭司は、いきおいあまってしりもちをついてしまった。
「ストライークッ」
 審判の声に続いて、観客から小さな笑い声がおこった。
「バッチ、ぜんぜん打てないよーっ」
 相手ベンチから、余裕たっぷりのやじがとぶ。
 恭司は立ち上がると、おしりについた砂をポンポンとはらった。
「恭司、おちついてボールをよく見ていけ」
 ベンチから監督の声がする。チラリと見ると、やっぱり苦笑いをしていた。
 三球目。まん中への直球。
(しめた)
 恭司のバットは、ようやくボールをとらえた。
(打球はセンター前へ)
 打った瞬間、恭司はそう思ったのだが、じっさいはボテボテにつまったゴロが、ピッチャーのグローブにすいこまれていた。
 恭司はけんめいに一塁へ走った。頭がガクガクゆれて、ヘルメットがこぼれおちた。
 しかし、まだベースの三メートルも手前で、一塁手はがっちりと送球をキャッチしていた。
「アウート」
 塁審が叫んだ。
 ワーッ!
 相手チームから歓声がおこる。
 恭司はベース前でスピードをおとすと、ヤングリーブスのベンチの方へふりかえった。
 と、その時、ベンチ前のネクストバッターズサークルの中に、次のバッターが入っていないことに気がついた。
(やっぱり、みんなは、もう試合をあきらめていたんだなあ)
 ぼくがヒットを打つことなんか、チームのメンバーたちも期待していなかったようだった。
 相手チームは、喜び合いながらホームベースへかけよっていく。ヤングリーブスのメンバーも、試合後のあいさつのためにベンチから出てくる。
 恭司は、途中に落ちていたヘルメットをひろうと、のろのろとホームにむかった。

春季大会から一ヶ月がすぎた。いぜんとして恭司は、土日の練習にも、週二回の自主トレにも休まず参加している。
 毎年この時期になると、レギュラーになれなかった六年生たちが、勉強が忙しくなったことなどを理由に、何人かやめていった。
 だが、今年は六年生の人数が少なく、恭司以外は全員レギュラーになれたので、そういうことはなかった。
 恭司も、
(チームをやめようかな)
と、チラッと思ったこともあった。
 でも、一人でやめるというふんぎりもなかなかつかずに、そのままチームに残っていた。
 だからといって、これから猛練習して、レギュラーの座をかちとるのぞみをもっているわけでもなかった。
 恭司は、もともとスポーツが苦手だった。それにひきかえ、チームのほかのメンバーは、学校でもスポーツが得意な子ばかりだ。
 恭司の体育の成績は「ふつう」ばかりだった。それでも、去年よりはあがっていて、四年生のころまでは「がんばろう」が多かったのだ。
五十メートル走は九秒台だし、ソフトボール投げも三十メートルそこそこだった。チームの他の子たちは、五十メートル走でも、ソフトボール投げでも学年の上位を占めている。これでは、とても他のメンバーをうちまかして、レギュラーの座はとれそうにない。

「おい、恭司、うまいな」
 ぼんやりと練習をしていたら、いきなりうしろから声をかけられた。
「えっ? あっ、はい」
 振り返ると、監督がそばまで来ていた。
 バッティング練習の仕上げに、バントをやっているときだ。三人一組になって、順番にピッチャー、キャッチャー、バッターを代わってやっていた。
「おーい、みんな、集合」
 監督は、グラウンドいっぱいにひろがっていたチーム全員を呼び集めた。
「いいか、バントの見本演技だ。恭司、やってみろ」
 恭司は監督にうながされて、バッターボックスに立った。
「良太、マウンドへいけ。洋平、受けてやれ」
 良太と洋平。チームのエースとキャッチャーだ。
「よし、始めろ」
 監督の合図とともに、良太が速球を投げこんできた。
 カッ。
 恭司のバントでスピードをころされたボールが、コロコロとピッチャー前にころがった。
「次」
 二球、三球と、良太の投げるボールを、恭司は次々とバントにきめてみせた。
「ほーら、みんなわかるか。恭司は最後までボールから目をはなさないだろ。だから、ファールチップになったり、からぶりしたりしないんだ」
 恭司はそんな監督のことばを背中に聞きながら、ほこらしい気持ちでいっぱいだった。こんなことは、チームに入ってから初めてのことだ。
「よっ、バント名人」
 うしろからひやかすような声がとんだ。
 ビシッ。
 声につられてつい力が入ったのか、恭司ははじめてバントをしそこなって、ファールチップにしてしまった。
 ドッとみんなが笑った。
「こら、からかうんじゃない。浩一、おまえだろ。先週の試合で、送りバントの失敗をしたのは。すこしは恭司を見習えよ」
 監督は、黄色のメガホンで、軽く浩一の頭をたたいた。送りバントというのは、自分は一塁でアウトになる代わりに、ランナーを先の塁に進めるバントのことだ。
「ちぇっ、いけねえ」
 浩一がペロリと舌を出したので、またみんなが笑いだした。
「よーし、恭司、そこまででいい。さあ、ほかのみんなも、もう一度バント練習だ」
 監督の声に、メンバーはふたたびグラウンドにちっていった。

(バント名人!)
 練習からの帰り道、恭司の頭の中に浩一の声がよみがえってきた。
 バッティングがへたなためか、試合中、送りバントを命じられることが多かった。だから、ほかのメンバーはいいかげんにやっているバント練習を、ふだんでも恭司だけはしっかりとやっていた。そうすると正直なもので、いつのまにかチームでもバントが上手な方になっていたのだ。
(バントだ。これしかない。絶対にチーム一の「バント名人」になってやろう)
 監督がここは送りバントしかないという場面で、確実にバントをきめられる。そんな選手になれば、たとえ代打でも、春季大会のときのようなお情けでなく、実力で出場できる。
「ただいまあ」
 家の玄関で、つい大声を出してしまった。
「まあ、元気ねえ。どうしたの?」
 かあさんが、びっくりしたような顔をしている。
「おにいちゃん、何かいいことあったの?」
 恵美も、ニヤニヤしながらこちらを見た。
「ううん、なんでもない、なんでもない」
 恭司はそういいながら、いつものように風呂場へむかった。

 その日から、恭司のバントの特訓が始まった。
 チームでの練習のときは、今までよりも真剣にバントに取り組んだ。
 普通のバント練習はもちろん熱心にやっているし、休憩のときなども、他の子にボールを投げてもらって、バントの練習をするようになった。
 学校でも、休み時間に友だちに頼んでバントの練習していた。恭司のバント練習は、みんなの間でもいつのまにか有名になって、同じヤングリーブスのメンバーに限らず手伝ってくれる友だちがいた。
家に帰ってからも、一人でバントの練習をしている。
 初めは、塀にぶつけて、はねかえってきたボールをバントして練習しようとした。
 でも、うまくボールがはずんでくれなくって、練習にならなかった。
「おにいちゃん、手伝ってあげようか?」
 見かねて、恵美が声をかけてくれた。
 それからは、恵美がボールを投げて、恭司はバント練習を続けている。
 恵美の投げるボールは、女の子にしては投げ方もきちんとしているし、コントロールも良かった。
 でも、恵美の投げる球では、さすがに遅すぎた。これでは、実戦の練習にはあまりなりそうになかった。
 シュッ。……。カッ。
 ボールはコロコロところがる。
恭司は、すぐに恵美のボールを、百発百中でバントを決められるようになってしまった。
 とうとう恭司は、近くのバッティングセンターへ、バントの練習にでかけることにした。
 バッティングセンターには、時速七十キロぐらいのスローボールから、百四十キロのプロなみの剛速球まで、さまざまなマシンがならんでいる。
 カキーン。 ……。 カキーン。
 他の打席の人たちは、気もちよさそうにバットをふりまわしている。
 カッ。 ……。 カッ。
ところが、恭司だけはもくもくとバント練習にはげんだ。
 そんな姿を、順番待ちの人たちがふしぎそうにながめていた。
 恭司は、スローボールから始めて、だんだんにスピードを速くしていった。
さすがに百キロを越えると、バントの失敗が多くなった。
でも、少年野球でも、速球派になると百キロを超えるようなスピードボールを投げるピッチャーがいる。このスピードにも対応しなければならない。
 恭司は、チームの練習のない日には、何度も何度もバッティングセンターにかよった。
そして、最後には百二十キロの速球でも、かなりの確率でバントを決められるようになった。
でも、バッティングセンターは、一回二十五球ぐらいで三百円もする。おかげで、恭司の貯金箱はすっかり空っぽになってしまったけれど。

 恭司のバントの特訓の成果を発揮する機会は、夏休みに入ってすぐにおとずれた。あのキングドラゴンズとの練習試合だ。
 今日は、春の大会とはちがって、ヤングリーブスも善戦している。最終回の裏の攻撃中で、得点は四対四の同点。しかも、ワンアウトで、ランナーは三塁にいた。
「おーい、恭司」
 監督が、コーチスボックスの恭司に手まねきしている。
 ピンチヒッターだ。恭司は大急ぎでベンチに戻ると、ヘルメットをかぶった。
「サインをよく見ろよ」
 監督がうしろからささやいた。
(スクイズバントだ)
 恭司はピーンときた。
 スクイズとは、監督のサインで、ピッチャーが投げると同時に、三塁ランナーがスタートをきる。それに合わせてバントをして、確実に得点をねらう作戦だ。監督も、恭司のバントの腕前を、覚えていてくれたのだ。
 最終回の裏で同点だったから、ランナーがホームインすればサヨナラ勝ちになる。「バント名人」の恭司にとって、これ以上の活躍のチャンスはない。
 恭司はバッターボックスへむかいながら、もう一度「バントの注意事項」を頭の中にうかべてみた。
 体をボールが来る方向に対して、きちんとまっすぐむける。
 足の間隔はやや広くして、ゆったりとかまえる。
 両手をにぎりこぶしふたつ分はなして、ボールのいきおいにまけないようにしっかりとバットをにぎる。
 バットはできるだけ目の高さに近づけ、ボールが来ても腕だけでバットを上下させない。高さの調整は、腕でなくひざの屈伸を使っておこなう。
 一球目。
 監督からは、スクイズのサインは出ていない。
 予想どおり、相手ピッチャーも警戒して、大きく外側にはずしてきた。
 二球目。
 監督は帽子のつばをつまんでから、胸のマークをさわった。
 スクイズのサインだ。
 ピッチャーがモーションをおこすと同時に、三塁ランナーがスタートをきった。恭司もバントのかまえにはいった。
 それを見て、一塁手と三塁手が、もうぜんと前にダッシュしてくる。
 カッ。
 きれいにスピードをころされたボールが、一塁手とピッチャーの中間にコロコロところがった。
「バックホーム」
 けんめいにさけぶキャッチャーの声を背中に、恭司は一塁へ走った。
「セーフ! ホームイン。ゲームセット」
 審判が叫んだ。恭司のスクイズバントはみごとに成功した。
「やったあ!」
 一塁ベースのそばで、ベンチからとびだしてきたみんなに、恭司はもみくちゃにされていた。
(バントの練習をやってきてよかったなあ)
 恭司は、心からそう思っていた。
 その後も、夏休み中の練習試合で、百パーセント確実に送りバントやスクイズを決めて、「バント名人」恭司の腕前は、監督だけでなくチーム中に知れわたっていった。

「ピンチヒッター、石川」
 監督が審判につげた。
 秋季大会の一回戦、レッドファイターズとの試合だった。五回のおもて、ワンアウトランナー一塁。得点は一対三と二点リードされている。
(送りバントだな)
 恭司は、ヘルメットをかぶりながらそう思った。
 監督は次のバッター、洋平のバッティングに期待しているようだ。この回、同点にならなくても、まだ六、七回の攻撃があるから、ここは一点差につめておく作戦なのだろう。
「恭司、がんばれ」
「おちついていけ」
 ベンチのメンバーは、今日も期待をこめて恭司に声援をおくっている。
「おにいちゃーん、がんばってーっ」
 ダッグアウトのうしろから、恵美の声も聞こえてきた。
 そして、今日はかあさんが、こちらにビデオカメラをむけている。
 恭司は、ダッグアウトの監督をチラッと見た。監督はぼうしのツバをさわってから、ベルトに手をやった。案の定、「ストライクバント(ストライクだったらバント、ボールだったら見のがす)」のサインだ。
 とうぜん、相手も一球目は送りバントを警戒してはずしてくるだろう。
 勝負は二球目からだ。
 相手の一塁手は左ききだから、一塁側にバントすると、二塁に送球されてランナーがアウトにされる可能性がある。三塁側にころがして、できたらピッチャーにとらせるバントがベストだ。

 一球目。
 予想どおり、外角高めにはずれるとんでもないボールだ。
 恭司は余裕たっぷりに見のがした。最近は、自信がついたせいか、ボールが良く見える。
「バッチ、ぜんぜん打つ気ないよ」
 相手チームのやじも、今の恭司にはぜんぜんこたえない。
 相手ピッチャーもこれ以上カウントは悪くしたくないから、きっとストライクを投げてくるに違いない。ここが勝負だ。
(よし、絶対きめてやる)
 恭司は相手ピッチャーをにらみつけるようにして、二球目を待った。
 ピッチャーはそんな気迫におされたかのように、一塁へけんせい球を投げて間をはずした。
「タイム」
 恭司も、間を取るためにバッターボックスをはずした。
 と、その瞬間、恭司の頭の中に別のアイデアがひらめいた。
(セーフティバント)
 ランナーを二塁に送るだけでなく、自分まで一塁で生きてしまうのだ。
 恭司は、あらためて相手の守備をながめた。
 一塁手と三るい手は、バントを警戒して浅めに守っている。
 二塁手が一塁の、ショートが二塁のベースカバーにはいるのだろう。
(よし、二塁手前へのセーフティバントだ)
 送りバントを警戒して、前へ出てくるピッチャーと一塁手との間を、強めのバントでぬく。
 二塁手も一塁のベースカバーに入ろうとして横に動くから、そのあたりはがらあきになるはずだ。鈍足の恭司がセーフティバントをきめるためには、ねらう場所はここしかない。うまくいけば、一塁ランナーは三塁まで進めるかもしれない。
 送りバントでツーアウト二塁になるかわりに、いきなりワンアウト一塁三塁の大チャンスになってしまう。
 もちろん、このバントにはリスクがあった。セカンド前でなく、ピッチャーや一塁手の正面に飛んだら、二塁に送球されて、送りバントが失敗するだけでなく、一塁へ転送されてダブルプレーになってしまうかもしれない。
 しかし、恭司には、絶対にセーフティバントを成功させる自信があった。今こそ「バント名人」の実力を、みんなに見せつけてやる。
 ランナーを見ながら、ピッチャーがセットポジションにはいった。恭司はさも送りバントをやりますという感じで、バットを前にかまえ体を低くかがめた。
 投球と同時に、一塁手と三塁手がつっこんでくるのが目に入った。
(今だ!)
 しかし、次の瞬間、恭司は二塁手の前のセーフティバントではなく、ピッチャーの左前に勢いを殺したボールをころがしていた。
 基本どおりの送りバント。
「ファースト!」
 送球を指示するキャッチャーの声を背中にうけて、恭司はけんめいに一塁を目ざして走っていた。
「アウート」
 塁審が叫ぶのを聞いてからも、恭司はスピードをゆるめずに一塁ベースをかけぬけていった。

「恭司、ナイスバント」
 ベンチに戻ってきたとき、監督が声をかけてくれた。
「バッチ、しっかりいこうぜ」
「ピッチ(ピッチャーのこと)、苦しいよ」
 ベンチのメンバーは、次のバッターの洋平への声援にかかりっきりだ。
 だれも、恭司の方にふりむこうとしない。「バント名人」の恭司が送りバントを成功させるのは、もうあたりまえのことだと思っているようだ。
(やっぱり、セーフティバントをやればよかったかなあ)
 恭司は、チラッとそんなことを考えた。セーフティバントを成功させていれば、もっとみんなに注目されたはずだ。
「リー、リー、リー」
 二塁ベースから、浩一の叫ぶ声が聞こえてきた。恭司の送りバントで進んだランナーだ。
「浩一、ワンヒットで戻れよぉ」
 監督が、大声で叫んだ。
 ピッチャーが初球を投げ込んできた。
 バチン。
 洋平のあたりは、やや振り遅れのファールだった。
「バッチ、当たってるぞぉ」
「思いっきりいこうぜぇ」
 ベンチの声援はいっそう盛り上がってきた。
「洋平、頼むぞぉ」 
 他のメンバーにまじって洋平に声援を送ったとき、ベンチのうしろの方にこしをおろしている恭司の胸の中には、少しずつ「バント名人」としての満足感がひろがりはじめていた。

      

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安藤美紀夫「日本語と「幼年童話」」日本児童文学1983年10月号所収

2021-05-03 09:11:57 | 参考文献

 「現代日本児童文学論集5」にも収録されている幼年童話の問題点について指摘した論文で、ここで四十年近く前にならされた警鐘は、現在ますます市場に氾濫している安直な幼年童話によくあてはまります。
 この論文で指摘された問題は、大きく分けて二つあります。
 一つは、幼年童話の字の大きさ(ないしは枚数の少なさ)の問題です。
 安藤は、当時の幼年童話の問題点として、活字が大きすぎて字数が少ないということをあげています。
 安藤は、本来幼年童話は字を覚えるための教育的なものではなく、また枚数にも一定の長さが必要だと、「物語絵本」を例にあげて以下のように述べています。
「その時、まず考えられることは、長編の構想である。物語絵本は、そこに文字があろうとなかろうと、少なくとも二十場面前後の<絵になる場面>が必要なことはいうまでもない。そして、<絵になる場面>を二十近く、あるいはそれ以上用意できる物語といえば、いきおい、起承転結のはっきりした、ある種の山場を伴う物語にならざるを得ない。たとえそれが<行って帰る>といった一見単純な物語であっても、である。」
 そして、安藤は、短編構想の「幼年童話」については以下のように否定的です。
「くっきりと一つの場面を鮮明に描ききる短編の手法は、幼年期の子ども読者には、おそらくあまりわかりのいいものとはならないであろう。」
 この考え方は、児童文学全体における安藤の考え方に直結しているものです。
「さらに、児童文学がいわゆる文学と異なる大きな特徴の一つに、行動と対話がある。要するに、読み手あるいは聞き手が子どもである場合、登場人物の行動と対話がストーリ-を運ぶ基本的要件なのである。(これは安藤のかねてからの持論であり、この論文が発表された直後の1984年2月に熱海で行われた日本児童文学者協会の合宿研究会でも非常に強調していました。私はこの合宿後に児童文学の創作を始めたのですが、私の創作理論はこの安藤の発言に大きく影響を受けました。)相手の年齢が低ければ低いほど、そのことの意味は大きくなってくる。そして、物語る絵の助けなしに、ストーリーを完結しようとすれば、十分な準備とふさわしい枚数を用意しなければならないはずである。
 今、一般に幼年童話と呼びならわせているもののほとんどは、そうした準備なしに書かれているように思われる。安直なファンタジーの氾濫は、そのことを示しているのではないか。だとすれば、それは退廃以外の何物でもない。」
 安藤の論文が書かれてからすでに四十年近くがたっていますが、状況はますます悪化していて、子どもたちの読解力の低下にも伴って、幼年童話にとどまらず児童文学全体にこの「退廃」は広がっているといえます。
 安藤が指摘した二つ目の問題は、「幼年文学」における欧米の言語にない日本語の特殊性についてです。
 この特殊性は、たんに幼年向けの単語という問題だけでなく、「幼年童話」の幼い子どもの話し方を擬したような独特の語り口も含まれています。
 これに関しては、安藤はその使用の是非には言及していません。
 ただ、日本の「幼年童話」にはそれらの作品でしか使われない用語や語り口があると、指摘しているだけです。
 しかし、この「幼年童話」の用語や語り口についてはさらに検討を加える必要があり、単に幼い子どもの話し方を摸すればいいわけではなく、文章としてどう表現するかをよく吟味しなければならないと思われます。
 これは、日本の児童文学全体の用語や語り口の研究にまで広げて考える必要があります。

転換する子どもと文学 (現代児童文学論集)
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日本図書センター
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十二人の怒れる男

2021-05-02 14:30:32 | 映画

 1957年公開のアメリカ映画です。

 1954年に作られたテレビドラマの映画化です。

 ほとんどが、陪審員室の中で、評決をするために議論する12人の男を描くだけで、一本の映画ができています。

 その点で、優れた脚本と俳優の演技さえあれば、費用をかけなくても優れた映画ができる手本としてよく語られます。

 スラム街の少年による父親殺しの事件の、12人の陪審員たちは、ほとんどが有罪に傾いていました。

 ただ一人陪審員8号だけは、少しも話し合わずに有罪(それは死刑を意味します)にすることにためらいを持ち、話し合うために無罪を主張します(全員一致でないと評決できません)。

 それからは、12人の個性と個性がぶつかり合う中で、ひとつひとつの証拠や証言が吟味されて、やがては全員が無罪の評決をします。

 その過程で、感情的だったり、論理的だったり、御都合主義だったり、日和見的だったりする陪審員同士のやり取りが、密室劇にもかかわらず(あるいはそのせいで)、非常にスリリングに展開されます。

 縁もゆかりもないスラム街の少年のために、懸命に議論する互いに全く関係のない男たち。

 評決後、裁判所を去るときに初めて名乗り会う陪審員8号と9号の老人のラストシーンが鮮やかです。

 この映画は、良くも悪くもアメリカの陪審員制度を語る上で、よく引き合いに出されます。

 ヘンリー・フォンダが演じた陪審員8号は、まさに「アメリカの良心」とでも呼ぶべき、静かだけど強固な意思を感じさせ、一人の典型的なアメリカのヒーロー像として、高く評価されています。

 

 

 

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中川右介「グレン・グールド」

2021-05-02 13:56:15 | 参考文献

 2012年に発行された、いわゆるグールド本(おびただしい数の本が出版されています)の一冊です。
 あとがきで著者が述べているように、31歳でコンサート・ピアニストを引退したグールド(50歳で亡くなっています)は、主にレコードにおける演奏について語られてきたので、このようにコンサート活動を、5歳で初めて人前で演奏(ただしオルガン)してから引退するまで網羅的に記述していて、音源が残っているものはそれも紹介している(すべて巻末にリストアップされているグールド本からの情報で、著者独自の取材はしていないようですが)のは、グールドファンだけでなく、私のようにほとんどグールドを聴いてこなかったグールド初学者(ピアニストでは、ホロヴィッツとアシュケナージのファンでした)にとっても、非常に参考になりました。
 しかし、冒頭で、グールドと同世代の世界的に有名な三人の若者、ジェームス・ディーン、エルヴィス・プレスリー、ホールデン・コールフィールド(サリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)の主人公)も紹介し、グールドと「怒れる若者たち」ないしは「理由なき反抗」との関連をほのめかしていますが、実際に書かれているのは皮相的な誰もが知っている内容で、著者の独自の考察も全くなく、「羊頭を掲げて狗肉を売る」の類です。
 他にも、ビートルズやケルアックの「オン・ザ・ロード」(ビート・ジェネレーションを描いた代表的な作品)も紹介しているのですが、ほとんど意味不明です。
 だいいち、「怒れる若者たち」や「ビート・ジェネレーション」について実感を持って語るには、著者(私もそうですが)は若すぎますし、グールドのコンサート・ピアニスト時代(ジェームス・ディーン、エルヴィス・プレスリー、ホールデン・コールフィールドが活躍した時代でもあります)の大半は、著者は生まれてもいませんでした。
 また、副題に掲げた惹句「孤高のコンサート・ピアニスト」や巻末に掲げたハンニバル・レクター博士(トマス・ハリスの「羊たちの沈黙」などの主人公)の有名なセリフ「それと、音楽。グレン・グールドの「ゴールトベルク変奏曲」?要求がすぎるかな?」も、内容にはそぐわずピントはずれな感じです。

グレン・グールド 孤高のコンサート・ピアニスト (朝日新書)
クリエーター情報なし
朝日新聞出版
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ダン・ウェイクフィールド「愛の求道」アメリカ文学作家論選書J.D.サリンジャー所収

2021-05-02 13:53:32 | 参考文献

 例によって、この論文が書かれた時期についての記載はないのですが、「フラニー」、「大工らよ、屋根の梁を高く上げよ」、「ズーイ」が出版された後だと書かれているので、おそらく1958年ごろだと思われます。
 また、著者は50年代の初めにコロンビア大学の学生だったと書かれているので、当時30歳前後の若い研究者で、サリンジャー作品をリアルタイムに熱狂的に迎え入れた若い世代の一員だと思われます。
 そのため、伝統的な文学との比較で論ずる年長の研究者たちと違って、1950年代の他の文学との関連を述べているので非常に興味深い内容でした。
 その中で、イギリスの「怒れる若者たち」に属する批評家が、正しくサリンジャーを理解し評価しているとの記述に、特にハッとさせられました。
 それまで、私の中では、サリンジャー作品で描かれているのは中流家庭の若者たちで、「怒れる若者たち」の作家たちが描いているのは労働者階級の若者たち、という一種の先入観がありました。
 しかし、実際には、そういった環境の違いを超えて、大人たちが作り上げた社会の閉塞感に対して、共通して「No」と言っていたのです。
 そう言えば、サリンジャーの前に、熱心に読んでいた作家のアラン・シリトー(「長距離ランナーの孤独」、「土曜の夜と日曜の朝」など)も「怒れる若者たち」の一員でした。
 また、その時期にアメリカで人気のあったビート・ジェネレーションの作品(例えば、ケルアックの「路上」など」)との比較では、ホールデン・コールフィールド(「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の主人公)の彷徨が「現代社会における愛とモラルの探求」の出発点であるのに対して、「ビート・ジェネレーション」が描いたのは終点だとしています。
 グラス家サーガについても、より深い意味で「現代社会の愛とモラルの探究」がされているとしています。
 その上で、「テディ」を神秘主義者として、シーモァはそれに至らないために、「現代社会の愛とモラルの探究」に苦悩して自殺に至ったとしています。
 一般には「テディ」はシーモァのプロトタイプだと言われているのですが、それは、「シーモァ ― 序章」(1959年)、「ハプワース16、一九二四」(1965年)と時代が進むにつれて(逆に、シーモァ自身は、31歳から7歳まで年齢を遡行します)神秘主義者としての完成度を増したためなので、1958年の時点で著者がそう考えるのも無理からぬことです。
 なお、この作者も、サリンジャーの描く子どもたちを「純粋無垢」な存在としてとらえていますが、実際には人間の「原形質」としてとらえないと「バナナ魚にはもってこいの日」に登場するシビルたちのような存在は理解できないでしょう。
 このことは、児童文学者には比較的分かりやすいのですが、一般文学の研究者にはあまり理解されないようです。
 ただ、著者はまた、「年齢とは精神的なものであって、時間的なのものではない」として、サリンジャー作品がアピールする「若者たち」もまた「精神的なものであって、時間的なのものではない」と主張しています。
 このことは、ケストナーの言うところの「8歳から80歳までの子ども」と同じことを言っているので、サリンジャー文学の本質を正しくとらえています。
 なお、文中のサリンジャー作品については、それらの記事を参照してください。

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荒野の決闘

2021-05-01 21:02:47 | 映画

 1946年の、西部劇の巨匠ジョン・フォード監督の作品です。
 有名なOK牧場の決闘を描いています。
 カウボーイ、保安官、西部の町、ガンファイト、復讐、酒場、ばくち、教会、男の友情、女の愛情、駅馬車など、西部劇のすべての要素をちりばめたベタな映画です。
 そんな70年前の古い映画が、今でも魅力を持ち続けているのは、ジョン・フォード監督の手堅い演出と二人の男性俳優の魅力のおかげでしょう。
 ヘンリー・フォンダが演じる武骨で誠実な保安官ワイアット・アープと、ビクター・マチュアが演じる男の色気にあふれたやくざな医者ドク・ホリデイ。
 映画の中でも女性にもてるのは当然ドク・ホリデイですが、映画の主役はワイアット・アープなのです。
 ヘンリー・フォンダは、有名な「十二人の怒れる男」でもそうですが、こうした古い言い方でいえば男のなかの男を演じたらナンバーワンです。
 死んだドク・ホリデイのいいなづけ(懐かしい言葉ですね)のクレメンタインと別れるとき、ひそかにに恋しているのに、くちびるではなくほほにキスして、「あなたが好き」と言うのではなく「あなたの名前が好き」と言って去る後姿に、有名な主題歌「いとしのクレメンタイン」が流れるラストシーンはしびれます。
 そう、これは、映画の主な観客が男性だった古き佳き(語弊がありますが)時代の映画なのです。

 

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20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
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マイ・フェア・レディ

2021-05-01 13:08:33 | 映画

 1964年公開のアメリカのミュージカル映画です。

 ひどい下町訛のある花売り娘イライザが、言語学の教授の特訓によってレディになっていく様子を描いています。

 初めはたんなる賭けの対象(舞踏会へ彼女を送り込んでも、レディとして通用するかどうか)でしかなかったのですが、あまりに見事なレディぶり(かなりの部分は彼女の美しさでしょう)に、最後は独身主義者の教授も心引かれるようになります。

 この映画の成功の原因はなんといっても、オードリー・ヘプバーンの魅力でしょう。

 アカデミー賞の作品賞や主演男優賞(教授役のレックス・ハドソン)など八部門も受賞し、オードリーは主演女優賞にノミネートさえされていませんが、花売り娘からレディに変身していく随所に、オードリーの魅力があふれています。

 イライザの歌の大半は吹き替えになっていますが、彼女も実際に歌いながら演技しているそうです。

 それにしても、名曲の数々とゴージャスな衣装やセット(特に競馬場や舞踏会のシーン)は、このころが映画の全盛期だったんだなあを感じさせてくれます。

 

 

 

 

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本田和子「物語体験としてのイニシェーション ー「家出」の象徴をめぐって」児童文学研究No.8所収

2021-05-01 11:30:47 | 参考文献

 1978年の日本児童文学学会の紀要に掲載された論文です。
 物語体験が現代の子どもに与えるイニシェーション(通過儀礼)としての機能について、カニグズバーグの「クローディアの秘密」を分析することによって論じています。
 御存じのように、「クローディアの秘密」におけるイニシェーションは「家出」です。
 著者は、児童文学において「家出」が取り扱われることは新しいことでないこと(この論文が書かれたころの日本の児童文学では、家出や離婚を取り扱った作品が注目を集めて、従来の児童文学にとっての「タブーの崩壊」と言われていました)を、グリム童話やピーターパンやハックルベリを例にして述べています。
 これらの例は、厳密な意味では「家出」ではないのですが、著者は「家出」を以下のような象徴的な意味で使っています。
 「家出」とは、「自発的・主体的に選択され、決行されることがらで」、「出発が、非合法・秘密裡に行われる」、「徹底して独立の営み」。
 また、「日常性の決別、とりわけ、自分の意志と自分だけの力で、それを実行に移すのは、それほど簡単なことではなく、強い情動と莫大なエネルギーを必要とする行為で、そのために仮想敵(本当の敵ではなくても当人がそう思い込むだけでいいのです)を設定する」ことが必要だとしています。
 そして、子どもとは、「過去や未来にもまして、現在相に生きる存在」なので、「現在から自身を切り離すためにのみ、エネルギーを燃焼させる」家出は、「まさしく、古い自分を葬り、新しく生まれるための苦闘である。」としています。
 「それゆえに、物語世界にくり返し現われる「家出」は、成長の転機を物語る象徴として読み解き得るのである。」と定義しています。
 「クローディアの秘密」では、非常に現代的で都会的で現実的な「家出」が描かれています。
 家出先がニューヨークを代表する文化施設の「メトロポリタン美術館」であり、「家出」の相棒として弟を連れていき(彼自身には「家出」をする必然性はなく、たんなるパトロン(クローディア自身はお金がなく、弟はスクールバスの中でのいかさま賭けトランプで小銭をため込んでいます)や後述する「家出ごっこ」の相手にすぎません)、家出先でもきちんと日常生活をこなしています。
 そして、著者が指摘しているもっとも個性的な点は、「家出」に必要とされる敵が見当たらないことです。
 クローディアは、一応もっともらしい「家出」の仮想敵(長女のゆえ家事が多い、小遣いが少ない)をあげていますが、「家出」という莫大なエネルギーを要する行為の敵としては薄弱です
 著書は、昔話では「継母(ままはは、現代では差別用語ですね)の迫害や飢え」を、現代児童文学作品(山中恒の「ぼくがぼくであること」(その記事を参照してください))では「苛烈な受験戦争とヒステリックな教育ママ」を、仮想敵の例としてあげています。
 著者の指摘を待つまでもなく、クローディアの敵は彼女の内側にあります。
 クローディアが脱却したかったのは、両親や先生の言うことをよく聞く、お行儀のよい優等生な自分自身だったのです。
 そうした、過剰に適応している日常において、クローディアは自分自身のアイデンティティを見失っていました。
 前述したように、クローディアは家出先でも、きちんと日常生活(食事、ベッド(美術館内にはベッドも展示されているのです!)に入るときはパジャマに着替える、入浴、勉強)をこなします。
 こうしたきちんとした生活習慣が嫌なのではないのです(潔癖症の彼女はむしろ好きなのでしょう)。
 両親や先生に言われてそれに素直に従っている自分自身が嫌なので、自らやることは美術館でやるその他のこと(守衛から身を隠す。弟との芝居がかった会話など)と同様に「家出ごっこ」の一環で「遊び」なのです。
 クローディアは、美術館で「天使の像」に出合い、その謎に挑み、最後にフランクワイラー夫人からその「秘密」の意味と価値を知らされ、自分だけのものにします。
 こうして、クローディアのイニシェーションとしての「家出」は終了し、日常生活へ戻っていきます。
 でも、そのクローディアは、家出前のクローディアとは違います。
 「自分を自分たらしめる内的世界を獲得し」、アイデンティティを回復したのですから。
 著者は、「クローディアの秘密」のような作品が児童文学の世界で目立つ動向(1970年代のことです)を、社会において「制度としての通過儀礼が消失し」、子どもたちの「成長を促進する外的装置が効力を失って以来、児童文学のそれに代わる機能が顕在化し始めた現象」と、読み解いています。
 そして、新聞やテレビから得られる同じような情報(家庭崩壊や家出など。現在で言えば「いじめ」「DV」「不登校」などもあげられるでしょう)に比べて、「物語」は起承転結や構造をもった完結した形(情報は断片的)で自ら体験でき、「受け手として情報に触れることと、主体的に作品を「読み始め、読み通し、読み終える」ことのちがい、自我関与の度合いと、それに要するエネルギーの差は、改めて指摘するまでもあるまい」としています。
 また、情報は、「多くの他の要因を切り捨てた形で送り出される」ので、「多義的な解釈の可能な現象が、特定のテーマの事件に変形されて、意識に与えられる」のに比して、物語は、「作品という一ケの「もの」であり」、「一義的な解釈を拒む実態としてそこに存在する」と述べています。
「物語」の力、特にリアリズム系の作品の「物語」の力が衰退した現在の日本の児童文学から見ると、著者の「物語」への信頼感は隔世の感があります。
 最後に、「送られてくるものが、常に意識の表層にのみ働きかけて意識下を肥やさないなら、私どもの人としての全体像は、極めていびつで、安定を欠いたものとならざるを得ない。「もの」によって送られる無意識の信号が、認識の「地」となり、人の心に休息の場を提供するとは、夙に指摘されているところである。物語を「読む」とは、意識を活性化させて文脈をたどり、メッセージを受けとめつつ、同時に、意識下に様々な自分なりのイメージを保存し、意識下を肥らせていく行為なのだ」とし、「これらが、人生の陰のありようを、情報として「知る」ということと、「物語」として「読む」ということののちがいではないか。「読む」ことにおいて、子どもたちは、一時的にかげりの中に入り、その世界に生きつつ、存在全体としてそこを通過する。彼らにとって、物語体験がイニシェーションとして位置づく所以を、ここに見ることが出来るのではないだろうか。」と結論付けています。
 この論文が書かれてから四十年以上がたち、子どもたちのまわりには、スマホなどを通して、当時とは比べ物にならないほど膨大なネット上の情報があふれています。
 しかし、それらの情報は、新聞やテレビと比較しても、さらに細切れで断片的になっています。
 また、情報自体も玉石混交(「石」の方が圧倒的に多いし、わざと作られた「嘘」や「罠」や「害」や「毒」もたくさん混ざっています)で、正しい情報を得るのは当時よりもかえって難しくなっています。
 こうした時に、「物語」は、子どもたちのイニシェーションとして、ますます必要になっていると思われます。
 しかし、他の記事にも繰り返し書いていますが、現在の子どもたちの「物語体験」の媒体は、本よりも、ゲーム、アニメ、マンガ、映画、ドラマなどになっています。
 これらによる「物語体験」が本のよるものと同じように、「意識を活性化させて」、「メッセージを受けとめつつ、同時に、意識下に様々な自分なりのイメージを保存し、意識下を肥らせていく行為」になっているかは、疑問に感じています。
 残念ながら、読書による文字という抽象度の高い媒体を通した「物語体験」と、ゲーム、アニメ、マンガ、映画、ドラマなどのより抽象度の低い媒体を通した「物語体験」による子どもたちの認識の違いについて研究した論文には、まだ出会っていませんが。
 そういった意味では、読書による「物語体験」は今でも重要だと思われますが、問題は「物語」の内容でしょう。
 著者は、「伝え」に関する論文(その記事を参照してください)において、現代児童文学(1970年ごろの作品が対象です)は、作者が「伝える」べき内容は十分にあるが、読者に「伝わる」方法(表現)が不十分だと分析していました。
 その後、児童文学の世界では、読者に「伝わる」方法(例えば、「子どもと文学」の「おもしろく、はっきりわかりやすく」など)への関心がすすみ、エンターテインメント作品を中心に進化してきました。
 その一方で、作者が「伝える」べき内容は、次第に貧弱なものになりつつあります。
 シリアスな内容を含んだ作品は、かつて(1960年代から1980年代まで)のようには売れないために、出版は敬遠されがちです。
 このままでは、読書のよる「物語体験」もまた、娯楽やストレス発散や気晴らしの手段(こういった分野では、ゲームやアニメには魅力の点で太刀打ちできません)になり、子どもたちのイニシェーションとしての機能はますます衰退していくことでしょう。

クローディアの秘密 (岩波少年文庫 (050))
クリエーター情報なし
岩波書店
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