現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

J.D.サリンジャー「イレイヌ」若者たち所収

2021-05-22 13:20:57 | 参考文献

 この短編集中では、最も評価がしにくい作品でしょう。
 主人公のイレイヌは、知的障害がある(八年制の小学校を九年半かかって卒業していますが、実際は小学校低学年程度の知性しかないようです)絶世の美少女(文中ではラプンツェル(グリム童話に出てくる長い金髪で有名な美女(ディスニーのアニメでお馴染みな人の方が多いことでしょう)と形容されています)です。
 イレイヌは知的障害があるだけでなく、無教養な(亡くなった夫の保険金で暮らせるので、働かずに毎日映画だけを見て暮らしている)母と祖母に育てられ、こういった子どもたちに無理解な小学校の校長たちによって適切な教育を受けることもできませんでした。
 彼女は小学校卒業後に、映画館の案内係の男にナンパされて婚約しますが、その結婚式の最中に両家の母親が映画スターのことで殴り合いのけんかをして、あっさり破局してしまいます。
 そうした不条理ともいえる世界を、終始外部に対して無感動な(例外的に彼女が感動するのはミッキーマウスの映画です)イレイヌを中心に描いています。
 こうした極端な設定とストーリーによって、サリンジャーは人間の内部にある本質的な愚かさを描き出しています。
 さらに、イレイヌをラプンツェル(グリム童話の初期形では、助け出しに来た王子と毎夜性交渉をして妊娠します)と例えたところに、作者が性的な意味を込めたと感じざるを得ません。
 この作品では、直接的な性的表現はありませんが、彼との初めてのデートで行ったビーチで、イレイヌが急に不安に襲われるシーンがあって、その後の彼との性的な関係を暗示しています。

 

サリンジャー選集(2) 若者たち〈短編集1〉
クリエーター情報なし
荒地出版社
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J.D.サリンジャー「当事者双方」若者たち所収

2021-05-22 13:18:16 | 作品論

 若い夫婦の破たんと絶望を描いています。
 妻は、ハイスクールを飛び級で15歳で卒業するほどの才女で、医者志望でした。
 夫は、ハイスクールのバスケットボールチームのスター選手でした。
 こうしたスポーツのヒーローは、当時のアメリカのハイスクールでは、日本では信じられないほど人気があり、女子生徒のあこがれの存在です。
 妻が17歳の時に20歳の夫と結婚し、二人には赤ちゃんがいます(おそらく妊娠したために、妻が大学への進学をあきらめて結婚したのでしょう)。
 このカップルは、地元ではあこがれのカップルとして知られていて、二人がダンスフロアに出ると、妻が大好きだった曲が自動的に演奏されるほどです(そのころのアメリカのこういう店には、生バンドが入っていました)。
 夫は、ハイスクール卒業後、地元の航空機メーカーに職工として勤め、今でも若い頃の暮らし(夜にきれいな女の子を連れまわして、友だちと酒を飲む)のままで、父親としての自覚はほとんどありません。
 そんな夫との暮らしに絶望し、妻は赤ちゃんと家出して実家へ戻ります。
 しかし、そこにも自分の居場所はもうないのだと悟った妻は、赤ちゃんのために絶望したまま夫の元へ戻ります。
 そんな妻を夫は全く理解できないのですが、妻は完全に心を閉ざしてしまっています。
 この作品を書いた時サリンジャーはまだ25歳でしたが、すでに周囲の同世代の男女を恐ろしく冷めた目で見ていたことがよくわかります。
 それは、彼の代表作である「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)につながるものがあります。
 また、若者言葉の一人称の文体や、夫が妻のいない家でやる一人芝居(映画カサブランカ(その記事を参照してください)での、ハンフリー・ボガードの酒場でのセリフのまね)なども、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」創作の下地になっていると思われます。

 

 

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J.D.サリンジャー「このサンドイッチ、マヨネーズがついていない」若者たち所収

2021-05-22 13:14:03 | 参考文献

 この作品も、作者が第二次世界大戦でフランスに駐留していた時代に書かれた作品です。
 題名とは全く無関係に、ダンスパーティーに参加するために、トラックの荷台で待っている自分も含めて34名の兵士のうち、定員が30名のために参加できない4名を選ばなければならないリーダーの軍曹の心の動きを、行方不明になったと連絡のあった弟を心配する気持ちに心を乱されている様子も含めて、克明に追っています。
 ストーリーらしいストーリーは、受け入れ役の中尉がどうしても帰りたがらない1名のために例外を設けてくれるぐらいで、読者にとっては題名との関係も含めて非常に読みづらいものになっています。
 ただ、主人公の軍曹の名字がコールフィールドで、弟がホールデン、妹がフィービときては、どうしても「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)との関連を考えざるを得ません(「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の主人公のホールデン・コールフィールドにもD・Bという歳の離れた兄がいます)。
 ストーリー的なつながりは特に見出されませんが、この三人の人間関係は全く同じように思えるので、この作品もまた「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の原型の一つと考えてもいいと思われます。

サリンジャー選集(2) 若者たち〈短編集1〉
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ユウとゴンタだけの秘密

2021-05-20 14:14:34 | 作品

 

 K電鉄の線路は、ユウのマンションの前にある踏み切りをすぎると、左へ大きくカーブしていた。カーブが終わる所には、幅百メートルぐらいの川があって、灰色に塗られたアーチ型の鉄橋がかかっている。
 ユウは、線路の両側を結ぶ鉄橋下の通路へ、よくでかけていった。夕方には、イヌと散歩をするお年寄りやジョギングの人たちが、その通路を使っている。
 でも、ユウが行く三時ごろには、そこを通る人はほとんどいなかった。
 ゴトン、……、ゴトン、……。
 遠くから、レールをたたく響きが伝わってきた。電車がやってきたのだ。
 ガガガ、ガーン。
 やがて、頭の真上を、電車が通り過ぎていく。耳がつぶれそうなすごい音だ。
「ワーッ!」
「キーッ!」
「ギャーッ!」
 ユウは、両耳を手でしっかり押さえて、思いっきり叫んでみる。
 電車が通り過ぎてから手を放すと、しばらくの間、頭がポワンとして変な気分になる。ユウは、それが大好きだった。

 ある日、ユウは、鉄橋下の通路に幅の狭い鉄製の階段がついていることに、気がついた。堤防にそって、鉄橋の上の方まで続いている。形は、スベリ台を登るはしごに似ていた。
 そこから、鉄橋の上へ登れそうだ。鉄橋の点検用なのかもしれない。
 階段のまわりは、高さ二メートルぐらいの鉄柵に、取り囲まれている。柵の中へ入る小さな扉にも鍵がかけられていて、『関係者以外立ち入り厳禁』と書かれた鉄製の注意板が取りつけてあった。
 しばらくの間、ユウは、あたりの様子をうかがっていた。
 だれも、やってきそうにもない。
 鉄柵に手をかけてみた。扉を足がかりにすれば、簡単に上れそうだ。
 次の瞬間、ユウはするすると鉄柵を乗り越えてしまっていた。
 階段を途中まで登ったとき、ユウはちょっとヒヤリとした。堤防がそこで終わっていて、右下に川が丸見えだったからだ。水面までは、五メートル以上の高さがある。川の両側には河原がぜんぜんなく、堤防ぎりぎりまで水がきている。
 ユウは手すりをしっかりと握り直すと、また登り始めた。鉄製の階段は、足元でダンダンと大きく響いている。
 とうとうユウは、階段のてっぺん、鉄橋の上へ出られた。
 そこは、畳二畳ぐらいの狭い場所で、西側の半分は、バルコニーのように川へ張り出している。
 残りの半分は、鉄橋のアーチの根元の部分だ。
 アーチをつくっている鉄の柱は空洞になっていて、バルコニーから中に入れる。ユウが上をのぞいてみると、あちこちの隙間から、少しずつ日の光がもれていた。
 柱の中から出てきたユウは、「バルコニー」の上から珍しそうにまわりを眺め始めた。
 鉄橋の下を流れているS川は、ずっと昔は水が汚いことで全国的に有名だった。
 でも、今ではすっかりきれいになっている。くさいにおいもほとんどなかった。
 川のこちら側は、住宅やユウが住んでいるようなマンションが建ち並んでいる。
 向こう岸には、鉄筋の校舎や体育館が見えた。中学校みたいだ。
 それに、低い建物がいくつも続いている場所もある。確か、前に学校の社会見学で行った浄水場だと思う。
 タンタンタンタンタン、……。
 遠くから、小さな振動が伝わってきた。それが、だんだん大きくなってくる。
(あっ!)
 鉄橋の向こう側に、電車が現れた。
 ユウは、運転士に見つからないように、あわてて柱の中に飛び込んだ。
 ゴゴーン、ゴゴーン、……。
 電車はものすごい音をたてながら、ユウのすぐそば、おそらく一、二メートルしか離れていない所を通り過ぎていった。
 電車の音が完全に聞こえなくなるまで、ユウは柱の中でじっとしていた。

 それからというもの、ほとんど毎日のように、ユウはこの「秘密の場所」へ遊びに来るようになった。
 「バルコニー」には西日がよくあたっていて暖かいし、風も気持ちがいい。それに、なんといっても、眺めが抜群なのだ。
 柱の中はちょっと狭かったけれど、逆にそこに隠れてしまえば、ユウの姿は外から完全に見えなくなった。
 ユウは、電車が来るたびに、見つからないように柱の中へ入り、安心できる時だけ「バルコニー」に出るようにしていた。このことも、まるでかくれんぼでもしているみたいで、気にいっていた。
 ユウは、柱の中にたまっていた枯れ葉やごみを、すっかりきれいに片づけた。鉄板の上に直接腰を下ろすとひんやりするので、小さなビニールの座布団を持ち込んでいる。
 ユウは、「秘密の場所」でおやつを食べたり、マンガを読んだりすることもあった。
 でも、たいていは、まわりの景色やたまに下の川を通っていく船などを、ただぼんやりと眺めているだけだった。
 「バルコニー」から水面までは、十メートル近くの高さがある。風が強く吹いてガタガタ揺れると、さすがにちょっと怖かった。それに、時々、すぐそばをすごい音をたてながら電車が通るから、普通の人だったらとても長くはいられなかっただろう。
 でも、ユウは、狭い柱の中で電車が通り過ぎるのを待つことも、まったく苦にならなかった。

 ユウが狭い所を平気なのは、小さなころからずっと住んでいた公団住宅のせいかもしれない。
 ユウは、去年の十月に今のマンションに引越してくるまでは、郊外の団地で暮らしていた。家族は、両親と三つ年上のにいさんと四人だった。
団地の家には、台所などを除くと、六畳間が二部屋あった。ひとつは、居間兼両親の寝室だ。もうひと部屋が、ユウたちの勉強部屋兼寝室になっている。
 でも、ユウたちの部屋には、かあさんのタンスやとうさんの本棚などが、ところ狭しと置かれている。だから、勉強机は、にいさんの分しか置けなかったのだ。
 でも、そんなことは、ユウにはちっとも気にならなかった。宿題をやったり、本を読んだりするのは、夏は食堂のテーブルでできる。冬の間は、とうさんたちの部屋にこたつがあった。
 ユウのうちでは、かあさんもフルタイムで働いている。だから、夕ごはんはいつも八時近くになっていた。それまでに、どこかで宿題をやっておけば、ぜんぜん支障がない。
 問題は、夜寝る所だ。布団を敷くスペースも、にいさんの分しかなかった。それで、ユウは、いつも押し入れの上の段で寝ていたのだ。
 でも、ユウは、その押し入れベッドが大好きだった。
 九時近くになると、にいさんの布団をさっさと外に出して、自分の寝床を整え始める。そして、マンガや大好きな動物図鑑を何冊もかかえて、押し入れベッドにもぐりこむのだ。
 ほんとうに眠るまでは、押し入れの戸は少し開けておいた。
 でも、中学受験に備えて夜遅くまで勉強するようになったにいさんが、イヤホンの音楽に合わせて歌う下手な鼻歌がうるさかったりする時は、早めに戸を閉めてしまう。押し入れの中に、とうさんが外から延長コードを引っ張って小さなLEDライトをつけてくれていたので、閉め切っても大丈夫だった。
 ユウは布団にもぐりこんだまま、動物図鑑の大好きなピューマやハイイログマ、そしてペッカリーなどのページを、ぼんやり眺めたりしていた。
 押し入れの裏はトイレなので、水を流すたびにすごい音が響いてくる。
 でも、ユウは、それも少しも気にせずに、ぐっすりと眠ることができた。

 今のマンションの抽選に当たった時の、とうさんとかあさんの喜びようを、ユウははっきりと覚えている。
 その日は、珍しくとうさんも早く帰ってきていた。
「じゃあ、おとうさんから発表してください」
 かあさんは、嬉しそうにとうさんにビールをつぎながらいった。ユウたちのコップにも、ジュースがつがれている。
 テーブルの上は、すごいごちそうばかりが並んでいた。お寿司、ピザ、ローストビーフ、エビフライにフライドチキン。狭いテーブルには、置ききれないくらいだ。
「うん」
 とうさんは、こちら向きにマンションのパンフレットを広げて見せた。二十階だての大きなマンションだ。その八〇七号室に、赤いマジックで印が付けてある。
「今日の抽選で、この部屋に当たったんだ」
 とうさんは、いつもと同じように落ち着いた声で話し出した。
「すげーえ。3LDKだ」
 にいさんが叫んだ。
「3LDKって?」
 ユウがたずねると、
「Lはリビング、居間のことね。DKはダイニングキッチンで、台所と食堂のことよ。それ以外に三つもお部屋があるのよ」
 かあさんが、他のページに載っていた間取りを指差しながら、説明してくれた。
「ふーん」
 ユウには、まだこの新しい家のことがピンとこなかった。
「じゃあ、かんぱいしましょうか?」
 かあさんが、とうさんをうながした。
「そうだね。それでは、新しい我が家に、かんぱーい」
「かんぱーい」
 とうさんの「かんぱい」の声は、さっきより少しだけかん高くなっていた。

 ユウ以外の家族は、新しい広いマンションに移って、大喜びだった。今度の家では、にいさんとユウは、それぞれひと部屋ずつが与えられている。
 にいさんの部屋は洋室で、そこに勉強机と新しく買ってもらったベッドを置いている。にいさんは、念願の個室に満足していた。
 ユウの部屋は、このマンションで唯一の和室だった。
 本来は、客間か寝室用の部屋なのだろう。押入れも付いた純和風の部屋だ。
その部屋で、ユウは畳に布団を敷いて寝ることになった。
部屋には、買いたてのユウ専用の勉強机が置いてある。それは、ユウも使い易くて気にいっていた。
 でも、寝る時になるとは、ユウはせっかくの自分の部屋になじめないでいた。
 初めての晩、ユウは、真新しい畳の自分だけの部屋で、なかなか寝付けなかった。天井が高くて、とても気になるのだ。
 とうとうユウは、布団を押し入れまで引っ張っていって、中に敷いて寝ることにした。
翌朝、かあさんは、押し入れベッドでぐっすり寝ているユウを発見した。
「ごめんね。ずっと、変な所にばかり、寝かしていたから」
 かあさんは泣き笑いしながら、ユウにあやまっていた。
 その後も、ユウは、何回か、「押し入れベッド」の中で寝てみた。
 もちろん、かあさんに気づかれないように、朝には布団を元に戻しておいていた。また、かあさんを悲しませたくなかったからだ。
 残念ながら、ユウは、新しいマンションの「押し入れベッド」は、ぜんぜん気にいらなかった。変な所にでっぱりがあって、寝がえりをうつと足がぶつかるのだ。きっと、中を鉄骨か何かが通っているのだろう。
 それに、蛍光灯もなかった。これでは、好きな動物図鑑を、寝ながら読むこともできやしない。
 ユウは、マンションの「押し入れベッド」を、次第に使わないようになっていった。

 その日も、ユウは、「秘密の場所」で、いつものようにぼんやりと空をながめたり、下の通路を歩いている人たちを、気づかれないように見おろしたりしていた。
「ミャーオ」
 いきなり足もとで鳴き声がしたので、ユウはもう少しで飛び上がってしまうところだった。いつのまにか、よく太ったネコが、ユウのそばにしのびよっていたのだ。あの高い階段をどうやって登ったのか、ユウはすっかり驚かされてしまった。
「なんだ、お前?」
 ユウは、少し後ずさりをしながらいった。
「ミャーオ」
 ネコは、ユウを見上げてもう一度鳴いた。どうやら、ユウが手にもっていたビスケットが欲しいようだ。
 一枚あげると、柱の中へくわえていって食べ始めた。
 そのネコは、こげ茶に緑色がまじったようなへんな毛の色をしていた。ころころと、ボールのように太っている。

 その後も、ユウは「秘密の場所」で、なんども同じネコにであった。どうやらネコのほうでも、この変な場所が気にいっているらしい。
 ユウより先にきていることもあれば、後からやってくることもある。ネコは、いつもそっとあらわれるので、そのたびにユウはびっくりさせられてしまった。
 何回か顔をあわせるうちに、ユウは、このネコに「ゴンタザエモン」という名前をつけていた。
 どことなく昔のさむらいみたいに、どうどうとしたところがあったからだ。
 でも、「ゴンタザエモン」ではいいにくいので、ふだんは「ゴンタ」とよぶことにした。

 ゴンタと出会ってから、二週間ほどしたころだった。ユウは、いつものように、「秘密の場所」へやってきていた。
 途中からゴンタもきて、当然のような顔でユウからビスケットを受け取ると、少し離れたところで食べ始めた。
 ユウとゴンタは、それ以上はおたがいにかまわずに、それぞれ「秘密の場所」を楽しんでいた。
 もう五月もなかばをすぎて少し暑いくらいだったけれど、「秘密の場所」にはすずしい風がふいていてとても気もちがよかった。
 今日は、下の川をなかなか船が通らなかった。対岸の浄水場の水門のあたりには、白い洗剤のあわのようなものがうかんでいる。
 ユウは、風にあおられてまいあがったり、水に少し流され始めたあわのかたまりを、ぼんやりとながめていた。
 例によってごう音をたてながら、電車が鉄橋をわたってきた。
 あわに気をとられていたせいか、ユウが柱の中にかくれるのが、いつもより少しおくれてしまった。
 ファーーン。
 「秘密の場所」のそばまでやってきたとき、電車はいきなり警笛を大きくならしていった。
 ユウはびっくりして、柱の中で体を小さくしていた。

 それから、十分ほどしてからだった。黄色いライトバンが、線路ぞいの道路をすごいスピードでこちらへむかってはしってきた。
 車は、行き止まりになっている堤防の手前で、急停車した。中からは、ヘルメットをかぶって作業服をきた人とK電鉄の制服すがたの人が、二人ずつとびだしてきた。
 ユウは見つからないように、あわてて柱の中にかくれた。
 下の方で、とびらのかぎをあけるガチャガチャという音がしている。階段をのぼってくるようだ。ひそひそと、話し声も聞こえてくる。
「こわがらせるな」
「川に落ちたらたいへんだ」
 やがて、白いヘルメットをかぶったおじさんが、階段の所から、顔を出してきた。ユウを見て、にっこりわらっている。
「ぼうや、こわくないからね。こっちへおいで」
 ゆっくりと手まねきしている。
 ユウは柱の中にすわったまま、じっとしていた。ゴンタも、すぐそばにくっついている。
「じゃあ、じっとしててね」
 ヘルメットのおじさんは、「バルコニー」に上がると、こちらへ近づいてきた。他の三人も、階段から顔をのぞかせてきた。
 ユウの腕をつかんだとき、ヘルメットのおじさんは今までの笑顔をパッとやめて、急にこわい顔をしてどなった。
「なにやってんだ。このガキ!」
 ユウは、二人のおじさんに両わきからかかえあげられるようにして、下へおろされてしまった。
 でも、おじさんたちは、ユウと一緒にいたゴンタには、ぜんぜん目もくれなかった。

 ユウは黄色いライトバンで、駅の事務所へつれていかれた。
 駅の事務所のいすにすわらせられたユウのまわりで、制服や作業服をきたおじさんたちが大きな声でどなっている。
「まったくあぶないったら、しょうがない」
「ほんとうに最近のガキどもは、何を考えているのかわからないな」
「やっぱり、親のしつけの問題だよ」
「さっきから家に電話しても、ぜんぜんでない。ガキなんか、ほったらかしなんだよ」
「やっぱりなあ」
 ユウは、おじさんたちのあいだで、ぼんやりしながらすわっていた。
 そして、
(なんでこんなにおこっているのかなあ)
と、思ったりしていた。
 
夕方になって、やっとかあさんが迎えにきてくれた。
「どうもご迷惑をおかけしまして、……」
 泣きながら、おじさんたちになんども頭をさげているかあさんを見たとき、
(やっぱりちょっと悪いことをしたのかな)
と、ユウは思った。

 「事件」があってから、二週間がたった。
 ユウは学校から帰ると、友だちの家へいったり、にいさんと遊んだりしている。とうさんとかあさんに、二度とあそこへは行かないと、約束させられたからだ。
 でも、だんだんあの「秘密(もう秘密じゃないかもしれないけど)の場所」へ、行きたくなってきた。
ともだちと遊んでいても、
(今日はお天気だから、「バルコニー」はすごく気もちがいいだろうな)
などと、ふと考えてしまう。
 とうとうある日、ユウは、また鉄橋の下まで来てしまった。
 鉄さくには、いままでの注意書きの他に、
『危険、絶対に中へ入るな』
と、書かれた手書きの板までかけてあった。へたくそなドクロマークまでついている。
 鉄さくのてっぺんには有刺鉄線がまいてあって、よじのぼれないようにしてある。
 でも、そんなことをしても、まったくむだなのだ。
 だって、やせっぽちのユウは、鉄さくのあいだをすりぬけられるんだから。
 鉄さくは、四すみの部分だけ、すきまが少し大きくなっていることに、ユウはとっくに気づいていた。そこだと、ユウの頭は、ぎりぎり通るのだ。頭さえぬけてしまえば、あとはこっちのものだ。ユウはあっさりと鉄さくの中に入っていた。

 ユウが「バルコニー」までのぼっていくと、もう先にゴンタがきていた。ゴンタも、もちろんすりぬけ組だ。
 でも、二週間見ないうちにますます太っていたから、鉄さくをとおりぬけるのは少しきびしかったかもしれない。
 ゴンタは、いつのまにか柱の中にボロきれをくわえてきていて、その上にすわっていた。
「やあ、ゴンタ」
 ユウはそう声をかけると、ポケットに入れてきたにぼしを、ゴンタの前においてやった。
 ゴンタは、しばらくわざと興味なさそうな顔をしていたが、やがてにぼしを食べ始めた。
 ユウは、いつものようにひざをかかえて、ぼんやりと空をながめはじめた。
 こうして、ユウとゴンタだけの「秘密の場所」は、みごとに復活したのだった。
 ユウは、また毎日のように、「秘密の場所」へくるようになった。
 でも、前よりも、いちだんと用心ぶかくなっている。めったに「バルコニー」のほうへはいかずに、柱の中にいることが多くなった。そこで、マンガや動物図鑑を読んでいる。ユウは狭い場所が大好きだから、そんな場所でも全然平気だった
 たまにからだをのばしに「バルコニー」へ出るときも、絶対みつからないように短い時間だけにしている。
 ゴンタも太りすぎのせいか、動くのがおっくうなようで、ボロきれの上にじっとしていることが多かった。
 ユウは、ナップザックの中に、「秘密の場所三点セット」とよんでいる水とう、ビニールざぶとん、そして、あの愛用の動物図鑑を入れて、通うようになっていた。

 ある日、ユウが「秘密の場所」への階段を上っていくと、上からゴンタが顔を出した。
「やあ、ゴンタ」
 ユウがいつものように声をかけたのに、ゴンタのようすがなんだか変だ。
「フーッ」
と、うなりながら、顔のまわりの毛を逆立てている。
「フギャーッ!」
 ユウがかまわずに「バルコニー」に上がっていくと、いきなりほっぺたにつめをたてられた。
「いてーっ!」
 ユウは、あわててうしろへとびのいた。傷口に手をやると、ちょっぴり血がついた。ひっかかれた所があつくなって、みるみるみみずばれになっていくようだ。
 ゴンタは、まだ飛びかかってきそうだった。
「なんだよーっ」
 ユウは、ゴンタを大声でどなりつけてやった。
 しばらくの間、二人は「バルコニー」の上で、互いににらみあっていた。
 ふと気がつくと、ゴンタのうしろのボロきれの上に、なにかモゴモゴと動いているものがある。
「ミュー、ミュー」
 かすかに鳴き声もきこえた。
 子ネコだ。
「そうか、ゴンタ。お前、メスだったのかあ」
 ユウは、あらためてゴンタのようすをながめた。
 昨日まであんなにまるまるしていたのに、今ではすっかりしぼんでしまって、毛並みも薄汚れているようにさえ見える。きっと子ネコを産んだばかりで、疲れ切っているのだろう。
 ユウは持ってきたビスケットを、「バルコニー」のすみにそっと置いた。そして、静かに階段を下りていった。今日は、これ以上ゴンタを興奮させないほうがいいと思ったからだ。

 翌日から、朝夕二回、ユウの宅配便がはじまった。ユウは小魚やビスケットなどを、ゴンタに差し入れてやることに決めていた。子ネコがいたのでは、エサをとりにいかれないだろうと思ったからだ。
 ゴンタは、そんなユウに少し気を許すようになったのか、しばらく子ネコをながめていても、あまりおこらなくなった。
「まったく、もう。ゴンタのやつ、もっと家のある所で産めばいいのに」
 ユウは、狭苦しい柱の中で、子ネコたちと一緒にいるゴンタをながめながらつぶやいた。
 でも、つぎの瞬間、ユウはハッとした。
(そうだ。家の近くで産んだりしたら、きっと人間に子ネコたちを連れていかれちゃうんだ)
 ゴンタは、本能的にそれを察して、ここで子ネコを産むことに決めたのかもしれない。
 ユウは、感心したようにゴンタをあらためてながめた。
 ゴンタは、横になって子ネコたちに乳をすわせている。すっかりやせてしまって、ひとまわりも小さくみえた。
 でも、ユウには、目を細めて子ネコたちがすいやすい姿勢を懸命に保っているゴンタが、前のでっぷり太っていたときよりも、むしろ立派にさえ思えた。
 ゴンタの子ネコは、ぜんぶで五ひきいた。はじめは、ネズミかなにかのように、はだかでブルブルふるえているだけだった。
 でも、しだいに毛もはえて、ネコらしくなってきていた。
 白黒のブチが二匹、うす茶が二匹、それにゴンタに似た毛なみのも一匹いる。ようやく目はあいたようだが、まだ足もとがおぼつかない。しばらくは、ここにいなければならないだろう。
 ユウは、子ネコたちにも、名前な前をつけてみた。
 ケンタザエモン、コウタザエモン、ショウタザエモン、リョウタザエモン、そして、いちばんおきにいりのゴンタに似たこげ茶の子ネコには、じぶんの名前をとってユウタザエモンにした。そして、ふだんは、ゴンタと同じように、ちぢめてユウタとかケンタとよんでいる。
 子ネコたちに乳をすわれてはらがすくのか、ゴンタはすごい食欲だった。
 ユウはますますはりきって、毎日、エサを運んでいた。
 きっとかあさんは、ビスケットや小魚がすごく早くなくなるのが、不思議だったにちがいない。
 ユウはゴンタたちをながめるのを、せいぜい五分か十分ぐらいまでにしていた。ゴンタが、まだ少し緊張しているのがわかったからだ。
 こうして、せっかくの「秘密の場所」をゴンタと子ネコたちにすっかりとられてしまうことになったが、ユウはぜんぜんはらがたたなかった。

 その朝も、ユウは、「秘密の場所」へ、ゴンタのエサを運んでいった。今日のメニューは、チーズとさかなのソーセージだ。
「フギャーッ!」
 「バルコニー」あたりで、ゴンタがすごい声で鳴いていた。
 バサッ、バサッ。
 変な音も聞こえてくる。
 ユウは、急いで階段をかけあがっていった。
 ユウが「バルコニー」についたとき、ちょうどゴンタが、でっかいカラスにとびかかっていくところだった。
 カラスはゴンタの攻撃を軽くかわすと、少し離れた鉄橋の上へ移動した。すきをついて子ネコをさらおうと、まだねらっている。
「だめーっ!」
 ユウは、思わず大きな声を出していた。
 カラスは、ゴンタからユウの方にむきなおった。興奮して目が血ばしっている。
 ユウは、ドキンとしてしまった。
 でも、
「やるかーっ」
と、けんめいに叫んで、カラスにむかって両腕を振り回した。
 ゴンタも唸り声をあげて、身構えている。
 カラスはしばらくこちらをにらみつづけていたが、やがてからだのむきを変えると上流の方へ飛んでいった。
 ユウはホッとして、「バルコニー」の上にすわりこんでしまった。
 ゴンタは、子ネコたちのそばへ急いで戻っていく。そして、ミャーミャー鳴いている子ネコたちを、順番になめはじめた。

 カラスの一件があってから、一週間ほどしたころだった。学校へいく前に、ユウは「秘密の場所」へ寄っていった。
 いつもの朝の宅配便だ。
「ゴンタ、元気か?」
「………」
 いない。ゴンタも子ネコたちも、いなくなっている。
 最近は、子ネコたちも、ミューミュー鳴きながらユウのそばへやってくるようになっていたのに、今日の「秘密の場所」は、すっかりガランとしていた。子ネコたちがくるまっていたボロきれだけが、柱の中にポツンと残されていた。
 ユウはあわてて階段をかけおりると、あたりをさがしはじめた。
「ゴンターっ」
 大声で呼んでみる。
 でも、やっぱりいない。
(K電鉄の人たちにみつかって、どこかへ連れていかれちゃったのかなあ?)
 でも、そうならば、ボロきれも一緒にかたづけていくはずだ。
(そうか。子ネコたちが歩けるようになったので、自分で出ていったのかもしれない)
 そう考えると、ユウはようやく少しだけ安心することができた。
 たしかに、ここのところ、子ネコたちはかなりしっかりしてきていた。ビスケットなども、直接、ユウの手のひらから、食べられるようになっていた。

 その日の放課後、ユウはまた「秘密の場所」へ行ってみた。
 でも、やっぱりゴンタたちはいなかった。
 ユウは、すぐに階段を下り始めた。
 本当なら、久しぶりに、「秘密の場所」でぼんやりしていてもよかったのだ。
 でも、なぜかそうする気になれなかった。
 ユウは鉄橋下の通路から、もう一度「秘密の場所」を振り返ってみた。いつもこっそりと外をのぞいていた「バルコニー」が見える。
 ユウには、不思議にそこがもう懐かしい場所になってしまったような気がしていた。

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頭上の敵機

2021-05-19 09:17:59 | 映画

 1949年のアメリカ映画です。

 実話に基づいた戦争映画の傑作です。

 人情派の司令官の元で戦果が上がらなかったアメリカ軍の爆撃機の連隊に、新しい連隊長が赴任します。

 彼は、非情と思えるほどの厳しい姿勢で、連隊のメンバーを鍛え直します。

 隊員たちは反発しますが、連隊長は公私の区別なく厳しい態度でのぞみます。

 連隊は徐々に成果が上がっていくのですが、そのために連隊長ははかりしれないほどのストレスを受けてしまいます。

 ドイツへの直接の爆撃が始まり、非常に困難な爆撃の当日、とうとう連隊長は心身に以上をきたし、一緒に出撃できなくなります。

 爆撃を成功させ、連隊の爆撃機が21機中19機も帰還できた時、連隊長はようやく安心して眠りにつけます。

 戦争に限らず、困難な状況におけるリーダーシップのあり方について考えさせてくれる作品です。

 若者たちをどうしたら一人前に成長させることができるかについて、たくさんの示唆に富んでいます。

 もちろん、現代の若者たちとは気質も考え方も大きく異なりますが、部下との距離の取り方などでは、今のマネージメントにおいても参考になる点があるのではないでしょうか。

 映画の大半は基地内でのシーンですが、空中戦などのシーンでは、実際のアメリカ軍やドイツ軍が撮影した映像が使われていて、リアリティを高めています。

 

 

 

 

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アクアマン

2021-05-18 15:32:56 | 映画

 いまはやりのアメコミのスーパーヒーロー物です。
 海底に沈んだアトランティスの王女と人間の男性との間に生まれたアクアマンが、超人的な活躍を見せます(もともと超人なので当たり前ですが)。
 ストーリー自体は、王国の血統だの、男女や親子の愛情だのに、欧米では根強い人気のあるアーサー王伝説(主人公の名前もアーサーです)をからませた他愛のないものですが、活躍する舞台がすでに他の映画で見慣れた地上や宇宙ではなく、海中や海底なのが目新しい点でしょう。
 海底の様子や海の生物たちをうまく生かしたCGはなかなか良くできていて、一見の価値はあります。
 主人公も頭の悪そうな筋肉ムキムキ男なので、昔のアーノルド・シュワルツネッカーやシルベスター・スタローンを主役にしたアクション映画(コナンやターミネーターやロッキーやランボーなど)のようで、観客には親しみが持てます。

 

 

 

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ゴジラ キング・オブ・モンスターズ

2021-05-17 17:24:01 | 映画

 2019年に日米同時公開された怪獣映画です。
 一言で言えば、薄っぺらい人間ドラマとインチキ臭い科学的説明と最新CGで作られた東宝怪獣オールスターズ(ゴジラ、モスラ、ラドン、キングギドラ)が、大暴れする映画です。
 怪獣大好きな男の子たち(私もそうですし、きっとこの映画の監督もそうでしょう)が、幼いころにやった怪獣ごっこを、すごくお金をかけて再現してくれているので、大満足でした(後で説明しますが、こうした映画には、薄っぺらい人間ドラマとインチキ臭い科学的説明は必要なのです)。
 全編、東宝の怪獣映画(特に初期の映画である「ゴジラ(1954年)」、「空の大怪獣ラドン(1956年)」、「モスラ(1961年)」)へのオマージュに溢れています(私はゴジラと同い年なので、これらの映画をリアルタイムでは見ていませんが、私が子どものころは夏休みには「怪獣映画大会」などと称して古い映画も上映されていたので、小学生のころに見ています。私が、初めて封切り映画を見たのは「キングコング対ゴジラ」(1962年)で、北千住にあった千住東宝というトイレの臭いがただよってくる場末の小さな映画館に、今は亡き父親に連れていってもらいました。恐いシーン(この映画ではキングコングが善い役でゴジラが悪役だったので、キングコングがピンチのシーン)の時に、顔をそむけていた私の目を父が手で覆ってくれたのを今でも懐かしく覚えています)。
 主役のゴジラについては、強さや破壊力(お約束通りに放射能の光線を放つのですが、今日日こんなことをやっていいのかと心配になります)だけでなく、天敵の芹沢大助博士(平田昭彦が演じ、戦争で右眼を失ったという設定で眼帯をしているのがかっこ良かったです)発明のオキシジェン・デストロイヤー(水中酸素破壊装置)で一度はお約束通りに死亡します。
 モスラに関しては、監督の一番のお気に入りらしく、卵、幼虫、さなぎ、成虫と、きちんとステップを踏んで登場しますし、特に根拠は示されずに(怪獣ファンなら誰でも知っているので説明するまでもないのですが)、最初から正義の味方として描かれています。
 ラドンに関しては、オリジナル通りに火山(オリジナルは阿蘇山)から登場して、一番の見せ場であるジェット戦闘機に追いつくシーンやラドンが飛び過ぎた後(ラドンの空飛ぶスピードは、軽く音速を超えています)の衝撃波で街なみを破壊するシーンもきちんと登場します。
 敵役のキングギドラの圧倒的な強さや迫力はCGならではの魅力が満載(オリジナルでは、大勢のスタッフで演じなければなりませんでした)ですが、初登場の「三大怪獣 地球最大の決戦」(1964年)では、ゴジラ、モスラ、ラドンの連合軍と戦わされたのですが、この映画ではアメリカ人好みのフェアを大事にしたのか、ラドンが味方してくれます。
 また、怪獣の突然の登場に、後ろを振り返りながら逃げ惑う群衆というお馴染みのシーンも、CGだけに頼らずに忠実に再現されています(大量のエキストラを動員する予算の関係か、アメリカではなく、外国でのシーンでしたが)。
 主役のアメリカ人一家も、渡辺謙が演じる日本人博士も、それぞれの国の昔のメンタリティ(自己犠牲の精神で自爆してゴジラを復活させる日本人、やたらとヒロイックなアメリカ人)も、忠実に描かれていてけっこう笑えます。
 ここで、前述した薄っぺらい人間ドラマとインチキ臭い科学的説明がなぜ怪獣映画で必要かを説明しますと、前者は早くこんなシーンは終わって怪獣同士の戦いが始まらないかなあと観客の気持ちを高める効果がありますし、後者はできるだけたくさんの怪獣同士の戦い(一度死んだはずのゴジラを復活させたり、世界中に散らばって遠く離れていた怪獣たちを素早く集めて戦わせたりしなければなりません)を効率よく実現するのに有効だからです。
 ストーリー以外で私が気が付いた、怪獣映画へのオマージュを以下に列挙します。
1.日本を代表する作曲家である伊福部昭が作曲した名曲「ゴジラのテーマ」が、いろいろな形にアレンジされて、全編に流れています。
2.有名な「モスラの歌」がアレンジされて、エンドロールで流れていました(どうせなら、小美人(ザ・ピーナッツ)が歌うオリジナルの「モスラの歌」(これはきちんとインドネシア語でモスラをたたえる歌詞になっているそうです)を流して欲しかったですが)。
3.渡辺謙が演じる芹沢猪四郎博士の名前は、もちろんオリジナルの「ゴジラ」に登場する芹沢大助博士と映画の監督をした本多猪四郎監督の合成です(ちなみに芹沢大助の父親の芹沢英二は、特撮監督の円谷英二との合成であることは言うまでもありません)。
4.エンドロールで、ともに2017年に亡くなった「ゴジラ」や「モスラ」のスーツアクターたちに謝辞を述べています。
5.チャン・ツィイーの演じる女性博士は、同じ研究機関に勤めていた祖母、母も双子という設定で、明らかに小美人を意識しています。
 おそらく、私が気付かなかっただけで、他にもたくさん散りばめてあることでしょう。









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タクシー運転手 約束は海を越えて

2021-05-13 14:50:12 | ツイッター

 2017年の韓国映画です。

 実話に基づく作品だそうですが、かなり娯楽色を強めて作られているので、どこまで真実に近いのかわかりません。

 1980年に起きた光州で起きた軍事政権と革新精力との衝突、いわゆる光州事件を舞台にしています。

 ソウルからドイツ人記者を乗せて光州へ行ったタクシー運転手が、自らも事件に巻き込まれていく姿を描いています。

 この映画が成功したのは、お金目当てで光州へ行った運転手の目を通して、ユーモラスな部分とシリアスな部分を混在させて、一種のエンターテインメント作品に仕上げたことでしょう。

 作品の立場は、完全に革新勢力側に立っていて、軍事政権側の一方的な弾圧や虐殺だとしています。

 封切当時、韓国では大ヒットしたそうですが、それはその時の政権が革新側であったことと無縁ではないでしょう。

 途中まではかなり主人公に寄り添った形で見られたのですが、主人公たちを助ける光州のタクシー運転手たちがあまりにもヒロイックに描かれていることと、主人公たちを追ってきた軍人たちがあまりにも無能なので、最後の方ではしらけてしまいました。

 なお、邦題についている副題は、オリジナルにはなく、また内容にもあっていなくて、意味不明です。

 

 

 

 

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蜜蜂と遠雷

2021-05-12 16:48:49 | 映画

 

 

 恩田陸の二段組500ページ以上の長編(その記事を参照してください)を二時間弱の映画にどうまとめるのか、興味津々で観ました。
 私の浅薄な予想を裏切って、人間ドラマはできるだけシンプルにして、演奏シーンに十分に(それでも原作に登場する膨大な楽曲のほんの一部ですが)時間を割いていたので、音楽ファン(というよりはオーディオマニアかもしれませんが)としては、最近の映画館の非常に優れた音響で、才能ある若手ピアニストたちの演奏を、これまた才能のある若手俳優たちの演技付きで堪能できました。
 原作を読んだときと同様に、手持ちのクラシック音楽(特にピアノ曲)の音源をまとめて聴きたくなりましたし、映画館で聴いたせいで現在の自室の貧弱な音響設備を何十年かぶりで昔のように最新のものに更新したくなりました。
 そういった意味では、この映画はクラシック音楽やオーディオの楽しみを発見(再発見)させてくれるものなのかもしれません。
 ただ、人間ドラマをシンプルにしたために、原作を読んでいない観客には、ストーリーや人間関係がわかりにくかったでしょう。
 そのため、興行的にはやや苦戦するかもしれません。

 

 

 

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女の都

2021-05-11 10:27:26 | 映画

 1980年公開のイタリア・フランス合作映画です。

 フェデリコ・フェリーニ監督らしい、めくるめく官能的な映像が展開されます。

 お馴染みのマルチェロ・マストロヤンニ扮する中年男が、列車で知り合った官能的な女性に導かれるように途中下車して、女性優位の世界「女の都」に迷い込みます。

 フェミニストの集会、女性の暴走グループ、官能の館、別れた妻との再会、幼い頃からの女性に関する思い出の世界などをさ迷います。

 それを通して、男性優位の社会、セックス、フェミニズムなどのあらゆるものを風刺しています。

 フェリーニの他の映画にも出てきますが、彼は胸やお尻が豊満な女性が好みのようです(実生活の妻であるジュリエッタ・マシーナは痩せ型の小柄な女性なのですが)。

 

 

 

 

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甘い生活

2021-05-11 10:24:38 | 映画

 1960年公開のイタリア・フランス合作映画です。
 巨匠フェデリコ・フェリーニ監督が、マルチェロ・マストロヤンニの演じるゴシップ記者の目を通して、ローマの、特に上流階級の退廃した生活を描いています。
 1950年代のフェリーに作品と違って、社会批判や風刺の力は弱くなっていて、フェリーニ好みの絢爛たる映像美が目を引きます。
 この変化の象徴として、かつては私生活でもパートナーのジュリエッタ・マシーナのような決して美人でない演技派の女優が主人公だったのに対して、この映画にはたくさんの美人女優が出演しています。
 中でも、アニタ・エグバーグ演ずるアメリカ女優は群を抜いてゴージャスで、彼女とマストロヤンニが、あのトレヴィの泉で戯れるシーンは有名です。
 ちなみに、有名人を追い掛け回すゴシップカメラマンのことをパパラッチと呼ぶようになったのは、この映画で同様の仕事をしている男の役名パパラッツィオからきていると言われています。
 

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古田足日「児童文学研究の課題と方法 ー 「子どもと文学」を中心に」児童文学の旗所収

2021-05-10 09:29:12 | 参考文献

 「日本文学」1967年5月号に掲載された評論です。
 副題の通りに、石井桃子たちの「子どもと文学」(その記事を参照してください)やその影響を受けたと思われる「少年文学宣言」(その記事を参照してください)派の盟友の鳥越信の意見を、評価しつつもその課題を批判しています。
 「少年文学宣言」(1953年)のころと違って、現在の評論が「作品の後追いになっている」ことを批判して、創作をリードするような児童文学理論の構築の必要性を主張しています。
 現在では想像できないことですが、「現代児童文学」(定義などは関連する記事を参照してください)は、作品よりも評論の方が先行していたのです。
 このことが、私が、「現代児童文学」のはじまりを、一般的に言われている1959年(佐藤さとる「だれも知らない小さな国」といぬいとみこ「木かげの家に小人たち」が出版された年です)ではなく、1953年(「少年文学宣言」が発表されで童話伝統をめぐる論争が始まった年でもあり、「子どもと文学」に影響を与えたリリアン・スミス「児童文学論」が出版された年です)だと主張するゆえんです(その記事を参照してください)。
 著者は、「子どもと文学」の掲げた創作理論を、細部への技術論に終始して、「作家の主体」が欠落していると批判しています。
 そのために、幼年文学には適用できても、高学年向けの作品には適さないと指摘しています。
 また、「子どもと文学」の理論のよるところが英米の先進国の児童文学であることをここでも述べて、高度経済成長の過程にある日本独自の創作理論が必要であるとしています。
 総じて、著者の指摘は妥当のなのですが、この時点で著者自身がそれらに代わる対案を持たないので、読んでいて著者がどのような創作理論を望んでいるのかがわかりません。
 実際には、その後も、「子どもと文学」あるいはそれが下敷きにしたリリアン・スミス「児童文学論」を超えるような創作理論は生み出されませんでした。
 そして、評論もまた、著者が恐れていたような「作品の後追い」に安住するようになります。
 70年代に入ると、多様な作品が生み出されて「現代児童文学」の絶頂期を迎えますが、それは「児童文学界」内部の要因によるものではなく、日本が高度経済成長時代を経て豊かになり、日本の子どもの現実が「子どもと文学」で理想としていた英米の中流家庭の子どもたちに近づいたからだと思われます。
 また、80年代以降の「タブーの崩壊」(それまで描かれなかった子どもたちにとっての負の部分(死、離婚、性、非行など)が描かれるようになりました)、「エンターテインメントの台頭」、「児童文学の一般文学への越境」などの現象も、特定の創作理論や文学運動が導いたのではなく、読者の児童文学に求めるものや児童文学作家の関心の変化によるものだと思われます。
 そして、「現代児童文学」が終焉(私は1990年代には終焉したとする立場です)した以降の、ポスト現代児童文学の創作理論も全く打ち出されていない(誰も打ち出そうともしていないのかもしれませんが)のが現状です。


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きょうのできごと

2021-05-08 09:51:26 | ツイッター

 2003年公開の日本映画です。

 2000年に出版された柴崎友香の短編連作の映画化です。

 原作は、京都の大学院に通う男性の合格祝いと引っ越し祝いを兼ねた飲み会に集まった男女の様子と、その前後の日々を繊細なタッチで描いています。

 監督の行定勲は、原作の部分はかなり忠実に描くとともに、原作にはない「きょうのできごと」というニュース番組に取り上げられた二つのニュース(「浜辺に打ち上げられたクジラ」「建物の壁に挟まれて宙づりになった男」)を創作して、主人公たちの日常生活とは別に(無関係なようでわずかな関係を持っています)進んでいく世間の日々を描いています。

 妻夫木聡、田中麗奈、伊藤歩、池脇千鶴といった当時売りだし中だった若手の俳優たちが、等身大の若者を生き生きと演じています。

 今は政治家に転じた山本太郎も、ちょい役で登場しています。

 

 

 

 

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帰らざる日々

2021-05-07 20:57:34 | 映画

 早朝の新宿駅に、飯田行き急行に乗りこむ野崎辰雄の姿がありました。
 父の突然の死が、作家を志していた辰雄に六年振りの帰郷を促したのです。
 そこから辰夫の回想シーンが始まります。
 一九七二年の夏、辰雄の母は若い女のもとに走った夫と別居し、辰雄は母一人子一人の生活を送っていました。
 高校三年だった辰雄は、溜り場の喫茶店のウェートレスの真紀子に思いをよせていました。
 そんな辰雄の前に、真紀子と親しげな同じ高校の隆三が現われました。
 マラソン大会があった日、辰雄は隆三に挑みましたが、デッドヒートの末にかわされてしまいます。
 数日後、辰雄の気持を知った隆三は辰雄をからかいますが、隆三と真紀子がいとこ同志とも知らずにむきになる辰雄に隆三は次第に好意を持ちました。
 卒業後、東京に出ようと思う辰雄、学校をやめて競輪学校に入る夢を持つ隆三、そして真紀子の三人は徐々に友情を深めていきます。
 夏休みの盆踊りの晩に、辰雄と隆三は、真紀子が中村という妻のいる男と交際しており、すでに子どもを宿していると知らされ、裏切られた気持で夜の街をさまよい歩くのでした。
 翌日、二日酔でアルバイトをしていると、隆三が足に大怪我を負ってしまいました。
 競輪選手への夢もこれで終りです。
 ここで回想シーンは終わります。
 飯田に近づくと、辰雄は見送りに来ていた同棲相手の螢子が列車に乗っているのを見つけました。
 それは、彼の母に会いたい一心の行為であり、結局辰雄は螢子を連れていくことに決めます。
 飯田に着くと、父は隆三の運転する車で轢死したことを知らされます。
 隆三も重傷を負っており、昏睡状態の彼を前に、辰雄は六年前の苦い思い出をかみしめます。
 父の葬儀の夜、真紀子が北海道に渡ったことを知らされます。
 翌朝、かつて隆三と走った道を歯をくいしばって走る辰雄と、その後を自転車で追う螢子の姿がありました。
 この映画は、カット・バックを大幅に導入して、青春の日の恋や友情を感動的に描いていると、公開当時に評判になりました。
 6年ぶりに帰郷する主人公が、列車の中で高校生の頃の自分を回想するという構成で、親友との三角関係、性体験、親子の確執などが語られていきます。
 ドラマティックなラストの良さはもちろん、誰もが体験するような小さなエピソードがこの作品の魅力でしょう。
 特に、主人公と初体験の相手との別れのキスシーンは、日本映画史上においても屈指の出来と言われました。
 この作品は、「キネマ旬報」というマニアックな映画雑誌の読者投票で、1978年の日本映画の第1位に選ばれたほど、映画ファンの人気を獲得した映画でした。
 城戸賞という映画脚本の新人の登竜門の賞を受賞した中岡京平の自伝的な脚本「夏の栄光」を、「八月の濡れた砂」などの青春映画の職人的な監督だった藤田敏八が、徹底的に娯楽的な要素を強調して演出しています。
 自分の中途半端さを持て余している少年の倦怠感、父親の不倫、年上の美しい女性への憧れと失恋、男同士の汗臭い友情、過剰なまでのエネルギーの濫費、異性との初体験、大人との間の越えられない壁、そして、友との悲しい別れなど、およそ青春映画にはありがちな要素をすべて詰め込んだようなベタな青春映画です。
 映画のタイトルまで、当時人気のあったフォークグループ「アリス」のヒット曲の「帰らざる日々」にしてその曲を主題歌に使い、娯楽性を徹底的に追及しています。
 舞台である長野県の飯田にロケして、低予算、短期間に撮影されたいわゆるプログラム・ピクチャー(当時は映画は二本立てで上映されていて、そのうちのメインではない方)なので、ストーリーもかなりご都合主義ですし、俳優の演技やセリフ回しも生硬さが目立ちます。
 そんな映画がこれほど当時の映画ファン(といっても男性だけですが)に支持されたのは、彼らの青春へのノスタルジーをうまくかきたてたからでしょう。
 将来の夢、飲酒、喫煙、同性の友だちとの熱い友情、そして、何よりも異性への欲望を十分に満たしてくれます。
 年上で上品な美しいあこがれの女性、対照的にちょっとはすっぱだけど一方的に主人公に好意を寄せてファーストキスや初体験を許してくれるかわいい幼馴染、主人公をあれこれ面倒を見てくれる世話女房的な今の同棲相手と、この時代の男の子たちが望むあらゆる女性のタイプがそろっています。
 当時のほとんどの若い男性(特に恋人がいない人たち)に、「あるべき青春」(実際の彼らの青春はこんなにうまくはいかなかった)を見せてくれます。
 それも、24歳になった主人公が六年前の高校三年生の時を振り返るという作りなので、青春そのものとそれらへのノスタルジーの両方を味あわせてくれるのです。
 三十数年ぶりにDVDで見た感想は、「やっぱり見なければよかった」、「なぜだか悲しい」というものでした。
 「やっぱり見なければよかった」というのは、若いころ(あるいは子どものころ)に夢中になったエンターテインメント作品(まんが、テレビ、映画など)を久しぶりに見たり読んだりした時にいつも感じることです。
 こういったエンターテインメント作品は、その時その時の時代の雰囲気の中にいてこそ本当の意味で楽しめるもののようです。
 感性も考え方も変わってしまった現時点で見直しても、魅力を感じるのは当時これらの作品に夢中になっていた自分へのノスタルジーの方で、作品そのものの魅力ではなくなってしまっていることが多いのです。
 「なぜだか悲しい」という感想は、この「帰らざる日々」の原作者や主人公が自分と全く同年齢であることが大きな理由かもしれません。
 この映画のテーマは、すでに述べたように「青春へのノスタルジー」なのですが、現時点でこの映画を見ると、「青春へのノスタルジー」を観ていたころのまだ若かった自分へのノスタルジーという、ノスタルジーの二重構造になってしまっているからでしょう。
 また、この映画に出演していた女優たち(特に幼馴染を演じた竹田かほり)は、この後すぐに結婚(相手は甲斐バンドの甲斐よしひろです)して引退してしまった(しかも彼女たちはB級アイドルだったのでテレビなどで回顧されることもない)ので、映画の中に若い魅力的な姿のまま封じ込まれていて、なんだか昔のクラスメートの女の子に当時のままの姿で再会したような不思議な気分を味わったのも、「なぜだか悲しい」という気持ちになった理由なのかもしれません。
 残念ながら、児童文学のエンターテインメント作品は子どものころにまったく読まなかった(まんがやテレビアニメが今よりも全盛の時代でしたので、児童文学のエンターテインメント作品はほとんど駆逐されていました)ので、この感覚が児童文学のエンターテインメント作品でも同じなのかは、自分では検証できません。
「ズッコケ」や「ゾロリ」などを読んで育った当時の子どもたち(すでに四十代、五十代になっている人たちもいるでしょう)は、今それらを読み返したらどんな感じなのでしょうか?


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瀬田貞二「坪田譲治」子どもと文学所収

2021-05-07 08:48:35 | 参考文献

 児童文学研究者(トールキンの「指輪物語」などの翻訳者でもあります)である著者だけに、いぬいとみこの「小川未明」(その記事を参照してください)や松井直の「浜田広介」(その記事を参照してください)と比較すると、ずっとバランスの取れた批評になっています。
 譲治の自選集「サバクの虹」を取り上げて、その中の作品を、「大人のための小説」、「子どものための小説」、「昔語り」、「夢語り」に分類して論じています。
 瀬田は、譲治の「大人のための小説」を文学としては一番高く評価していますが、その作品に常に「死」のイメージがつきまとうことから児童文学には不向きとしています。
 また、「子どものための小説」は、「生きた子どもを作品に描き出した」と評価しつつも、これにもまだ「死」や「不安」といった負のイメージがつきまとっていると否定的に評価しています。
 「昔語り」や「夢語り」については、観念的すぎると簡単に切り捨てています。
 そして、結論として、「譲治は、大人のための作家であったと思いますが、子どものためには、(中略)ふさわしいと思われません。譲治が、大人のための小説の力量を児童文学の世界に持ちこんでくれたことは、ありがたいことでしたが、方向をとりちがえて、「生活童話」(注:子どもの日常生活を写実的な手法で描いた作品)という変則なタイプを以後に置きみやげにしてしまいました。譲治の文学のとるべきところ、すてるべきところをよく見さだめて進まなければならないのが、今後の子どもの文学の仕事です。」と、述べています。
 ここで、著者が「とるべきところ」と言っているのは、「生きた子どもを作品に描き出した」ことと思われます。
 これは、未明たちの作りだしたそれまでの子ども像が観念的であったことに対する比較として言っているのですが、彼ら現代児童文学者のいう「生きた子ども」もまた観念にすぎないと、1980年に柄谷行人に「児童の発見」(「日本近代文学の起源」所収(その記事を参照してください))の中で批判されました。
 また、「すてるべきところ」というのは、「死」、「不安」といった負のイメージのことでしょうが、彼らの「おもしろく、はっきりわかりやすく」という主張に縛られすぎたたために、現代児童文学(定義は他の記事を参照してください)は、こうした負のイメージ(その他に、離婚や非行など)を作品には書かないというタブーが出来上がってしまいました(これらのタブーが破られるのは、やはり1980年前後です。(例えば、那須正幹の「ぼくらは海へ」(その記事を参照してください)))。
 

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