1995年に出版されて、日本児童文学者協会新人賞などのいくつかの賞を受賞し、映画化もされた作品です。
中学三年生の主人公の女の子は、授業中に母方の祖母(イギリス人)が危篤になったとの知らせをうけます。
母の運転する車で祖母の家へ向かう途中(六時間もかかります)、主人公は二年前のことを回想します。
その時、中学に入ったばかりの主人公は、女の子たちの作るグループになんとなく入らなかったことをきっかけに、クラスの女の子たちにはずされて、学校へ通えなくなっていました。
そんな主人公を受け入れてくれたのが祖母でした。
独特の人生観と行動のために、主人公とその母親は、祖母のことを「西の魔女」と今では呼んでいます。
祖母の家で暮らした一か月余りの間、家庭を大事にして、自然(といっても、イギリス流の人間の手の加わった自然なのですが)を愛する祖母との生活で、主人公は見事に蘇生して、新しい生活(父親の単身赴任先に引っ越して、新しい中学校に転校します)を始める力を得ます。
そう、この作品は「癒し」の文学の代表作なのです。
魔女修行、超能力、ダークグリーンのミニクーパー、イングリッシュ・ガーデン、サンルーム、薪が燃えるかまど、手縫いのエプロン、手作りのジャムやキッシュやサンドイッチ、ミントティー、自家栽培のハーブや野菜、野イチゴや木イチゴ、飼っているニワトリの生みたての卵、煮沸によって洗濯された布巾、足踏みで洗われたラベンダーの香りのするシーツ、自分だけのお花畑、サンクチュアリなど、女の子だけでなく若い女性(現在ではもっと年長の女性も同様ですが)の大好きなおしゃれなアイテムが満載で、新しい児童文学の読者(若い世代を中心にした女性)の獲得に大きく貢献しました。
また、こうしたものだけでは単調になりがちな物語に、主人公の祖母との生活を脅かす(?)粗暴な隣人の男の存在が、アクセントをくわえています。
素材面だけでなく、手法面でも、描写(情景及び心理)を重視した小説的手法を使って、作者独特の豊かな表現力で、主人公の変化(主に精神面)を的確にとらえています。
その一方で、主人公の心の成長と言う点では、児童文学らしいいわゆる「成長物語」でもあります。
そういった意味では、児童文学と一般文学の境界があいまいになった、1990年代の日本の児童文学の代表作と言えます(児童文学評論家や研究者は、この現象を「一般文学への越境」と呼んでいます。そのことの功罪については、別の記事を参照してください)。
しかし、読み直してみると、いくつかの疑問があります。
まず、これだけ主人公に精神的なインパクトを与えた「西の魔女」(主人公にとってはメンターともいえます)と、二年間没交渉だったという設定は、お話の都合としてはいいでしょうが、日本人的感覚では理解しにくいです。
また、父親の単身赴任先へ、一時的に仕事を辞めた母親と一緒に、転居して新しい中学へ転向するという最終的な解決策も、母親の人間像(自分の仕事のキャリアを大事にしている「西の魔女」とは対照的な人物に設定されています)からすると、非常にイージーで不自然なイメージを受けます(この作品が書かれた三十年前と、女性の仕事を取り巻く環境が変わってきているせいもあります)。
うがった見方をすると、三十年前は女性の社会進出が世の中でもっと強く言われていたので、そのアンチテーゼとして描かれたのかもしれませんが、作者のジェンダー観にやや疑問を感じます。
ラストで、西の魔女から主人公へ死後に送られてきたとも読める下記のメッセージも、主人公の不安感のベースとして繰り返し描かれていた「死後の世界」に対する西の魔女及び作者の回答なのだと思われますが、スピリチュアル好きな若い女性はともかく一般の読者としては不可解な読後感が残ります。
「ニシノマジョ カラ ヒガシノマジョ ヘ
オバアチャン ノ タマシイ、ダッシュツ、ダイセイコウ」
だいいち、自分のことを主人公たちが西の魔女と呼んでいることを本人は知らないはずなので、その点でも不自然な感じ(超能力だと言われればそれまでですが)です。
最後に、これは、男性読者(あるいはたんなる私自身)と女性読者の好みの違いになってしまいますが、子どもの時に困ったら、西の魔女のようなメンター的な祖母よりも、森忠明「花をくわえてどこへいく」に出てくるようなだまって一人で湯治場へ行かせてくれる祖父の方が欲しいです。
西の魔女が死んだ (新潮文庫) | |
クリエーター情報なし | |
新潮社 |